2007年度研究発表合宿を振り返って

現代文芸論D1亀田真澄

 2007年7月14日から15日にかけて秩父「宮本屋」民宿で1泊2日の研究発表合宿が行われた。参加したのは、柴田元幸教授、沼野充義教授、毛利公美助教、テッド・グーセン教授、スラヴ文学研究室のタチヤーナ・スニトコ先生をはじめとして、学生・院生が25名。研究室自体が今年4月にできたばかりなので何をしても「第1回」という冠がついてしまうわけであるが、その記念すべき(!)第1回の幹事をさせていただいた。そもそもの始まりは研究室で、スニトコ先生から旅行の話を聞いていたとき。私たちもどこか行きたいね、などと喋っているなかで、じゃあ研究室で合宿にでも行けばいいんじゃないかと話を大きくしてふざけていた。この思いつきに現実味を与えたのが6月14日に行われた卒論説明会の場。4年生から夏季休暇前に卒論の中間発表を行いたいとの要望があり、それが合宿の話と重なって、いつの間にか「言いだしっぺ」の私が幹事を引き受けることになったのだ。

 日程を決め、毛利さんと相談しながら宿泊先を仮予約したのが、卒論説明会の1週間後。さっそくアナウンス作成に取りかかる。普段さまざまな分野で研究している人たちが出会う場所としての現代文芸論研究室のキャラクターを生かすため、アナウンスの最後には「学科は問いません」と記してみた。すると学科どころか学部・研究科を超えてたくさんの学生・院生のみなさんから連絡をいただき、参加者は日に日に増え、出発の前日には30名にものぼった。現代文芸論は決して大所帯の研究室ではないのだから、これはありえない事態。このあいだで特に嬉しかったのは、ちょうど7月14日にカナダへ一時帰国することになっていたテッド先生から、合宿に参加するためにチケットの日付を変更したとの連絡を受けたことだった。「新しい学科の、初めての合宿なんて、メモリアルな行事だからね」と、テッド先生。

 民宿の1階はコンパ室と名前が付いていて、会議等には適さないと聞いていたため発表用には近くの会議室を予約しておいたのだが、実際着いてみると思っていたよりもずっと広くて、綺麗! また外はあいにく台風の近付く大雨だったこともあって、満場一致、いかにも古民家といったふうの囲炉裏や箪笥がどっしり構える畳の間にちゃぶ台をならべて、私たちは発表の場を設けることにした。

 発表は4年生たちが1人20分の持ち時間で行う卒論中間発表6本、若手研究者による研究発表4本と、1泊2日のスケジュールのなかに詰め込むにはかなり盛りだくさんだった。中間発表は「トーマス・キングとネイティヴフォークロア」と題されたカナダ文学研究から始まって「揺れる物語―とりかへばや物語を中心に」ではジェンダー・スタディーズに触れ、「イェイツの捕まえ方について」で日本の能がイェイツに与えた影響についての比較研究、「イタリアを訪れる作家たち」で外部からつくられる国家のイメージ、「カルヴィーノにおける『制約』と『越境』のメカニズム」ではイタリア文学、「戦争文学とその翻訳の伝えるもの」で翻訳論について扱うなど、まさに多岐にわたるものである。沼野先生のゼミ発表の代わり、という名目で私も参加させていただいた研究発表のほうでは、助教の毛利公美さんが「売れる本の作り方―現代ロシア探偵小説をめぐって」で現代ロシア探偵小説を分析しながら大衆文化の研究方法について教えてくださったほか、研究生の藤井光さんは膨大な資料に基づいてアメリカ文学についての博士論文の内容と今年の研究予定を、博士2年の秋草俊一郎さんは「『報せ』における二度の翻訳」という題でナボコフの作品の翻訳論について話をしてくれた。専門分野も既習外国語も、研究してきたディシプリンすらおそらく同じではない人たちの集まる場であったが、そのためにレスポンスも非常に多彩で、各々が自分の知識と思考を総動員して発言しようとする活気に満ちていた。学生の立場からすると自分の専門範囲ではないために質問しやすいことも、またあまりに自分の専門範囲とかけ離れているために、逆に自分がよく知っている分野へと引きつけて発言しやすいということもあったかもしれない。こういったことは専門分野の狭い集まりのなかでは経験しにくいことであるし、そんな多様さを全体として受け止めてしまう姿勢は、現代文芸論らしくていいと思った。

 長時間にわたる真面目なセッションのあとには、盛大な飲み会。沼野先生が持ってきてくださったワインを次々とあけ、柴田先生とテッド先生によるギターセッションに酔いしれる。午前3時まで続いた宴では早くも第2回研究発表合宿のアイディアが飛び交っていた。合宿がこのとても若い研究室の「伝統」のひとつになるかどうかは未だわからないが、今回のように濃密でとにかく楽しい時間がふたたびやってくることを、私はすでに楽しみにしてしまっている。

 

 最後になりますが、的確なアドバイスで合宿を成功に導いてくださった先生方と毛利さん、列車係を買って出てくれた中島くん、そしてしっかり者では決してないのんきな幹事をいつも助けてくれた学生、院生のみなさんにこの場を借りて感謝します。





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参考までに当日のスケジュールを以下に掲載します。

 

7月14日(土)


11.15   西武池袋駅改札前集合

 

    11.30 池袋駅発(レッドアロー号「ちちぶ13号」)

    12.48 西武秩父駅着

     →送迎バスで「西谷津温泉 宮本の湯」へ


14.00  研究発表会(浅羽麗、鯉沼智保、大隅亮、中島薫、藤井光、亀田真澄、毛利公美)


18.00  温泉など 


19.00  夕食(BBQ)


21.00〜 コンパ/自由時間 


                    

7月15日(日)


08.00  朝食


10.00  研究発表会(黄地登志子、松本明子、秋草俊一郎)


12.00〜 昼食、解散 

 

    13.25 西武秩父駅発(レッドアロー号「ちちぶ26号」)

    14.16 池袋駅着






卒論合宿の感想

現代文芸論4年 鯉沼智保

 ボールとシューズと大量のタオル&着替え。今まで合宿に持っていくもの、と聞いて思い浮かべるのはこんなものだった。中高の部活も大学のサークルもバスケ一筋の僕にとって、合宿とはイコール「死ぬほどバスケする機会」。大学のサークルに入って多少「死ぬほど飲む機会」にもなってはいるけれども。いずれにせよ求められるのが
体力であることには変わりない。
 しかし今回は違う。準備するもの、レジュメと参考資料と辞書。必要なのは、知力。勝手が違いすぎて戸惑うことばかり。たった10分発表するための準備段階でもう疲れを感じた。バスケ合宿なら後に疲れが残るものなのに。

 やはり自分の発表はへなちょこだったけれど、それでも中間発表させてもらえて良かったと思う。自分の考えていることを述べ、いろいろな意見を言ってもらえる機会はそうそうない。普段は詳しく聞くことのない、他の4年生や先輩たちの研究内容も知ることができた。
 特に自分に有益だったのは、論文に取り上げたいテーマに沿った作品をたくさん教えてもらえたことだ。自分ひとりでは限界があると感じていたので非常にありがたかった。3人寄っただけで文殊の知恵なのだから、ブンガクが専門の先生と学生が30人も集まっていると恐ろしい程の知恵が出てくること出てくること。夜のコンパのときにまで先生をはじめ様々な方から多くの刺激的な指摘や示唆をいただいた。ありがとうございます。
 この恩返しをするには、言っていただいたことを生かして何とかまともな卒論を書くしかない、と自分にプレッシャーをかけてはみるものの、なかなかどうして前途は多難だ。

 何だか合宿中ずっと真面目に過ごしていたような文章になっているけれども、もちろん偽りである。晩ごはんのジンギスカン(焼肉?)は満腹+αまで堪能したし、夜はここにはちょっと書けないくらい(笑)最高に楽しかった。いちばん印象に残っているのは、柴田先生とテッド先生のギターに合わせてみんなで歌っていたひととき。現代文芸論研究室の引力を感じた。次回は沼野先生がウクレレを披露してくださるそうで今から楽しみである。

 最後に、幹事の亀田さんお疲れさまでした。ちっとも手伝えない後輩ですみません。
 愛してます。





外(?)から見た現代文芸論——合宿に参加した感想

英文4年 浅羽麗

 座布団を重ね、その上に正座する自分。目の前にはちゃぶ台、座布団、そして錚々たる現代文芸論の先生方、研究生、学生、合わせて30人ほど。現代文芸論という学科がスタートして初の合宿である。囲炉裏のついた少し大きめの和室にて卒論中間発表会なのである。その一種異様な光景を眺めながら、ある意味、これが外から見た現代文芸論というやつなのかな、などと考えていると、柴田先生の「歴史に残る現代文芸論一回目の合宿のスタートです」という声がした。「え?!歴史に残る…そんな合宿の一人目の発表者が俺でいいんすか?俺、一応……英文なんだけど」という若干の恐縮と身の引き締まる思いで前を見ると、そこにちゃぶ台、そして現代文芸論。一人相対するは、自分。このシュールすぎる状況に、思わず苦笑してしまう。そうやって、やや緊張しながら発表を終えた。

 しかし、自分の発表を終えると、今度は逆にちゃぶ台側で、次の発表者の話を聞くことになる。現代文芸論にまぎれて。そりゃ当たり前だ、これは現代文芸論の合宿なのだから。しかし、そのようにしてちゃぶ台側から聞く発表者の話はどれも面白く、刺激的で、バラバラだった。様々な人が、様々な作品、地域、切り口について語る。それぞれの話を、みな真剣に聞いてる。同様にして聞いてる自分は、もはや現代文芸論を外から眺めてはいなかった。長丁場の勉強会が終わると、とりあえず部屋に引き返す人、真っ先にお風呂に向かう先生、とりあえず俺から煙草を奪って吸う先生、その行動パターンも実にバラバラ。この真面目さと自由さのバランスが心地よい。ロビーにて、数人とともに一服つきながら、発表する自分も、発表を聞く自分も、現代文芸論の中に溶け込んでしまっていたことに気づく。

 そして夜、飲み会。Tedと柴田先生のギター演奏が始まると、みな聞き入る。その後は銘銘何人かで固まり、話に興じる。そして好きなときに好きなように移動。そこに現代文芸論も他学科もなかった。なるほど、蓋しこれが越境か。ともかくも、この活気は得がたいものであると思う。これから先も、持ち続けてほしい魅力である。そして、このような「歴史に残る」(かもしれない)場に居合わせることができた縁と、受け入れてくださった現代文芸論のみなさん、そして幹事であるところの亀田さんに、多謝。