宝物 その14   (2014年8月)

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ヴィーラントと「全集」
宮田 眞治
(【言語文化学科】ドイツ語ドイツ文学専修課程;
【欧米系文化研究専攻】ドイツ語ドイツ文学専門分野

独文研究室の一角、ゲーテの全集・著作集がぎっしりと並んでいる書架の上のほうに一組の書物がこじんまりと並んでいる(写真1、2)。クリストフ・マルティン・ヴィーラント(Christoph Martin Wieland 1733-1813)の『著作集』(Wieland's Werke)である。1879年から翌年にかけてベルリンで出版されたもので、全40巻という、ヴィーラントの著作集としては現在に至るまでもっとも規模の大きなものである。

表紙写真1
表紙写真2
1879年版『著作集』。背後に並んでいるのは主として歴代の『ゲーテ全集』。

<啓蒙>の体現者

ヴィーラントといっても、始めてみる名前だという人も多いだろう。ゲーテに関心のある人ならば、共にワイマル公国に居を構え、18世紀後半から19世紀初頭にかけてドイツの文芸の一つの中心をなした人々の一人としてご存じかもしれない。さまざまな分野で数多くの作品を残したが、翻訳されているものは少ない。しかし、長編小説『アガトン物語』(私家版)『アブデラの人びと』(三修社 1993年)の義則孝夫訳1、インドスタンという架空の国に舞台を取った政治小説『黄金の鏡』(岩波書店「ユートピア旅行記叢書8」所収 1999年)の新井皓士訳、いずれも素晴らしい出来栄えで、翻訳者に恵まれた作家と言える。なかでも、世界を遍歴してきた「コスモポリット」にして哲学者のデモクリトス、「医学の祖」ヒポクラテス、大劇作家エウリピデスと対照させつつアブデラ共和国の住民の偏狭さと独善性を笑い飛ばす『アブデラの人びと』は、小都市アブデラを舞台に、蛙崇拝がもとでこの都市が放棄される結末までエピソードをつるべ打ちに放ちながら、哲学、自然科学、芸術、法律、宗教といった広範な領域の問題をあつかった諷刺文学・メニッペア文学の傑作である。息の長い哄笑の文学が多く翻訳されるようになった現代のほうが、素直に面白がることができるかもしれない。

ヴィーラント自身、優れた翻訳者だった。海外の文学を摂取することでドイツ文学を豊かにしようとする志向は彼の生涯を一貫している。彼の手になるシェイクスピアのドイツ語散文訳2 ―1762年から66年にかけて出版され、全8巻に22作を収録している―はドイツにおけるシェイクスピアへの熱狂を生み出した。またギリシア文学ではルキアノス、アリストパネース、クセノフォン、エウリピデスを、ラテン文学ではホラーティウスとキケローを―キケローは「全書簡」というかたちで―翻訳し、いずれもゲーテをはじめ同時代人に賞賛され、大きな成功を収めた。

また、長編小説というジャンルを刷新し(『アガトン物語』Geschichte des Agathon 1766)、ドイツ語による初めてのオペラ台本を書く(『アルケステ』Alcheste)など、さまざまな形式の実験にも意欲的に取り組んだ。1770 年にはフランスの雑誌「メルキュール・ド・フランス」を範とした雑誌「ドイツ・メルクーア」Der Teutsche Merkur3 を刊行し、文化発信におけるワイマルの重要性を著しく高めた。途中で「新ドイツ・メルクーア」Der neue Teutsche Merkur4 と名を変えながら1810年まで刊行された、この「ドイツ最初の総合文化雑誌」5 は、文芸のみならず文化全般から時事問題までを対象とし、知的エリートではなく、広範な読者公衆をターゲットにしていた。ヴィーラントは自らも作品を発表する―上記の『アブデラの人びと』は同誌に連載された―だけでなく、編集者として誌面に頻繁に顔をだし、掲載された論文にコメントを加え、読者の投稿を呼びかけ、時にはみずから読者に扮して編集部に対する挑発的な手紙を書くなど、議論を活性化させることに努めた。そうした「対話への志向」は、創作のスタイルとも一致するものだった。旧弊たる思考慣習を相対化し、開かれた言論空間を目指して多方面の活動を繰り広げるヴィーラントは、まさに「啓蒙」を体現する存在だったのである。

『決定版全集』をめぐる法廷闘争―「著作権」確立への一里塚

そうしたヴィーラントの実践はドイツ語圏の出版史においても大きな足跡を残している。

自身の作品を「全集」という形で集成―実質的には自選作品集なのだが―し、後世に残そうとすること、そしてその際、旧作に手を入れて「決定版」とすること―こうしたコンセプトは日本の近・現代文学の中にも生き続けているといえようが、ドイツ語圏においてこのコンセプトを明確に打ち出したのはヴィーラントなのだ。そしてそこには「作家」という存在の経済的基盤と「著作権」をめぐる大きな変動を読み取ることができる。

 

18世紀ドイツにおいて作家と版元の関係は現在とは全く異なっていた。まず、著述家は富裕な階層の出身であるか、他の生業に就いているのが普通であり印税のみを生活の基盤とすることはほとんど不可能だった。一方版元は作家に対し、もっぱら「保護者」ないし「友人」として接していた6 。ヴィーラントの相手は当時のもっとも有力な出版人の一人、ヴァイトマン書店のフィリップ・エラスムス・ライヒであり、高額の印税と第一級の印刷・装丁という厚遇を受けていた。しかしヴィーラントは次第にその傘から離脱する道を探り始める。

1773年に「ドイツ・メルクーア」を発刊した際も、自家出版という形態をとった。1790年からは刊行元をゲッシェン書店とし「新ドイツ・メルクーア」として再出発するが、若く意欲的な出版者ゲッシェンとの関係を築いていくなかで「全集」の計画が熟してくる。

既刊の作品を別の出版社からの全集に収録しようというのだから、もとの版元の反発は避けられない。ゲッシェンより『決定版全集』を出すという計画が広まると、事態は両書店間の訴訟に発展した7

ヴァイトマン書店の代理人との議論をきっかけとして成立した「作家と出版社との経済的関係を規定するにあたっての根本原則」(1791)でヴィーラントは自己の試みを弁護した。そこでは、著者が「自らの精神と勤労の産物」に対して有する「自然的所有権」は人間の喪失しえない権利であるとされ、「すべての著者は、自らの作品が印刷出版されたのちも、存命中は、この作品を変更し、改善し、著者自身に可能な限りの完全性へと近づけていく権利を有する」と主張される。さらに、「著者が作品を出版するに当たり版元に譲渡する権利は、版元がみずからの費用によって一定数の刊本を印刷し販売する権利に限定される。それ以外に、他者が複製出版(nachdrücken)することを禁止するような独占権を与えることはできない。ドイツには複製出版(Nachdruck)は許されないとする広域的実定法が存在していないからである。」8

一方、ヴァイトマン書店側は「原稿の引き渡しとともにすべての権利は著者から版元に移譲され、版元は永代版権を所有する」9 という旧来の考えに固執する。裁判の行方は多くの注目を集めたが、1793年11月、ライプツィヒ審判人裁判所がゲッシェンの主張を認める。1794年12月、ライプツィヒ法科大学、1796年6月ドレスデンの上級控訴裁判所もこれを承認、確定することとなった。この結果はドイツにおける著作権の確立に大きく貢献したと評価されている10

決定版『全集』Sämmtliche Werkeは1794年から1811年にかけ、低価格の小型版から高価な愛蔵版まで4種類の版で刊行され、ドイツ出版史においても一時代を画すものとされた。今回紹介したベルリン版は、この「全集」に基づいた選集ということになる。

この全集がヴィーラント自身によって「決定版」と名付けられたのは、作品のそれぞれに大幅な増補改訂が加えられたことによる。これは、一度出版したのちも作品に手を加え続けるという18世紀に多く見られた「改稿の詩学(Verbesserungspoetik)」11 の実践であり、同時にそれにより既刊の作品の再出版に対する法的な正当性を確保することがめざされた。しかし営業上の必要性に迫られてのことでもあった。訴訟と並行して、もとの版元は、既刊本の大幅値下げで対抗する。それに対して「全集」側は、既刊本の読者に対しても魅力となるような<新味>を出す必要があったのである12

「全集」に恵まれなかった作家―『歴史批判版全集』への長い道のり

ドイツ語圏に「作家自身による決定版全集」という形態を導入したヴィーラントであるが、その彼が、ゲーテ、シラー、ヘルダーなど同時代の多くの文人たちとくらべて不遇な扱いを受けてきたことは「(ドイツ文学史における)歴史の皮肉」13 というほかない。死後、その著作を細大漏らさず収録するという形での『歴史批判版全集』が彼にだけは存在しなかったのだ。

ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンは生誕200年に当たるエッセイを「ヴィーラントはもう読まれない」14 という確認から始めている。そこで「アカデミー版の全集が期待される」15 と書かれていたのだが、これも二つの戦争をはさみ、結局未完のまま中断されてしまった。

表紙写真3: 左より、1879年版著作集、アカデミー版全集(未完)、Deutscher Klassiker Verlag 版著作集(未完)、歴史批判版全集(刊行中)

特に『決定版全集』を踏襲する形で「最終稿」を底本とするやり方に対し、「初版」を底本とし、後の加筆・修正を別巻で詳細に報告する形式の「歴史批判版全集」が存在しなかったのは決定的な欠落であった16 。それではヴィーラント自身がいわば売り物にしていた「加筆・修正・増補」の実態が明らかにされないのである。Deutscher Klassiker Verlagで新たな「著作集」全12巻が刊行され始めたものの、「採算上の理由により」17 三巻を出したまま中絶してしまった。(写真3)

現在、ヴィーラントをめぐる状況は変化しつつある。また読まれるようになってきたのだ。先の引用の出典であるインゼル書店版の『評論集』Schriftenをはじめ、歴史的文脈を視野に入れた個別の出版が相次ぎ―『ヴィーラント・ハンドブック』Wieland Handbuch.Leben-Werk-Wirkung の刊行(2008)もこの流れの中に位置づけられる―、それを集大成するような形で2019年の完結をめざし歴史批判版全集(オスマンシュテット版)全36巻が刊行されつつある。(写真4)詳細は Arbeitsstelle Wielands-Edition と題されたイエナ大学のホームページに詳しい(http://www.wieland-edition.uni-jena.de/Home.html)。

表紙写真4:上段左より、1879年版著作集、アカデミー版全集、Deutscher Klassiker Verlag 版著作集、下段は歴史批判版全集

歴史批判版全集は大部であり、気軽に手に取れるというものではない。しかし、18世紀後半から19世紀初頭という激動期に、生き生きとした官能性を基調として、冷静な観察眼とドグマチックな硬直への徹底した拒絶を持って書き続けたヴィーラントの多面的な活動は、その総体が改めて集成されるに値する。そして、しなやかでありつつ強靭な文で綴られたその作品は、いまも―もしかしたら、様々な面で不吉な硬直を見せ始めている現代にこそ―大きな刺激と喜びをあたえてくれるのである。

  1. 『アガトン物語』は、かつて義則氏のホームページより全編ダウンロードが可能であったが、氏の没後に移されたサイト(http://akira-chin.com/ty-libr/)では「前書き」のみを読むことができる。ただし書籍版・CD-ROM版ともに、このサイトから購入可能なようである。『アブデラの人びと』は改訳版の『アブデラ人物語』がこのサイトにアップされているが、第一巻のみ読むことができない。書籍版・CD-ROM版に関してはやはり購入可能。
  2. 『真夏の夜の夢』は韻文形式で翻訳されている。
  3. 18・19世紀の学術誌の電子化を進めているビーレフェルト大学のサイトで全巻を読むことができる(http://www.ub.uni-bielefeld.de/diglib/aufkl/teutmerk/teutmerk.htm)。
  4. 同上(http://www.ub.uni-bielefeld.de/diglib/aufkl/neuteutmerk/neuteutmerk.htm)。
  5. A.Heinz (hrsg.): "Der Teutsche Merkur" - die erste deutsche Kulturzeitschrift? Heidelberg 2003.
  6. この時代の出版事情、および作家と出版社との関係については、岡山大学の江代修教授の一連の仕事を参照されたい。また、特にゲーテに焦点を当てたものだが、『ゲーテと出版者―一つの書籍出版文化史』(ジークフリート・ウンゼルト著 西山・関根・坂巻 訳 法政大学出版局2005年)は現代ドイツを代表する出版社ズーアカンプの社主による博士論文で、詳細を極め、読み応えがある。
  7. ヴィーラントの<全集>の独自性を18世紀の出版史に位置づけた決定的な研究としてHaischer, Peter-Henning: Historizität und Klassizität. Christoph Martin Wieland und die Werkausgabe im 18. Jahrhundert. Heidelberg 2011. を挙げねばならない(以下Historizitätと略記する)。ヴァイトマン書店との訴訟については、その第4章(199-272ページ)に詳細な記述がある。『ゲーテと出版者』第二章第六節「出版者ゲッシェン」(127-136ページ)では、裁判および全集の具体的な出版形態について叙述されている。また、出版社との関係に関しては、次の文献に依拠した。Jutta Heinz(Hrsg.) Wieland Handbuch. Leben-Werk-Wirkung. Stuttgart 2008. S.26-30.
  8. „Grundsätze, woraus das Merkantilische Verhältniß zwischen Schriftsteller und Verleger bestimt wird“ aus:J.Ph.Reemtsma, H. u.J.Radspieler (Hrsg.): C.M.Wieland. Schriften zur deutschen Sprache und Literatur. Frankfurt a.M.(Insel) 2005, Bd.3. S.357-370. 引用箇所は359ページ。一方、いわゆる海賊版についてはヴィーラントも一貫して批判的であり、「ドイツ・メルクーア」誌上でも繰り返しその問題を扱っている(Ebd. S.301-356)。
  9. Historizität 240ページ。
  10. 同書 271ページ。
  11. この詩学については、Historizität が全巻を通して詳細に論じている。
  12. 同書 273ページ。
  13. 歴史批判版全集(オスマンシュテット版)刊行にあたって出されたパンフレット” AUFBAU UND KONZEPTION. ZUSAMMENFASSUNG” (von Hans-Peter Nowitzki) 3ページ。なお、このパンフレットは、歴史批判版全集のホームページよりダウンロード可能である(http://www.wieland-edition.uni-jena.de/wieland_multimedia/downloads/WOAInformation+M%C3%A4rz+2011.pdf
  14. 「クリストフ・マルティン・ヴィーラント―その生誕200年記念の日にあたって―」岡本和子 訳 『ベンヤミン・コレクション』第4巻(浅井健二郎 編訳) 所収 ちくま学芸文庫 2007年 134ページ。
  15. 同書 135ページ。
  16. ” AUFBAU UND KONZEPTION. ZUSAMMENFASSUNG” 4ページ。
  17. 同書 3ページ。
書き手からのコメント

 愛蔵版全集でゆっくりと読んでみたい、というのが夢ですが、愛読するのはポケットに入るレクラム版です。日本語訳も素晴らしいものです。ぜひ読んでみてください。

次回の登場人物

哲学研究室の鈴木泉さんにバトンをお渡しします。以前の職場からのおつきあいで、いまもいろいろ仕事をご一緒する機会があり、大きな刺激をもらっています。近世から現代までのフランス哲学を主たる対象としつつ広い視野で思考を展開している鈴木さんがどんな本を紹介してくれるのか、楽しみです。

c東京大学文学部・大学院人文社会系研究科