ブックタイトル東京大学文学部_2018

ページ
2/32

このページは 東京大学文学部_2018 の電子ブックに掲載されている2ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

東京大学文学部_2018

方法としての「ことば」に寄せて人間が生みだした「ことば」は、微妙なことがらや複雑な感情を説明する力を備え、それぞれの身体に共鳴と了解の感覚をもたらしました。それはまた、かけがえのない個という主体を生みだすものでもありました。そして人間という生物は、この媒体をつかって、文化をつくりあげてきました。すなわち理や義をめぐる「思想」を高くかかげ、想像カゆたかに編まれた「文学」の作品を生みだし、記憶や事実の物語としての「歴史」を織りあげ、身体に「心理」という拠点をつくり、「社会」という場を立ちあげてきたのです。ことばは人間を、ゆさぶり動かします。中学生の頃のできごとを思い出します。角川文庫の『谷川俊太郎詩集』を立ち読みしていたとき、からだが強くゆり動かされた。紙のうえに印刷された文字しかそこにないのに、なぜ、これほど強く身体にひびくのか。不思議に思いました。どんな詩のどんな一節だったかは憶えていません。本を探し、詩句を見つけようとしましたけれど、45年前と同じ感動には出会えませんでした。大切なものをなくしてしまったような気がして、すこし悲しかった。しかし、身体まるごと人間をゆりうごかす力を、質量のないはずのことばがもった、その事実を私はうたがっていません。この力のそもそもの源は、「伝える」「考える」「感じる」という三つの動詞であらわせるでしょう。手でつかみ相手にじっさいにわたせるのは、適当な重さ大きさの物体でしかありません。これに対し、ことばが運ぶ対象はひろく、現実の両手ではつかめないものにまで拡がっています。それは意味や意識やイメージを直接につかむ「もうひとつの手」であり、「伝える」という機能もそこで生まれました。しかし、ことばにはそれ以上の働きがあります。「考える」という活動を可能にするから;--J人文知のただなかへ文学部とは「文学」を学ぶ学部だというイメージがひよっとしたらあるかもしれません。狭義の文学研究ももちろん活発に行われていますが、むしろ「文」を学ぶ学部、「文」についての学問をするところだととらえていただ<ほうがいいでしょう。「文」とはつまり「テクスト」であり、人間の言葉が織りなすすべて、社会や文化が生み出すあらゆる現象が対象となります。つまり文学部での教育・研究は、多分野を横断して広がり、人間の存在と言語、社会の伝統と未来を読み解こうとします。書物の深い森に分け入り、資料の大海原に漕ぎ出して、「我々はどこから来たのか、我々は何者か」を考えるとともに、「我々はどこへ行くのか」を思い描く。それが文学部の根幹をなす姿勢です。そうやって築かれていく「人文知」は、今を生きるだれにでも開かれ、自由に伸び広がってい<悦ばしい知なのです。"'直l記録として参照し、あらたに編集し、理想をこめて書き変える。文字と書物の普及は、単なる外部記憶容量拡大の歴史ではありませんでした。それは個体としての身体を超え、社会的に共同の思考を可能にする「もうひとつの脳」だったのです。見落とされがちだけれど「感じる」機能も大切です。皮膚は、自分と環境との境界にあって、自己をつつむ柔らかな外皮ですが、それは同時に、世界のありようを感じるセンサーでした。ひとは、この皮膜で痛みや温度や圧力を感じ分ける。ことばも同じです。だからこそ、ひとはことばに傷つき、あるいはその温かさに癒される。ことばは拡張された身体であり、ことば自体の熱さや強さや鋭さを感じ分ける、社会性を有する「もうひとっの皮膚」なのです。であればこそ、情報伝達のためというだけの「文」の理解は、おそろしく平板な矮小化ではないでしょうか。わかりやすければいい、のではない。ことばが思考という内面現象を媒介し、外なる世界のありようを感受する媒体としてあるからこそ、それぞれの身体に根ざす感覚を社会の公共性に拡張する力を有するのです。さらにいえば、未知やわからなさを明晰に対象化し、不可解や不思議の事実と向かいあう力を有し、あるいは寄りかかっている常識の亀裂や矛盾を、論理によって浮かびあがらせる構築力をもつのです。未知にたじろがず、わからなさと向かい合う。その困難な時間を、身につけ手になじんだことばと、友として出会う他者がささえてくれるでしょう。どうか、この学部・研究科でのみなさんの学びが、ことばの人類史の奥深さや、身体の錯綜し重層する実感や、社会の多様性の拡がりに負けないほど、ゆたかで透徹したものでありますように。第53代文学部長佐藤健二