文章表現Ⅲクラス  日本人と歌
 

日本国民唱歌を巡って

 

哲学  杜  赫(中国)

 韓国の事情にはあまり詳しくないが、中国と日本の文化に触れた書物は何冊も読ん

だことがある。必ずしもわれわれ東アジア人が物質的、現世的であることを一つのテー

マとして、西洋文化と両立する仕方で論述を展開する本ばかりではないと言っても、あ

ちこちに溢れている著者のこの地域の文化への理解が、原則としてその特徴を形成

しているのは明らかである。

 私には、日本は特に肉体の国だと思われる。中国人が西洋の音楽をそのまま輸入

し受け止めるのに対して、日本人はさらに西洋の音楽を自分の好みに沿って改造す

るのである。それに対して、精神性・彼岸性を重んじない中国の文化の一つの特徴

は、他文明の要素を包含できるところにある。つまり、自分のものと他者のものを併存

させ、それぞれの優れたところを鑑賞するということである。一方、日本の文化(同時に

日本の国民性格の深層にあるもの)の強さと弱さは、外部の文明を解剖刀のもとに運

んで、そこで初めて吸収し始めるところにある。

 肉体の国日本は、あくまでも他者の身体を理解できないのである。つまり、他者の体

は、肉体だけでなく精神と肉体との統一複合体であるということが、日本人には理解し

にくいのである。だから、イタリアのオペラのメロデイーを利用し、国民の健康唱歌に改

造するまでしても、自分の作業の怪しさを感じ取れないのである。西洋の物は何でも自

分の肉体の栄養になると思う日本人は多いだろう。日本人にとって、音楽はただこの

人生を楽しむ一種の道具にすぎないからである。

 日本の近代化への進み方が、さらにこの本来的な日本人の考え方を助長した。もと

もと欧米列強への不安によって成立した日本近代国家は、西洋の科学・軍事・政治制

度・芸術などの勉強に精力を使い果たしてしまったために、きちんと西洋文化の内実と

精神性をとらえることができなくなったのである。西洋の文化の実を摘み取って、自分

の肉体の栄養としただけですっかり満足したのである。西洋の精神的な彼岸性は結局

見失ってしまう始末である。

 世界の諸文明はお互いに十分に理解することは未だにできていない状態にある。19

世紀のように戦争の圧力に押されて他文明を学ばなければならない。緊張感はないと

いっても、実に経済力の差は心の塊みたいもので、途上国の人々に圧力を与えている

のである。中国では「先進国に学べ、先進国を超せ!」というスローガンがよく聞かれ

る。日本国内にも欧米化の不徹底さを批判する人はいるだろう。が、一方日本の政治

の肉体性を誇りとする日本人はいないだろう。

 だから、問題は唱歌の領域にとどまらないのである。どうすればいいかについて私の

考えを述べさせてもらうと、日本人は自分の肉体的な国民性をよく意識しなければなら

ない。意識した上で、他者の文明の自国と異なる部分を、自分の目からではなく、でき

るだけ、その他者の目から反省的に顧みることが大事である。その部分が他者の文明

にどんなふうに有機的に所属しているかを認識したのち、自分の文明においてどんな

役割を果たせるかをよく検討した上で吸収するなら、国民唱歌のような笑わせるものは

作らないだろう。