漢字学習クラス  2011年の漢字
 

私にとっての2011年の漢字「

 

朝鮮史文化  曺 志泫(韓

 

2011年は私にとって、どんな年よりも苦しい年だった。だから、私にとって

の漢字は「
」だと思う。
 
 中
師だった母は2009年、健康診で卵癌4期判定を受け、手術と抗

癌治療を繰り返していた。
抗癌治療を3年間受けけても癌は再けた

2011
年、とうとう母は抗癌治療をやめて、空がきれいな山に登ったり景色が

いいところに行ったりして
しく生活するようになった。しかし、3月から病

が急に化して、入院した。妹は母を看護するために1年間休し、ニュ

ランドで勉していた弟も急いで帰国した。私も授業が終わると、母

の看護のために病院に行った。

 
 その間に、私は東京大
の大から1年間特別講生の資格で修する機

を得た。私は日中には病院で母を看護し、夕方には家で修の許可を受ける

ための書類を準備した。私はついに東大から入
許可をうけて、10月に日本へ

。しかし、いつも母の健康が心配で、よく眠れなかった。日本にてから

1
ヵ月にもならない11月2日、母の病
いという父の連絡を受け、次の日

に飛行機に
って帰国した。母は私が韓帰国した3日に亡くなっ

た。
この瞬間が今までの私の人生において一番大な時間だったと思う。私は

11
月末、また日本にって
 
 12
31日、2011年の最後の日を日本で友だちと一に送りながら、2012年の

漢字を「修」にしたいと思った。
2011年は私にとっても家族にとっても、精神

的、肉体的に大
だった。私が2012年の漢字を「修」にしたいと思った理由

は、これまでは精神的に大
だったが、2012年は一生懸命に勉して日本で自

分がしようと思った
にもっと集中し、できる成果を出すためだ。私の

今年の目標は東京大
の博物館に所されている、高句麗の後期の平地域の

赤色系統の瓦を直接遺物の
写真を撮影し、して、それらを集めて性表

作って整理することだ。後で、私が整理した資料に基づいて、高句麗の後期の

地域の瓦の起源と系譜を明らかにして修士論文を完成させたいと思う。最

後に、
2012年が私と家族にとって、元で幸せな年だったらよいと思う。