集中授業 短編読解クラス 「山椒魚」
 

「山椒魚」の結末への感想

 

中国語中国文学  王 旭東(中国)

 

井伏鱒二の「山椒魚」という短編小説は、1985年に『井伏鱒二自選全集』(新潮社)

に収録された際、作者の井伏鱒二自身によってこの作品の末尾の「ところが山椒魚よ

りも先に」以降の部分が全て削除されてしまった。この件に関しては、当時の文壇で改

善か改悪か、賛否両論の意見が飛び交ったそうだ。

 変更前の原作の結末には、「同病相哀れむ」といった雰囲気があり、山椒魚と蛙は

相手の不幸な状況を嘲笑することをやめ、自分自身を哀れに思うだけでなく、相手に

対する同情も抱くようになった。そこには運命を共にする生き物同士の情愛が窺われ

るが、削られた改作の結末では、山椒魚と蛙の間には、和解は無論、相手と話し合う

気配さえ見えない。ただ「お互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意した」と

いう言葉で終わり、敵対状態がずっと続くとも考えられ、解釈の幅が広がったと言えよ

う。結末を削った作家の意図もそこにあるのではないか。

 私には、相手に対してきわめて不信感の強い立場をとり続けるという自己中心的な

人間像が浮かんでくる。もう岩屋から離れ去って外に出ていくことができなくなった山椒

魚は、蛙との冷たい戦争を通じて、自分の精神も拘束された閉鎖状態に置くこととなり

、肉体の牢屋の中にもう一つ心の牢屋を自ら作ってしまったのではないか。この心身

二重の不自由さの悲況を示唆する結末を、死ぬ直前に少しの人間味を見せた元の結

末と比べると、作家の人間観は一層悲観的になったのではないかと思われる。

 しかしながら、総じて、変更後の「山椒魚」の結末部分のほうが、変更前の結末部分

と比べて、「山椒魚」全文にわたるブラック・ユーモアや皮肉な格調に、より一致するの

ではないか、と私は考える。