読解Ⅱクラス  我が国の近代化
 

中国における近代化の歩み

―自国文化に対する自信喪失の道―

 

社会心理学  翟 一達(中国)

 

1840年のアヘン戦争以降、西洋の列強による中国への侵略が始まった。清朝

政府は鎖国政策をやめざるを得なくなり、西洋との交流が始まり、西洋の技術

を学ぶようになった。しかし、「中体西用」という言葉に見られるように、清

朝の治国の中心は伝統的な思想であって、西洋の技術は道具的な役割しか果た

していなかった。20世紀に入り、ようやく清朝政府は西洋の立憲君主制に倣お

うと考えはじめたが、1911年の辛亥革命によって王朝は崩れた。当時の知識人

は半世紀にも及ぶ侵略経験を反省し、伝統的な文化が後れの最も根本的な原因

だと認識したのである。

 
 1919
年五四運動は中国の伝統文化を全面的に否定するものであった。多数の

中国人は西洋のものはすべてすばらしいと思っていた。「洋布」、「洋火」、

「洋車」など、「洋」のつくものを使うことは高級感を印象付けた。記録によ

ると、この時代に北京大学に勤めていた中国人教師は普段から中国語ではな

く、英語を使っていたらしい。英語以外にもドイツ語あるいはフランス語がで

きると、尊敬されたそうである。残念ながら、西洋の文明を尊重しているうち

に、中国人は中国語や独自の文化を軽視するようになってしまったようであ

る。

 
 その後、共産党が政権を握って、マルクス主義が指導的なイデオロギーとな

ると、伝統的な文化は「保守的、封建的な文化」として非難された。冷戦体制

のもとでは、中国は元ソ連や社会主義の国々としか親密な関係を持っていなか

ったが、1978年の「改革開放」によって再び西洋に向けて扉を開き、西洋のも

のごとが急速に中国に入ってきた。豊かな生活や先進的な技術を望んで、一部

の中国人は外国に移住した。外国籍を取る者も出る一方で、外国に不法滞在す

る中国人も増えた。20世紀末になると、マクドナルドやスターバックスのよう

な欧米の外食産業も中国で盛んになった。しかし、普通の店というイメージで

はなく、「高級な店」だと思われている。それには、飲食物の魅力のためだけ

ではなく、「先進的」西洋文化のシンボルという意味もあるのだろう。