さる3月20日、トム・マシュラー氏講演会が東京大学文学部の大教室で行われた。トム・マシュラーさんはイギリスの文芸出版社ジョナサン・ケイプで約40年出版に携わり、ノーベル賞作家14人の本をおくりだしたという。
シンポジウムは第一部のマシュラーさんの講演と、第二部の柴田元幸教授とジェイ・ルービンさんを加えた三人のディスカッションからなっていた。
第一部のマシュラーさんの話は、自分と作家との個人的なエピソードだった。私は勝手に海外のほうが、日本よりもビジネスライクなドライな付き合いなのかなと想像していたが、そんなことは全然ないようだ。ヘミングウェイの未亡人のもとへ遺稿を買いに行ったのがジョナサン・ケイプ社での初仕事だったこと(その結果できた『移動祝祭日』はヘミングウェイのパリ生活を描いたスケッチだ)。暗殺指令が出たラシュディと自宅で厳重な警備の中、食事をしたこと。アーウィン・ショーと話をしにいったら、アメリカ人らしくいつも取り巻きに囲まれていて閉口したこと。人前に出ないことでは伝説的な作家、トマス・ピンチョンとも親交があること……。私も読んだことのある本がどんどん出てくるので、驚いた。南アフリカの作家、ナディン・ゴーディマは誤植にたいへん口うるさく、「242ページにだけは絶対にミスがないようにしてくれ」と何度も言われていたのに、よりによってその242ページに誤植が出てしまい、彼女と別れざるをえなくなったことを語ったときには会場から笑いがもれた。
第二部のディスカッションは最近芥川龍之介の短編集を編集、翻訳したハーバード大学元教授ジェイ・ルービンと、数多くの翻訳でおなじみの東京大学の柴田元幸教授を加えた三人で行われた。お二人は自分たちの仕事が「自己消去」と自分の解釈を出していくというアンビバレントなものであることを確認していた。そしてマシュラーさんも編集者の仕事も、黒子でありながら自分で選択して世に送り出すという点では、それはまったく同じだと語った。特に第二部では聴衆からの質問の時間がたっぷりとられ、とても風通しのよい会だった(約一名「爆発的な質問をする人」Byジェイ・ルービンもいたが)。
会を通じて印象的だったのは、マシュラーさんは聴衆の質問でも「わかりません」「知りません」「興味がありません」とズバズバはっきり言うことだ。おそらく、常に決断を求められる職業において、中途半端で思わせぶりな返事はしないというふうに自分を鍛えてきたのだと思う。つまらない作品は、たとえ有名な作家の作品でも、この作品は買えないとはっきり言う。そのかわり、おもしろいと思った作品のためなら、世界の果てまで飛んでいく。自分の好きなもの、自分がよいと思ったものだけに全力をつぎ込む。だから長いこと情熱を持ってやりつづけられたんだろうなあと思った。
ただ、「世界文学はこうしてつくられる」というシンポジウムのタイトルについては少し考えさせられるところがあった。おそらく、このシンポジウムは「世界文学」の現場の一例を提示する機会としてあったのだろうが、現今の状況だと英語圏への需要の成否でその作品が「世界文学」かどうかかなりの程度決まってしまう。マシュラー氏の輝かしいノーベル賞作家のリストは、逆にそうした現実を如実に表しているのだろう。まさに、「世界文学はこうしてつくられる」というわけだ。しかし、ノーベル賞を獲ったからってべつにその作家が「偉い」かどうかは全然別の話なわけで。過去にノーベル賞獲った作家で今全然見向きも知れない作家もいるし、ノーベル賞獲ってなくても超スゴイ作家もいるように、英語圏で評価されるかどうか、翻訳されるかどうかがすべてではない。ただ、今はその尺度があまりに強力すぎるから見えにくくなっているだけということはあるだろう。
いくら大きな窓でも、一軒に窓がひとつしかなかったら退屈じゃないですか? 今度はそういった視点を相対化するような仕掛けも欲しいと思った。ならどういう「世界文学」があるのだろうか、という疑問への答えは現代文芸論専攻の人の宿題ってことで考えていきたいです。
|