野谷文昭先生最終講義

見田悠子(現代文芸論博士課程)



2013年2月1日、立ち見もひしめく1番大教室で野谷文昭教授の「最終講義」が行われた。野谷文昭といえば、日本にラテンアメリカ文学を根付かせてきた翻訳者であり批評家。しかしそれだけではなく、40年以上ものあいだ大学の語学や文学のクラスで教鞭をとり、ラテンアメリカ文学の愛読者と研究者を育ててきた教育者でもあるのだ。

ボラーニョやバルガス=リョサ、ボルヘスを経由してシェイクスピアにも遡り、そこから一気にガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』の読みを披露するなど、「深読み、裏読み、併せ読み―ラテンアメリカ文学はもっと面白い―」の題に違わぬ無尽蔵の読みを示した講演は、読者と書物の動的な関係があってこそ文学が成り立つことを伝えていた。翻訳者としても、自分が成長すればかならず作品に新たな解釈が生まれ、改訳したいという衝動にかられるという。自由な想像力によって作品と戯れながら、後続に語る場所を開いて行くという清々しい語りであった。



「言葉を愛している」とドノソが指摘し、丸谷才一も「本質的に短編作家」ではないかとコメントを残したガルシア=マルケスの短編たちは、日本では『百年の孤独』の名声に隠れて見落とされがちだ。そこで野谷先生は『ママグランデの葬儀』と『エレンディラ』に収録された短編を掬い上げ、ボルヘスが提示するアイデアよろしく、さらなる重ね読みを誘発する複数のテーマに言及した。「最近のある日」の新訳の可能性を指摘する段では、「近いうちに」というあるべきタイトルにたどり着いた後には全体の読み直しをしたくなるし、「この世でいちばん美しい水死人」の読みにおいてチェ・ゲバラに言及するのであれば、彼の分身とも言われ海に消えたカミーロ・シエンフエゴス(今でも彼の命日には海に花が流される)にも想像は広がって行く。

パーティの2次会にて「先生に負けないように頑張ります!」と叫ぶ学部生を本当に嬉しそうに眺める姿が印象的だった。まだ聞き足りないと思わせ、今度は聴衆に能動的な読みをうながす。それこそが「最終講義」の意図だったのかもしれない。

講演に続く記念パーティにも多くの人が集まった。様々な方の心がこもった贈呈品のギターを手に、野谷先生がLa palomaCuando calienta el solを歌い上げたとき、黄色い歓声があがったことは言うまでもない。著書『ラテンにキスせよ』にかけた螺鈿の万年筆が研究室から贈られた際には、周囲の期待に応えてラテンなキスも披露された。こちらでは先生のカリスマ性と音楽の才能が遺憾無く発揮されたのである。