★ ★ 特別講義記録 ★ ★

ロシア文学における孤高の問題

講師:ワレーリー・チューパ博士(ロシア人文大学・歴史人文学部・文学史論学科・教授)

2008年7月18日(金曜日)午後4時 ― 6時
東京大学(本郷キャンパス)3号館7階スラヴ文学演習室

司会:沼野充義(東京大学文学部教授)、鴻野わか菜(千葉大学)

 ロシア文学・文学理論研究家であるワレーリー・チューパ博士(ロシア人文大学)をゲストに迎えて特別講義が行われた。講義・質疑応答は全てロシア語で行われ、会場に詰め掛けたロシア文学に関心を持つ人々は熱心にメモを取りながら耳を傾けていた。また、原稿なしで自由自在にロシア文学の具体例を引き出し、抑揚をつけながらダイナミックに語りかけるチューパ博士の講義は会場を魅了し、ロシア文学の学識の深さを示していた。
 チューパ博士は、ロシア文学における「孤高」の問題を扱うにあたり、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、チュッチェフ、ドストエフスキー、チェーホフなどの作品を中心として具体例を引きだしながら、「孤高」の問題の発生とその超克を19世紀に話を絞りながら論じた。
 「孤高」が18世紀に支配的であった「役割的」意識の権威に取って代わる心性としてロマン主義の中に現れ、その役割的意識と「孤高」の生み出す軋轢は、例えば後にドストエフスキーの「プロハルチン氏」の中に表現されたという。またロシア古典文学においてナポレオン像はオネーギンやチチコフの例にも表されるように「孤高」の偶像的な顕在化として表現された。「孤高」の問題は「自己の否定」から「自己の全体への溶解」へと拡大し、それは全体といかに関わるかという世界観の問題へと繋がっていく。また、ドイツ・ロマン派の作家ノヴァーリスの、あらゆる「非―私」は「私」の自己認識のためだけにあるという考えや、「自己」が「他者」なしに存在し得ないというバフチンの考えを引きながら、「孤高」の問題が独立したものとして存在するわけではなく、逆説的な依存関係の中に存在していることを示した。
 終了後には質疑応答で会場から盛んに質問が飛び出していた。質問の回答中、現代ロシアを代表する多才な演劇人であるエヴゲニー・グリシュコヴェツがチューパ博士のケメロヴォ大学時代の教え子であることが判明するなど、会場に訪れた人々を沸かせながら盛況のうちに幕を閉じた。また、終了後有志により歓迎会が本郷界隈の魚料理店で行われ、日本食を味わいながらチューパ博士は参加者より寄せられた様々な質問に答えていた。

(中野幸男 スラヴ語スラヴ文学研究室)