夏の集中講義レポート

現代文学と多言語世界—精読と創作
宇宙を旅する練習の五日間
2011年9月15日(木)、16日(金)、20日(火)〜22日(木)3限〜5限
講師:多和田 葉子 報告者:現代文芸論M1・孫 惠貞(ソン へジョン)




2011年度現代文芸論の夏学期の集中講義は、ドイツ在住のエクソフォニー作家として注目を集める作家の多和田葉子さんを迎え、「現代文学と多言語世界―精読と創作」というテーマで行われた。
 作家による五日間の大学講義は、行われる前から多くの話題を呼んだ。
 まず、去年11月東京大学大学院現代文芸論と表象文化論の共催で行われた多和田葉子さんと高瀬アキさんのパフォーマンスに好奇心を覚え、授業に参加したという学生が大勢いた。また、多和田さんによる独特な講義シラバスにも目をひくものがあった。授業の目標・概要がなんと「小説の細部に身体ごと入り込んで、宇宙を旅する練習をする」、履修上の注意が「集中講義なので常に体調に気を付け、休まないこと。授業中はよく笑うようにし、決して寝ないこと」。元気に笑いながら宇宙を旅する練習をする、この印象的なシラバスに多くの学生が期待を寄せると同時に緊張を覚えたことだろう。

初日の15日、40人ほどの学生が集まった。1人ずつ自己紹介をしていくうち、実に様々な分野や年齢の人が集まっていることが分かった。それぞれの顔、それぞれの考えが一つの教室に集まり、一人の先生の声に耳を傾ける静かな光景は、先生の一言で散乱し始めた。「これから小説を書いてください!」 材料は、3.11翌日から発行された新聞。原稿用紙一枚と新聞が配られ、震災の直後から数日後までのマスコミの堅苦しい言葉を一人一人が自らの言葉で一枚の原稿用紙の上に「崩して」いった。それから震災翌日から新聞発行日の順番で、書いた小説を一人一人読み上げていった。震災直後から数日に及んだ時間の流れを、それぞれが紡ぎあげたフィクションで、しかも朗読で聞くのはとても新鮮な経験だった。津波のように押し寄せてきた当時の瞬間の厳しさや時間が経つにつれ変わっていく視線の変化を、まるで教室で再現するような気までした。長いように思えた初日の約5時間という時間は、あっという間だった。

講義の前から指定された、一見共通点が思い当たらない16冊の教科書と参考書は、五日間の集中講義の間すべての話題に上った。多言語、エクソフォニー、移民、越境、共存、コラージュなどが講義の間を貫く大きなキーワードとなり、文学、哲学、古代ラテン、経済学、舞台、フェミニズムなどを専門にする参加者のそれぞれの観点から議論が繰り広げられた。
 教科書と参考書のテキストは、映像化作品として、あるいは参加した学生の身の動きや大きな声となって教室を響かせた。ときには先生と一緒に単語一つ一つ丁寧に音読し、言葉の狭間を浮遊した。たくさんの思いはコント、演劇、映画(実際に授業中に映像を作ったグループもあった)パフォーマンスとなり、名前は絵となった。

そんな中、最も印象的だったのは台風の日だった。9月21日の前代未聞の大きな台風。電車が止まり、木々が倒れていくその日も集中講義の日だった。状況が厳しかったため、授業は休講が決まった。先生とTAだったわたしがそのことを伝えに教室に向かうと、雨にびしょ濡れになりながら、最初からの40人程の参加者ほぼ全員が教室にすでに集まっていた。その日発表を予定にしていた人は、発表準備に余念がなかった。
 先生が休講の知らせを告げると、教室の中では残念でならないという顔や呟きが次々と飛び交った。誰もその場を離れようとしなかった。結局授業は予定通りに行われた。参加者たちの熱意に負けた先生の嬉しそうな困った顔は今でも忘れられない。台風が徐々に激しくなっていく最中、詩を読んで、熱い議論は続けられ、予定していた発表が行われた。そのうち帰れなくなる事態になると、先生のあきらめたような「それではみんなで台風が収まるまで語り続けましょう」といったロマンティックでさえあった瞬間は今でもしばしば参加者たちの間で語られている。

最初シラバスに書かれた授業の目標「宇宙を旅する練習」は、意識しないうちにいろいろな形で自然に行われていた。普段の授業のように受け身の姿勢をとっていた参加者たちの時間が経つにつれて徐々に積極的になっていく姿がくっきりと場を盛り上げていった。その姿は、集中講義が終わったその日から、参加者一人一人のこれからの原動力となったのではないかと思われる。終わりが始まりとなった集中講義は、たくさんのことを学ぶと同時にたくさんのことを発することのできた貴重な体験だった。