現代文芸論研究室 夏合宿レポート2011

トドロヴァ・アルベナ関 大聡落合 一樹

現代文芸論 外国人研究員 トドロヴァ・アルベナ

 日本に来るまでに合宿という単語に対してぼんやりとした、窓から海辺が見える明るい教室にて大勢で面白そうに話をしているイメージしか持っていなかった。とはいえ、ブルガリアに合宿のようなものが全くないからではなくて、「合宿」というのはサマースクールではない、単なるセミナーではない、日本独特のものだと大学の先生や先輩から聞いていたためである。日本に来て現代文芸論研究室のみんなから「合宿とても楽しいよ、ぜひ参加してね」とよく聞いていたから、幹事のOさんから合宿のお知らせが研究室のメーリングリストに回ってきたときとても嬉しくなって、合宿へ参加させてもらうのが楽しみだった。そこへ幹事から新たに連絡がきて今度は発表しないかという内容のとても断りにくい丁寧なメールだったので、合宿の楽しみが倍増した上に緊張感も少し加わってきた。
 今年の合宿は5回目だそうで、会場は千葉県の白子。日程は7月11日と12日。合宿直前までばたばたしていて白子というのはどんなところか調べておくことすら忘れてしまって、会場へ向かうバスの中で海が近いところと聞いて「やった!」と思った。憧れの窓から海が見える教室で勉強ができるんだと。
 会場に着いて休憩して早速勉強会スタート。勉強会は1日目の午後と2日目の午前中で、皆さんの発表もその後の議論も面白かった。すべてとてもよかったが、特に刺激になったのはTさんの遊園地に関する発表で、その後の議論は印象に残った。事前に皆さんのテーマについてもっと予習してくればよかったのにと反省もした。
 1日目の勉強会が終わって夕食前に海辺まで散策してきた。実は大陸で育った私には太平洋というのがとても怖くてそれと同時にとても惹かれる存在でもある。そんな不思議な大洋と夕日の紅葉色を帯びた夕空をバックグラウンドに水際に並んで仲良くお話をするMさんとIさん、もう少しこちらに近いところでしゃがんだまま何か考え事をしている幹事(幹事さん、お疲れさまでした!)、あそこらへんで海水遊びして騒いでいるKさんたち・・・合宿というのはこんなことなんだ、二つの学期の間に一息つく、自分のやってきた道を見つめ直す、忙しい毎日を都会に置いてきてじっくりとみんなで時計合わせをする、こんなことなんだ。
 しかし、こんなことだけではなかった。夕食後のコンパでギターを弾いてみんなで歌を歌ったり、楽しくお酒を飲んだりお話をしたりして、いつの間にか砂浜で花火しようという話が上がってくる。昨年の合宿レポートを拝読すると、砂浜の火遊びは現代文芸論の合宿の恒例となっているとのことだが、どこかカーニバルの気分があって楽しかった。
 翌日は朝から勉強会。自分の発表が最初で宿酔いがまだ多少漂っていたようだが、聞いてくれてコメントをくれた皆さんに感謝を申し上げたい。分野が離れて普段あまり顔を合わせる機会のない皆さんと交流ができてとてもよかった。留学生の皆さんにもう少し積極的に参加してほしいなとも思った。
 夏の合宿は学問の上だけではなくて、日本の大学生活を体験するという意味でもとてもいい勉強だと思うので、今度機会があればまたぜひ参加させていただきたい。また帰国したらソフィア大学日本学専攻の学生たちと一緒にブルガリアで合宿の実施をやってみたいが、その際ご助言やアドバイスをいただけたら幸いである。

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現代文芸論 修士1年 関 大聡

 いつだってそういうものだと思いますけど、合宿には人為ではコントロールしがたい不思議な出来事が起こるのです。今回の場合は、「開催地をどこにするか?」というところからそれはもう始まっていました。そうですね、震災です。自粛ムードのなかで観光業全体が打撃を受けているという事態を前に、合宿地を東北にすべきかという意見も真剣に取り沙汰されましたが、関東圏開催という例年の慣習と費用を鑑みた結果、太平洋寄りでかつ交通の利もある白子の地に落ち着いたわけです。結果はどうあれこのような議論に我々の意識が向うこと自体に意味があるのではないでしょうか。また、合宿の幹事が当日遅刻するという不思議な出来事も起こりました。筆者はその件について口を開くべき立場にはありませんので、次の点を述べるに留めたいと思います。あれも人為ではないのです、一種の人生病なのです……。
 白子はテニスコートが多く、海にごく近い理想的なリゾート地です。そこで取るものもとりあえず我々が始めたのは勉強会。まず順調な滑り出しだと言えます。やや短気で極端に走りがちなきらいのある空調に苦しめられながらも、一日目は四人の発表者の報告について議論しました。まずは最も若手、四年生による「ピンチョンの『ヴァインランド』を読む」。前年に引き続き発表を担当してくれた報告者に、一年間の成長を見出す方も多かったのではないかと思います。いくら研究室を共にする仲間とはいえ、同輩が日頃どのような問題意識をもって学問に接しているのかは中々わからないもの。逆にここで反省点をまとめてしまうと、議論が学部生にまで波及することがあまりなかったため、もっと巻き込むような形にしてもよかったかなとも思います。つづいて博士一年の発表者による「遊園地の文化、遊園地の文学」。同氏は二年前にも遊園地にかんする発表をしてくださったのですが、そのときよりもさらに間口が広く、広範な視野からの発表へと深化したものだったように思われます。議論にも相当熱が入り、さながらテーマパークに遊ぶかの如き様相を呈していた……というと陳腐に比喩に過ぎるでしょうか。さて、休憩をはさんで「アンジェラ・カーターの作品における異類婚姻譚のテーマについて」。こちらは都合により修士論文の中間発表に参加できなかった方による発表のため、とりわけ先生方からの意見をうかがうことになりました。その疑似修論中間発表的な空間に接することで、我々も大学院の指導の在り方を知る貴重な機会になりました。そして最後には今年他大学から修士に進学された方による「『トリストラム・シャンディ』における透明なものと不透明なもの」。こちらも卒論で取り扱った内容の披露になりましたが、作品における「透明性」と「不透明性」を切り分ける解剖学的な明快さを俎上にした議論には、筆者も興じながら参加したことを告白せざるをえません。総じてみると英米文学寄りの発表が多かったのですが、議論自体は参席者の皆さんの多様な意見を投げ交わすものとなり、現代文芸論らしさが出たのではないかな、と思います。暑かった方も寒かった方もお疲れさまでした。
 短い休憩を挟んだのちに夕食(ボリュームが好評)、めいめい空き時間を利用しての温泉(広い! というか貸し切り)、など自由な時間を過ごしながら、寄るには三々五々パーティー会場に集まります。こちらについては相方幹事に委ねたいと思っていますが、一点指摘しておきたいことがあります。お暇な方は現代文芸論のウェブサイト、「トピックス」の「2010年度」→「合宿(8.5)レポート」をご覧ください。前年度の幹事の方割れのレポートに次のような記述があります。「食堂の片隅でOくんと高田渡「生活の柄」を唱和しつつ、「コード4つだけなんとか覚えて、次の機会に弾いて歌おうかな…」などと現実味のないことを考える。」現実味のないことではありませんでした。我々は「ありそうもないこと」が起きてしまう、という事態を目の当たりにしたのです。これもまた天の采配というべきでしょうか……。けだし合宿とは二度三度と繰り返し参加してみて味のわかるものなのです。
 さて二日目も朝イチで勉強会。まずは外国人研究員の方による「対人関係における『或る女』――『アンナ・カレーニナ』との比較の試み」語り手や作中人物の対人関係に主眼を置きながら、作品構造を解きほぐしてゆく過程は、語学的な能力の完全さもあってとても勉強になる発表でした。そして朝のトップバッターをつとめていただけたことについても感謝の念に堪えません。そして最後の発表は修士学生による「差別と禁忌:身体表象の現在」。タイトルの問題性が示すように最も議論を招いたこの発表においては、脳科学や現代の身体論へとアプローチしながら、身体を「表象」するということが如何にして可能であるか、というテーマが検討されました。筆者が前日に部屋でひっそり伺ったところによると、議論することがタブー視されている領域に光をあてることそれ自体が発表の目的とするところであり、それならば思わず延長してしまった議論は大成功を収めたと言って過言ではないでしょう。おかげで帰りのバスはぎりぎりでしたが。
 細部に目を向けず大まかな合宿の流れのご紹介ということになりましたが、細部には細部で参加者のみなさんなりの物語があったのだと思います。そこには立ち入らないようにしましょう。神は細部に宿ると言いますが、この喧しい世のなかでは神とはいえプライバシー権くらい尊重しているでしょうので。

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現代文芸論 修士1年 落合 一樹

 合宿の幹事をやらないか、と声をかけられたときはずいぶんと簡単に引き受けてしまった。去年までいた学校でも夏休みに研究会で合宿というのをやっていて、それはもうたしか二十数年くらいも毎年同じ場所で同じことをやる習慣が確立していて、合宿係はいくつか事務的な仕事をするだけで、とくべつ責任ある決断を下したりはしない楽な仕事だったから、そんな感じなのかと思って気軽に引き受けてしまったのである。いざ仕事を始めてみるとなかなか大変、参加人数は多いし、何より、思ったよりも幹事がいろいろと考えたり決めたりしなくてはいけない。何せまだ今回で5回目の現文合宿、このレポートを書く参考にと現文のHPで過去の合宿レポートを見てみても、まだまだ歴史が浅く伝統として確立していない、ということがよくわかった。でも、そこが現文らしくていいと思う。まだ慣習化されたルーティンがないから、いちいち何をどうするか考えなくてはならない。伝統を新しく創らねばならない。
 それはディシプリンとしての「現代文芸論」についても言えることだろう。いまだに誰も「現代文芸論」というのがどのような学問なのか知らず、その全貌はいつまでたっても不詳なのだから、我々現文の構成員がそのつど「これも現代文芸論である」とささやかな自己定義を繰り返し続けない限り、「現代文芸論」なるものは砂上の楼閣のように実体を失ってしまうことだろう。というわけで、私も発表させていただいた合宿の勉強会は年に一度の自己規定の儀式なのである。ある決まった研究対象や方法論を採用することによってではなく、皆がそれぞれ「現代文学とは何なのか?」を考えることによって規定される「現代文芸論」。だとすれば、先ほど「構成員」などと書いたけれど、べつだん学籍上現文に所属している人だけでなく、たまたまその場に居合わせた人たち全員が「現代文芸論」を規定して、伝統を創っているのであり(イメージとしては福岡伸一の言う「動的平衡」みたいな感じ)、外部からも参加者がいらっしゃる合宿はその意味でも現文のありかたを象徴しているように思われた。
 今年の勉強会のプログラムは現文らしいヴァラエティが出せず、少し英米文学にテーマが偏りすぎたかも、というのがプログラムを組んだ者としての反省であったが、それぞれ「遊園地」と「脳と身体」についてお話されたTさん、Iさんの発表は軽々しく国境やジャンルを超えた興味深い内容で、合宿においてはこのような一般的な内容の方が誰でも議論に参加できてふさわしいのかもしれないと思った。逆に言えば、現代文芸論研究室の性格上、皆の基礎知識がどうしても一致しないので、個別の作家・作品について発表する場合は、それについてまったく知識のない人にも伝わるためにどう工夫をするか?というのが今後の(私を含めて)現文の課題だろう。
 しかし、より雄弁に「これが現文だ」と自己定義しているのは夜の飲み会の方かもしれない。奇しくも7月11日は柴田先生の誕生日。そのことに気がついてケーキを購入し、みんなにクラッカーを秘密裏に渡して先生を待ち構えるところまでは首尾の良かった幹事であったが、クラッカーをバンバンと鳴らした後に何をすべきかまったく考えておらず、柴田先生も寝起きで何が起きているのかよく理解しておられず、火薬の匂いの立ちこめる暗闇の中でただケーキにさしたロウソクの炎がゆらゆらと揺れるばかりであったが、ありがたいことに誰からともなく「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー♪」と合唱が始まったものの、「ディア」の後をアメリカンに「モトユキ〜」と歌うのか日本人らしく「シバタセンセイ〜」と早口で歌うのか集団的合意に至っていなかった我々の合唱は「ディア・ムニャムニャムニャ〜」と曖昧に闇の中に消えて行き、何ともうやむやな始まりとなってしまったのだが、野谷先生による乾杯で仕切り直し。その後は何の秩序もないのになぜかうまく行く、という現文らしい宴会。すでに伝統となっているらしい演奏会(と言うほど秩序があるわけでもなく、歌っている人とそれを取り囲んでいる数人、という感じだが)では、柴田先生はビートルズやニール・ヤング等々の歌を披露し(来年はぜひ、はっぴいえんど and/or 細野晴臣の曲をお願いします!)、野谷先生やOさん、Rさんも代わり代わり歌と演奏を聴かせてくれた。新たな伝統とするべく百均で購入して持ちこんだタンバリンも大活躍したが、そういえばあれはどこへ行ったのでしょう?そこで楽しくsing-alongしているところまでは元気だったが、私は幹事やら発表やらで疲れていたようで、浜辺へ花火をしに行ったあたりから記憶が怪しく、宿に戻って来るとすぐに寝てしまった。朝起きて宴会場に行ってみると、きれいにまとめられたゴミ(とKさんの靴下)しか残されておらず、片づけをしてくださった方々に改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 遅くまで飲んでいても、次の日は朝からちゃんと勉強会をするところも現文の若々しいエネルギーが発揮されていて素晴らしいと思う。勉強会が終わると慌ただしく解散。あっという間だったけれど充実した合宿だった。居残り調査の結果、行方不明となっていた2台の携帯電話も見事に発見され、とりあえず無事に終わって何よりであった。

 4月に現文に来たばかりで右も左もわからない僕が何とか合宿幹事を務められたのは多くの方々の協力のおかげでした。とくに一緒に幹事として働いてくれたSくん、丁寧きわまりない「ネコでもできる合宿幹事マニュアル」を作ってくれたKさん、集合場所に幹事がいないというまさかの展開に対応して下さったIさん、柴田先生の誕生日のサプライズ担当大臣として働いて下さったKさん、地元住民として買い出しに協力していただいたNさんとそのお母様、何かとサポートして下さった教職員の方々、本当にありがとうございました。

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