いまを覆う、外なる、内なる廃墟。海洋交通によって開けた「近代」という前進する歴史の逆説。海を統括することで大陸原理による世界支配を数世紀にわたって続けた国家の逆説。それらを痛苦とともに負って、歴史を海の姿に反転させること。陸上に具現された秩序や体系ではなく、海面下に沈められていた統一と共鳴関係を歓喜の記憶の波打ち際に浮上させるために。
(「海の凡例」、p.iv)
群島のヴィジョンへと導かれるためには、なによりもまず、私たちの思考を海という流体を媒介にして空間的に拓いてゆく想像力が不可欠となる。近代の知の慣性的な認識作用のなかで、強く時間化されてしまった私たちの歴史意識を、あらたに珊瑚の海へと突き落とし、大洋と汀にはたらく水の攪拌と浸透の力によって空間化すること。意味の発生を、過去と現在を結ぶ通時的因果関係と合理的な説明体系に求めるのではなく、空間的な可塑性をもった具体的な広がりのなかでのものごとの偶発的な出逢いの詩学的な強度に求めること。このようにして私たちの目の前にあらわれる群島地図は、近代の時間性のなかで成型された歴史と記録への抑圧を、豊かな記憶と声がおりたたまれた場所への想像力へと解き放ってゆくだろう。
(「7 南の糸、あるいは歴史の飛翔力」、pp.77-8)
"Ici-là"の水平性と"Ici-dans"の垂直性は、まさに大いなる群島世界を流れる川が合流と分流をくり返しながら海へと下るように、想像力の刹那において出合い、分かれ、そしてふたたびかならずどこかで出合うのだった。固有の領土をここという場に限定して独占的に所有し支配する大陸的な欲望からもっとも遠く離れたところで、ここと彼方の場所との持続的な対話があげる「反響-世界」の声……。そのくぐもった不明瞭な声こそを、私たちはフォークナーやグリッサンの耳を介して世界から聴き取ろうとしているのである。
(「1 デルタの死者たち」、p.34)
カリブ海の詩人たちは、どこに生まれようと、ついには群島的な出自を持つにいたる。それぞれの故郷である固有の島にたいする生得的な帰属は、あるとき、より広汎で接続的な、カリブ海島嶼地域全体にたいする帰属意識へと置き換えられる。そして彼らの住み処はこの多島海、この群島全体にひろがってゆく。個々の島々の景観、植生、動物相、人々の相貌や暮らし向き、話されている言葉といったものの差異は、そのとき二義的なものへと後退する。ただ「歴史」だけが、いや「歴史の不在」だけが、島々をつないでおり、その自覚によって、詩人たちは新しい家を得る。群島という家。その家は、もはや大陸の家のように旅に疲れた魂がその羽を休めるための安住の場ではない。それはむしろ、詩人をさらなる旅に駆り立て、歴史の不在にむけて自らの生存を突きつけるために赴くあらたな戦いの場である。生まれ故郷の島は、その群島の一角にあり、彼らの帰還をいつも待っている。彼らが帰郷者としてではなく、新たな難破者として戻ってくることを。すでに難破者の末裔として生まれ、難破者として離散の途についたのであれば、帰郷は永続的な難破の経験とてしか起こりえないからだ。それが詩人たちの生きる真実であり、彼らが歌う真実でもあった。なぜなら、すでに彼らは固有の出自に守られた世界の輪郭を蹴破って出奔し、時の波浪にもまれながら、ついに群島の子供として転生したからである。終わりなき群島から群島への旅の途上で、島へとたちもどるかつての嬰児たちの陽に焼けた顔を、それぞれの島は待ちわびている……。この島々の持つ期待こそ、群島の感情であり意思である。
(「8 名もなき歴史の子供」、pp.176-7)
ハイ・ブラジルも、パイパティローマも、そしてイオドも、人間の共同体が精神の均衡を絶望的に求める衝動に発する、蜃気楼のような観念の島だった。それはたしかに理念の産物ではあったが、それが島の徹底的に具体的な生活感情に根ざしているという意味では、群島が必然的に生み出す感情複合体のなかのかけがえなき具体物でもあった。苦く甘美な女謡の旋律が訴えかける強烈な声の具象性は、そのためである。
そしていまや、こうした異郷の楽園の島へのまなざしは、むしろ島から現代的離散の結果として遠く離れて異邦に住むディアスポラの島人とその子供たちによって、反転されようとしてもいる。アイルランドから、琉球孤から、そして済州島から、生まれ島を離れて現代世界の隅々にまで離散して生きる人々とその末裔たちは、ハイ・ブラジルを、パイパティローマを、そしてイオドを、どのような観念と具体性の配分のなかでいま幻視しうるのだろうか? 自らの離散した場所が、異郷に死すべく定められた彼らにとっての屈折したイオドなのだろうか? それとも、帰還し得ぬ遠き父祖の島こそが、すでに憧憬のイオドと化しているのだろうか? いや、生活への厳しい凝視のはての自己否定をのりこえて謙虚な生活への再帰をめざす還相回向(げんそうえこう)の軌跡がすでにディアスポラの民の移動経路に組み込まれているのであれば、現代の移民も亡命者も、もはやいわれなき郷愁に囚われることはないのかもしれない。現代的離散は、自らの島とその痛苦の分身の二重の放擲を彼らに求めることによって、第三の島を、未知の泡のなかから浮上する私たちの新たな住み処をあるがままに受け入れる流儀を創造しようとしている。それは同時に、生まれ島への透徹された愛を表明する、まったくあらたしい作法でもありうる。
(「11 ブラジル島、漂流」、pp.273-4)
あるとき、ひとつの固有の年が群島のような姿をとって私の認識地図の海原のそこここに忽然と浮上することがある。いくつもの出来事がひとつの同じ年に収斂して生起すること──「歴史的同時現象」とふつう呼ばれているこの出来事は、だがむしろ、それが空間的な多様性を持った偶発的な同時性とともに生起したという地理的事実によって、私の想像力を豊かに刺激する。「時代」という暦の支配者の見えざる操作によってそれらの同時並行現象の隠れた連関を説明する歴史的言説は、私をかえって頑なな反歴史主義者へと変節させるだけだ。なぜなら、均質で空虚な時間を満たすために招集された過去の出来事の蓄積である歴史の光景のなかにこの同時性の群島的展開をあっさりと従属させてしまうならば、出来事はすべて過去の通時的な因果関係と影響関係の問題へと還元されてしまうからである。だが、時の群島の出現とは、むしろ私たちの「いま」が希求するアクチュアリティの意識においてはじめてその深い通底の谺を響かせる、徹底して現在時の現象なのではないか。暦年から通時的な歴史の文脈をはぎ取ったあとの、きわめて抽象的なその数字の並び合いのある瞬間に、偶然の閃きのように、世界という海のあちこちに時を同じくして浮上する島々──。それらの時の島々がいまこの現在時において、不意にあるアクチュアリティの相のもとに未知の群島=星座をかたちづくるとき、表層の歴史の因果関係を超えた時の航跡による海図が、新たな「発見法」のための地図として私たちの前に到来する。
(「14 1922年の贈与」、pp.323-4)
詩が大陸から切断された島であるのなら、無数の詩の言葉を紡ぎだす言語、すなわち詩人のもつ「薄暗い、宿命的な」舌とは、そのまま群島にほかならない。離れつつ、結びあう。記録された文字ではなく、ダイアレクトで染まった声の痕跡をつねに残してゆく。ユートピアが果てるところに浮上する。死者たちが出遭う界面に生まれ出る。陸と海を、動と不動を、同一性と差異を、いつでも反転させる……。(・・・)ヨーロッパの植民者たちは、大陸から船出して未知の島へとたどりつき、上陸してその汀の砂に征服旗をたて、彼らの名と王や女王の名を砂の上に刻み、その名は永遠のものとなった。群島の詩人たちは、西インドから、インドから、東アジアから、アフリカから彼らの群島の汀へと漂着し、トネリコの杖かモクマオウの枝を持って砂上に名を刻んだが、海はその痕跡をたちまち洗い流してしまった。だが、この書いては抹消されるという出来事が、書かれた歴史の不在をもたらし、逆に群島人たちの身体の内部に書きとめられていた関係性の記憶を守りぬくことに貢献した。その豊かな記憶の声は、いまも汀の砂に刻まれつづけている。波がそれを洗おうとも、だれかがその無数の名前の痕跡を上書きし、次の者へと伝達する。潮の満ち干は、この間欠的な記憶継承運動のリズムである。
(「20 私という群島」、pp.488-90)