読解Ⅱクラス  越境する文化
 

多元主義における文化交流について

 

美学芸術学  劉  佳(中国)

 

 エドガー・モランの「『越境する文化』の時代を迎えた地球」を読んで、文化のグローバ

ル化現象について今一度考えてみようと思った。

 まず、「越境する文化」という現象はエドガー・モランが述べているように、新しいもの

ではない。例を挙げれば、中国と日本の文化交流はこれまで絶えたことがなかった。

大唐時代、日本から多くの遣唐使が中国へ行き、当時の先端思想などを学んだ。時代

が変わり、20世紀はじめのころになると、多数の留学生が清政府によって日本に派遣

され、大量の日本語に訳された西洋書籍が中国語に直訳された。以上述べた交流は

ある国とある国との間に発生したものである。すなわち、アジアの枠の中で、もしくは国

と国との間で発生した、直線的で、影響範囲が小さい、初期段階の単一の文化交流で

ある。

 では、上級段階の文化交流とはどんなものか。エドガー・モランによれば、「地球の文

化」や「地球のフォークロア」などだという。つまり、初期段階とは違い、多様な線で結ば

れた、もしくは面的な、影響範囲が大きい、多元的な文化交流である。これは、今日の

ポスト・モダンの背景に適応した新たな文化の形式である。

文化のグローバル化とは統一を目指すものではなく、むしろ文化の一種の多元主義

だと言えるだろう。すなわち、アメリカの哲学者、ダントが述べているように、朝は狩猟

し、昼は創造するというように、どんな文化でも平等に共存しうるのだ。異なる文化に対

し、スムーズに影響を与え合うということができる。なぜなら、同一の「世界という背景」

を持っているからだ。このような文化の透明体のような状態は文化の呼吸功能と呼ば

れる。

もっとも注目すべき例はアメリカのディズニーランドである。それはどこの国の子ども

でも憧れる楽園である。人気キャラクターの様子は各国の神話や芸術様式などと異な

っているにもかかわらず、アメリカの文化は世界中に広がった。それと同時に、受け入

れる方は自らの文化の独自性を守るべく注意しないと、自分を失う危険性がありうる。

 以上のように、文化のグローバル化は進んでいくが、その過程で文化の独自性を守

るよう、多元主義における文化交流について真剣に考えなければならない。