読解Wクラス  友人についてー記事を読んで意見を書くー
 

「友人」の基本的な性質について

 

東アジア思想文化  ケ キンサン(中国)

 

「友人」というのは、臨床心理学をはじめ、教育学、社会学など多様な分野におい

て、重要な概念のひとつであり、さまざまな観点から定義されてきた。それにもかかわ

らず、誰からも完全に認められる「友人」の定義はこの世に存在しないだろう。なぜな

ら、「友情」というのは、人間が生きていく上で欠かせないことであり、誰でも自分自身

の体験に基づいて、「友人」に対して独自の見解を持っているからである。

私は、友人の性質の中で、何よりも基本的なのは、いつでもどこでも互いに自分の

本音を打ち明けられることであると思う。誰かに心の内を打ち明けることは、一見簡単

にできそうだが、実はそれほど容易に実現できるものではない。先生や上司に叱られ

て、居酒屋で偶然隣に座った誰かに向かって愚痴を言ったとする。彼はいくつかの言

葉を投げてくれるかもしれないが、決して真の友人とは言えない。一日10時間以上も

一緒に過ごし、トイレまで一緒に行くクラスメートや同僚であっても、お互いの私生活に

対して、何一つ理解できていない人も真の友人と言うにはまだ遠い。だから、誰にとっ

ても、今までの人生をりかえって見たとき、本当に「友人」と言える人が思ったよりも

ずいぶん少数であるということは驚くには当たらない。

何人かの「友人」を持っていることは、神様からもらったプレゼントのように、不思議

でラッキーだと言っても過言ではない。なぜかというと、真の友情というのは、実にデリ

ケートだからである。お互いに以心伝心のように呼吸が合わないと、いい知り合いには

なれたとしても、友人にまで発展させることはできない。もし相手が自分の気持ちを本

当に喜んで受け入れようとしない場合、かなりの鈍感でなければ、すぐ気づくのが普通

である。そんなことがあると、また何かがあった時、どんなに自分の気持ちを相手に伝

えたく思っても、黙ってしまうことは想像できる。

もちろん、「友人」といえるなら、互いの友情は簡単に壊れやすいものではないに違

いないが、それを長く維持するために、常に貴重な植物を守るような誠心誠意の態度

が必要であると思う。そして何よりも大切なのは、いつも喜びと悲しみを分かち合う心

構えなのである。

現代社会において、「おひとりさま」という言葉に、「精神的に自立した大人の女性」と

いう新たな意味が加えられたように、友人に対する現代人の意識も時代の流れと共に

変化しつつある。つまり、現在では自分ひとりで物事をためらわずにこなすことが強調

されているのである。このような意識の変化は、「友人」を持つことの不可欠さと矛盾す

ると考えられるかもしれないが、わたしはそうは思わない。確かに、「おひとりさま」とい

う新たな生き方は、自分自身を知ることと、他人との距離のとり方を重要視する。しか

し、それは決して友人の大切さと友人の基本的な性質に反するものではない。一人で

行動することが強調されればされるほど、いつでもどこでも気楽に自分の心の奥のこと

を打ちあけられる人の必要性が増していくのではないだろうか。