文章表現Ⅲクラス  日本人とメディア
 

中国における若い世代とメディア

 

哲学    赫(中国)

 

 「21世紀は中国の世紀」という言い方が時々僕の耳に届くことがある。中国生まれ、

中国育ちの人々にとって、自分の国がそんなに偉いのかと、それなりに疑問を出して

しまうのも当然のことだろう。特に、僕も含まれる若い世代は、こういうところに敏感さ

を持って問いつつある。この国において、いったいどういう変化がおこり続けて、「21

紀は中国の世紀」とまで世界に言わせるほどに至ったのか。

 このように省みると、中国では、元の問題が解決しないまま、新しい問題がどんどん

出てくるように思える。1989年の6月以降、政治的な関心や社会的な関心を抱えている

若者には、このようなトピックを総体的に省みる場所があまりないというのが現実では

ないだろうか。

 こういう現実への認識を念頭に置いて、中国の様々な変貌の中で、メディアの変貌が

人々を、特に技術の発展を受け入れやすい若者をとらえてしまったことを検討しよう。

 メディアと言っても、その中のインターネットの広範な応用を中心として分析することに

なってしまうのだが、確かに理解し難いことではないと思う。テレビや新聞とは違って、

インターネットは発信源を特定しにくいので、国家組織からの干渉をある程度避けるこ

とができるのが特徴であるからである。

 中国のインターネット利用者がほとんど若者という統計上のデータを背景に、実際に

その虚構の世界で活躍する若者の姿を見てみると、一定のイメージを得ることができ

る。それは、要するに、中国で若者が、意識を持って政治的に社会的に行動している

ことを示しているのである。

 これが若い世代とメディアとの関係の中でも、著しく目を引く点だと僕は思う。「紙批

判」(社会的・政治的批判を新聞紙に載せることを指している)の形で政治や社会問題

を問いつめるのが主流である日本とは違って、中国社会では国民の不満の窓口にな

ったインターネットが若い世代によって一層利用されて、自分の国を変貌させる主な手

段になっているのも想像外のことではないだろう。

 勿論、ここに問題もある。まず、インターネットコントロールが強くなる傾向が見られる

ようになってきた。このほかに、インターネット政治は、自由度を持つ一方で、責任感を

欠いていることを認めざるをえないのである。

 中国のインターネットでは、中国以外の国の人に読まれたら恥ずかしくなるような発

言がたまに現れる。こういう言論の主は、予想通り、ほとんど若者である。例えば、「国

に対して、不満があれば、アメリカにいけ!」という言論が相当に人々の共鳴を得たこ

ともあった。

 だから、インターネットの力をただ軽く見ては駄目である。より成熟させなければなら

ないということである。この動きが若い世代が成熟すると共に進むとよいと思う。中国

は日本のような技術の発展段階に近づいてきていると共に、若い世代が成長しつつあ

る。ここから、中国の、政治的に社会的により成熟した未来が見えてくるだろう。