★ ★ 特別講義記録 ★ ★

トルストイ家の子孫たち

特別講師:ウラジーミル・トルストイ(文豪トルストイの玄孫/トルストイ記念館館長)

2008年7月23日(水曜日)午後4時 ― 6時
東京大学(本郷キャンパス)3号館7階スラヴ文学演習室

司会:沼野充義(東京大学文学部教授)

 文豪レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの玄孫にあたるトルストイ記念館館長ウラジーミル・トルストイ氏をゲストに迎えて講演会が行われた。講演は通訳なしのロシア語のみで行われ、会場には講演会に関心を寄せる多種多様な人が集まっていた。ひときわ響く大きな声で客席のひとりひとりに話しかけるように視線を送るウラジーミル氏の講演は、180年前に生まれた文豪の類稀なエピソードを紹介しながら、ロシア文学に関心を持つものすべてに興味深い話となった。会場では事前にパンフレットが配布され、その中にはウラジーミル氏の経歴と共に333人に及ぶ文豪の世界中に散らばる子孫たちの系図が細かく書き込まれていた。本講演のテーマでもある「トルストイ家の子孫たち」はこの文豪の妻と子供を中心に語られた。
 文豪トルストイの創作において、伝記的事実の重要性を語ることから講演は始められた。氏に寄ればトルストイにとって兄弟たちとの遊びにこそ人生の意義があり、母のイメージは後年まで文豪の作品に多大な影響を与えたという。文豪80歳の日記中、母を当たり前のように回想していた文豪にとって母親は文豪の精神的支柱として大きな役割を持っていた。
 また母と同様に氏が強調していたのは、妻ソフィヤ・アンドレーエヴナの役割であり13人の子供を25年に渡って生み育てたこと、そしてさらに30人を超える孫たちを育てたことの意義を語り、いわゆる悪妻説を一蹴しながら、彼女のレフ・ニコラエヴィチ本人に対する愛が文豪の死に至るまで変わらなかったこと、これまで多くの資料に当たったウラジーミル氏にとっての結論として彼女は誠実な人間であったことを語った。
 その後、話は妻ソフィヤとの間に生まれた子供達に移り、とりわけ次男イリヤ、六男アンドレイ、四女アレクサンドラ、九男イワンに焦点が当てられた。講演後の質疑応答では、ロシア文学史上の三人のトルストイの姻戚関係や、現在のメキシコのトルストイ熱、世界各地で出版されている新訳のことなどが語られた。聴講者の中からは、真実を追求し嘘を拒絶するトルストイの道徳的姿勢やラディカルな思想的態度が、現代世界の情勢や政治権力に対して鋭く批判的な意味を持ちうるのではないか、といった声も聞かれたが、館長はトルストイのそういった現代性についてはあまり関心がないようだった。話がドストエフスキーに及ぶと、氏はドストエフスキーが好きであることを認めつつも、やはり現代に必要なのはトルストイであり、なぜならトルストイは健康であり、ドストエフスキーは病的だと語っていた。

(中野幸男 スラヴ文学研究室RA・沼野充義 現代文芸論教授)