文法クラス  私が子どもだったとき
         

私が子供だったとき

 

東アジア思想文化  胡  鴻(中国)

 

現代社会の特徴の一つを挙げれば、生活のリズムが日増しに早くなっているこ

とがあります。いつも大きなプレッシャーを感じている私たちは、時々疲れきっ

てしまい、自分が子どもだったときのことを懐かしく思い出すということはない

でしょうか。

自分の記憶によると、私の小さい時の生活は簡単な上に、楽しかったです。そ

のころ、私は故郷で祖母と一緒に住んでいました。その地方は、高い山に囲まれ

ている小さい村です。90年代の初め、この村ではまだテレビがすばらしいもので、

電気が突然に消えることもありました。車道は砂地の細い道が一本あるだけでし

た。その道はあまり車が通らない寂しい道でした。つまり、現代文明の外に存在

していたところでした。

高校に入る前、私は都市というところは県庁のある町しか行ったことがありま

せんでした。教科書やテレビで現代都市のものをよく見ていたにもかかわらず、

自分の目で直接見たことがなかったので、時々飛行機・電車などというものは現実

には世界中のどこにもないのだと思ったりしました。実際に見たことがない物は

存在しないものだと思ったのです。おかしいでしょうか。しかし、大学で哲学を

勉強したとき、デカルトの、「見たり聞いたりしただけの世界は神のうそかもしれ

ない」という思想を読んで、笑ってしまいました。なぜなら、偉いデカルトの思

想も無知な子どものころの私の妄想と似ている点が少しあるように思ったからで

す。

現代的な玩具は持っていませんでしたが、子どもの楽しみは少なくありません

でした。友達が多く、いつも一緒に遊んでいました。現代的スポーツは知りませ

んでしたが、鬼ごっこなどの古い遊びを楽しみ、自分たちで発明した新しい遊び

も楽しみました。でも、そういう新しい遊びは、に一回しか遊べないものでし

た。なぜなら、だれも規則を覚えていなかったからです。実際、ほとんどの楽し

みはその度に規則を作るしかなかったのです。そんな無邪気な子どものころが懐

かしく思い出されます。