留学院生歴難簿 紙幣硬幣第九難   博士課程 上原 究一

 今回のお題は貨幣、特に紙幣と硬貨の並存する小額貨幣の現状を述べてみたい。中国旅行を体験した向きはご存知だろうが、中国の現行貨幣のうち、1元・5角・1角の三種は紙幣と硬貨の両方が存在する。1元は10角であり、この1元・5角・1角は日本で言えばそれぞれ100円玉・50円玉・10円玉に当たるような使い勝手の生活に密着した貨幣だ。元々は紙幣しかなかったところへ後から硬貨が導入され、将来的には硬貨への全面的な切り替えも睨みつつ両者が並存しているのが現状だそうである。なお、2元紙幣・2角紙幣というのもあるのだが、これはもう新規発行がされておらず、いずれも硬貨は作られていないので、まだ僅かに出回っている紙幣が尽きるとともにこれらは市場から消える運命にあるようだ。もしお手元にお持ちなら、うっかり使ってしまわず記念に取っておいた方がいいかもしれない。

 やや話が逸れたが、紙幣と硬貨の共存する1元・5角・1角に話を戻そう。実は、これらの紙幣と硬貨がどういう比率で流通しているかは、都市によって傾向が違う。例えば北京の場合、1元は紙幣が圧倒的に強く、手にする1元のまあ90%は紙幣である。5角だと硬貨ももう少しは使われているような気がするが、それでも両者の比率は紙幣8:硬貨2くらいか。1角だけは逆に硬貨の方が優勢で、紙幣2:硬貨8といったところ。ところがこれが上海となると硬貨全盛で、1元は95%以上が硬貨、1角・5角は紙幣も少しは見るが、やはり硬貨の方が圧倒的に強い。また成都では1元は紙幣:硬貨は7:3か6:4かという感じで割と拮抗しているが、5角・1角は9割方紙幣だった。また実際に体験はあまりしていないが、農村部では硬貨は殆ど流通しておらず、紙幣ばかりだとの話も聞く。このように、場所によってかなり顕著な差異が見出せるのだ。

 これは一体どういうことなのだろうか?元々は紙幣しかないところへ硬貨が導入されたのだから、貨幣の流通量自体が少ない農村で入れ替わりが遅いのは納得出来るが、都市部でも差があるのは面白い。北京のような保守的な都市では硬貨の浸透が遅れ、上海のような開放的な都市では硬貨の普及が早かったというような要因もあるのかもしれないが、硬貨も導入されてからかなり経っているはずだし、素人目にはちょっと分からない。ただ、上海で硬貨が全盛を誇る理由だけはある程度想像が付く。自販機だ。

 なんでも自販機で売っている日本には比べるべくもない数ではあるが、上海にはそれなりに自動販売機がある。地下鉄全駅に自動券売機があるのをはじめとして、おなじみ飲み物の自販機や、更に食べ物や生活雑貨も一緒の自販機まで見かけた。しかし、他の都市で自販機を見かけることは極めて稀で、北京にだって殆ど無い。自販機で使うには紙幣よりも硬貨の方が便利だろうから、自販機の普及と硬貨の使用頻度には相関関係が見出せそうだ。もっとも、こうした自販機で売られているものはおおかた数元〜十数元くらいのもので、角の単位はあってもせいぜいきり良く5角だから、1元硬貨の普及率への影響は少なからずあろうと思われるものの、1角についてはどれだけ影響力があるのか分からない。現に、まだ自販機の殆ど無い北京でも1角だけは硬貨の方が強いわけだし…。

 ところで、北京の1元紙幣絶対優勢という状況は遠からず変化するかもしれない。というのは、オリンピックに向けて地下鉄全駅に自動券売機と自動改札が導入されることになっており、既に多くの駅で備え付け工事が完了しているのだ。ともにまだ設置してあるだけで稼動はしていないが、どうもこの券売機は5元以上の紙幣と1元以下の硬貨に対応しているらしく、1元紙幣は使えないように見える。それに、仮に使えたところで、ポケットに入れられてシワだらけになってしまうことの多い1元紙幣はなかなかすんなり読み取れはしないだろう(5元以上の紙幣もシワシワにされることは少なからずあるが、1元は圧倒的にその率が高い)。となると、1元硬貨がもっと流通しなくては券売機を設置した意味が薄れてしまう。それに、この券売機に5元や10元を入れた際に出て来るお釣りの1元は硬貨であろうから、北京の1元硬貨の流通量はこれから伸びて行くと思う。北京市民の殆どは毎回わざわざ切符を買うわけではなく、第七難で紹介したICカードを使って地下鉄に乗ることが多いから、急に硬貨だらけになることもなかろうと思うが、じわじわと硬貨の比率が上がっていくことにはなるだろう。ポケットからひょいとくしゃくしゃの1元札を取り出す、こんなありふれた北京の街角風景も、もしかすると何年かすれば珍しいものになっているかもしれない。

 なお、煩を避けるためにこれまで触れなかったが、1元紙幣・1元硬貨・5角硬貨はそれぞれ新旧2種類、1角硬貨に至っては三種類のデザインが流通している。また、角の10分の1の分という単位もあるのだが、改革開放以後の経済発展でインフレが進んだ結果、現在では都市部で分単位の買い物をする機会は皆無となり、スーパーで買い物をして分単位の端数が出た際でも、分は切り捨てか四捨五入されて角までしかお釣りが来ないことも珍しくない(几帳面にくれることもあるが、店員さんの気分次第のような感じだ)。今回はこれまで、且聴下回分解。


2008年3月31日




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