柴田元幸教授退官記念イベント

「世界文学朗読会」+「柴田元幸さんを囲む夕べ」

現代文芸論博士課程 今井亮一

開催日:2014年3月31日(月)
場所:山上会館

2014年3月31日(月)、東京大学・山上会館にて「世界文学朗読会」と「柴田元幸さんを囲む夕べ」(祝賀パーティ)という柴田元幸教授退官記念イベントが開かれた。東大教授の退官イベントと言えば、真っ先に想像されるのは最終講義だと思うが、こちらは22日(土)の東京大学英文学会総会にて、「21世紀のアメリカ小説」という題で行われた。柴田先生ご自身の翻訳を振り返りつつ戦後から現代に至るアメリカ文学史を概観し、さらにはブライアン・エヴンソンの朗読まで披露されるという、いかにも柴田先生らしい最終講義の内容をここで紹介する余裕はないが(詳細は『MONKEY』3号に掲載)、この講義の原案とも呼べる研究ノートは、現代文芸論研究室の論集『れにくさ』5号・柴田元幸教授退官記念号で読むことができる。31日はこの『れにくさ』刊行記念も兼ねたイベントであった。……と、妙な前置きが長くなってしまったが、英文と現文でそれぞれイベントが催されるという柴田先生の偉大さが確認できたところで話を戻そう。

「世界文学朗読会」は、主催者で司会者の柴田先生が、何とネクタイも着けず、「たまには組織に忠誠を示そう」という高尚な意図のもと東大文学部Tシャツ&文学部パーカーという姿で登場、満席の会場を湧かせて始まった。会の概要は簡明で、作家や研究者の方々が自身の作品や翻訳の中の「とっておきの文章」を朗読するというものだ。僕の拙い文章で内容を要約しても当日の朗読の素晴らしさは伝わらないので——例えば佐藤良明先生のハーモニカ片手に歌いだすピンチョン訳や、管啓次郎先生の詩人でパフォーマーならではの詩の朗読を文字で伝える方法は分からない——資料として朗読者と作品を一覧にして書いておきたい。(敬称略で失礼する。)


阿部賢一:ボフミル・フラバル「美しいポルディ」の最初と最後(訳しおろし。原典は『もう住みたくない家の広告』に所収)


畔柳和代:キャロル・エムシュウィラー「おばあちゃん」の後半部(『すべての終わりの始まり』(国書刊行会)に畔柳訳で所収されているが、今回は朗読会用特別バージョン)


David Peace:“Before Ryunosuke, After Ryunosuke--”より(英語版Monkey Businessの4号に所収。実は『れにくさ』5号3巻にも所収。邦訳は『Monkey』3号に所収)


佐藤良明:「レニクサの歌」2番(初演。1番は『佐藤君と柴田君の逆襲!!』に所収)+トマス・ピンチョン『重力の虹』§58より(佐藤訳、ついに今年刊行!?)


加藤有子:ブルーノ・シュルツ「春」(訳しおろし)


柳原孝敦:ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』より(柳原先生がこれまで訳してきた中で「最も分からなかった」という一節)


辻原登:「ジャック・ロンドン&柴田元幸」より(『れにくさ』5号1巻所収)


小沼純一:パスカル・キニャール「足のあいだのヴァイオリン」(訳しおろし。フランス版Vogue, 1989年12月号のムスティスラフ・ロストロポーヴィチ責任編集の部分より)


沼野充義:ヴィスワヴァ・シンボルスカ「かもしれない」+アモ・サギヤン「こんな風に生きる」(一篇目は聴衆の皆さまへ+二篇目は特に柴田先生へ)


管啓次郎:「スティーヴン・クレイン小詩集」より(『れにくさ』5号に所収)


柴田元幸(飛び入り):I. A. Ireland, “Ending for a Ghost Story”=I. A. アイルランド「幽霊ばなしのためのエンディング」(『MONKEY』3号に所収。『れにくさ』4号の柴田「I. A. Irelandとは何者か」もぜひお読みいただきたい)


持ち時間が1人8分という制約の中、朗読者の皆さんは柴田先生にまつわるエピソードも紹介して下さった。例えば阿部先生はポール・オースター『孤独の発明』の翻訳との出会いを、畔柳先生は朗読されたエムシュウィラーを柴田先生に教えてもらったというエピソードを、加藤先生は(英語からの)柴田訳「七月の夜」から見える清新なシュルツ像を、小沼先生は『ロック・ピープル101』や多分野交流演習の思い出を、そして管先生は朗読や演劇におけるパフォーマーとしての柴田元幸を語った。

散文的なまとめになってしまったが、作品の一覧からも分かる通り、19世紀から21世紀に至る世界各地の多彩な文学を一気に楽しめる、現代文芸論ならではのイベントであった。また、別の言い方をすれば、辻原さんやピースさんのような自作朗読から第一線の研究者による翻訳までを一気に楽しめる朗読会であり、正に、研究者・翻訳家・編集者と境界を横断して活躍される柴田先生主催ならではのイベントであった。領域を軽やかに飛び越える柴田先生のヴァイタリティの凄さ(←これは当日まで現文助教だった加藤先生の言葉を借りている)が、現代文芸論という場に見事マッチしたイベントだっただろう。

朗読会後は祝賀パーティとなり、柴田先生を慕うたくさんの方々が集まった。総勢9名に及ぶスピーチでは、翻訳家・研究者・編集者・教育者・副研究科長・スーツを着ない人・前世は亀・豚汁が好き、などなど、先生の様々な側面に関するエピソードが紹介された。そんな柴田先生は中野学而先生とタッグを組んで(そこに佐藤先生も乱入、もとい、加わって)熱唱し、盛り上げた。
 学生からは記念品として御名前入り原稿用紙1000枚、猿ラベルのワイン、猿の文鎮(「見ざる聞かざる言わざる」の一頭ではなく「反省せざる」という猿)の3点セットが贈呈された。編集されている『MONKEY』やMonkey Businessに因みつつ、これからも面白い翻訳を次々に出してほしいという願い(と無言のプレッシャー)が込められている。また研究室からは鉛筆と鉛筆削りのセットが贈られた。これは、「芸術は長く、鉛筆は短し(Ars longa, plumbum brevis.)」という新たな格言を意味し、これからも面白い翻訳を次々に出してほしいという願い(と無言のプレッシャー)が込められている。

パーティの最後では、柴田先生がスチュワート・ダイベック「ファーウェル」(『シカゴ育ち』所収)の朗読を披露し、一同が静かに聞き入った——

つぎはどこなのか見当もつかんよ、と彼は言っていた。でもね、ひとつの場所にとどまっていると、いずれ遅かれ早かれ、自分が属す場所がもうなくなってしまったことを思い出すんだよ、と。そして彼はファーウェルに住んだ。さようなら(フェアウェル)、と言っているような名前の通りに。