読解Ⅱ・読解Ⅳ・文章表現Ⅱクラス共通課題   原子力発電への賛否  

原子力発電はやめるべきだ

 

社会心理学  翟 一達(中国)

 

2011年東日本大震災後、福島第一原子力発電所の一連の事故により漏れ出た放

射性物質は大規模な被害を起こした。国内外から原発事故に対する非難の声を浴

び、原子力発電所の安全問題や将来のエネルギー政策などについての議論が広が

っている。原子力発電所の存続には賛否両論であるが、私は原子力発電はやめるべ

きだと思う。

 

原発は本当に必要か

今回の原発事故によって電力不足が深刻な問題になり、計画停電を実施せざるを

えなかった。生産や生活のさまざまな面において不便が増したため、原子力発電が欠

かせないものと考えた人は少なくない。原子力発電に賛成する人もこれを根拠として

強調した。しかし、これは誤解で、まちがいである。その理由として二つ挙げられる。

一つは「電力不足」というのは偽りの命題だということである。いったい「電力」の使用

はいつ足り得るのだろうか。人間が欲望をコントロールしなければ、いつまでたっても

足りることはあり得ない。今回の原発事故で、節電活動が盛んになったことは、人々の

日常生活における節電意識が育つよい機会となったと思う。大量生産と大量消費と大

量廃棄の悪循環である消費主義を排除する機会となったのである。その節電行為

とは、具体的に言うと、使っていない電気を消し、クーラーを適当な温度に設定し、無

駄な電力の使用量を減らすという人間らしい行為であった。

もう一つは、「電力不足」の問題があったとしても、「だから原発は欠かせない」とは

言えないということである。原子力発電以外にも複数の手段がある。有効な風力、バ

イオマス、水力、太陽光など自然エネルギーの開発や普及を目指した方がいいのでは

ないか。自然エネルギー資源は開発費用が高くつくと言われるが、技術の開発や進歩

をめざすちょうどいいンセンティブだと思う。安全性と低費用のどちらを優先すべきか

は言うまでもないだろう。我々が生きていく社会は人間の社会であり、利益を生むため

の工場ではないのである。

 

原発は絶対安全か

日本は世界中で唯一の被爆国であり、原子力に対する抵抗が強いはずなのに、今

日日本が「三大原発推進国」になった主な理由の一つは安全神話論のせいである。

日本全国の原子力発電所の地図を見ると、怖いと思わずにはいられない。日本中が

原子力発電所だらけである。もし事故が起これば、これらの原子力発電所が爆弾とな

って日本は大きな被害を被る。今回の福島原発の事故を経験して、誰がこのような事

故が二度と起きないと保証できるだろうか。我々は全知全能の神ではない。しかし、国

民が気づかないうちに、専門家によって原発の「安全神話」が作り上げられてしまっ

た。

私は、人間は自然にある程度の恐怖心を持つべきだと主張したい。自然の力が引

き起こす災害に、神でもない我々が完璧に対応できるはずがない。福島原発事故後、

原発の「安全神話論」の専門家たちは黙しており、「想定外」という言葉も登場した。こ

れは御用専門家が取るべき責任から逃げる表現であり、恥ずかしいことである。「想

定外」論は原子力発電の安全性が保障できないことを認めたことになる。安全性の問

題を無視することは、自己崩壊の道を歩いていることにほかならない。特に日本は地

震国であり、未来にどんなことが起こるか分からないのであるから、原子力発電を廃

止することを含めて、損失や被害を減らすように努力すべきである。

 

グローバルな原発からの脱出は不可能か

福島原発事故後、ドイツは国内の原子力発電をやめて、フランスの原子力発電所

から電力を輸入するようになった。日本もほかの国から電力を輸入すればよいのか。

答えはNOである。原子力発電をやめるということは国を移して解決するわけではな

い。最終的な目標は世界中の原子力発電所がゼロになることである。以上述べた理

由(原発の安全性、自然エネルギーの開発、節電運動など)は日本に限らず、世界中

どこの国にも通じることである。放射性物質には国境がなく、広い範囲にわたって被害

が出ると考えるのが常識である。日本の隣国である韓国や中国も原子力発電を推進し

ているが、もしそこで原発事故が起これば、日本の国民が何も影響を受けないで生き

ることはできないと思う。よって、私は世界の国々が原子力発電をやめるよう主張した

い。日本が自らは原発を推進しながら、韓国や中国に原子力発電をやめろと勧めて

も、説得力が弱いと思う。逆に、日本が国内の原発をやめて、世界中が原発から脱出

する運動のリーダーシップを発揮することが望ましい。

今日の世界経済的、政治的に複雑な状況からみて、国境を越えた原発からの脱出

は不可能と思われるかもしれないが、不可能そうなことをあきらめずに、一歩ずつ実

現してきたのが人間の歴史なのだ。