総括班ホームページへ戻る

総括班 研究活動報告<1999年度>


研究会・シンポジウム報告

f01.gif (930 バイト)1999年4月20日 E・トレダノ教授講演会「イスラエルにおける中東研究」

4月20日(火)東洋文庫において、来日中のE・トレダノ教授(テル・アヴィヴ大学)を迎え、上記テーマでの講演会を開催した。
講演では、イスラエルにおける中東研究の歴史を4つの段階に分けて、その特徴を簡潔に指摘した。それは、欧米の中東研究の潮流およびイスラエルの政治環境と密接に結びついており、興味をひいた。新学期開始直後の平日という教員・学生にとっては参加しにくい条件ではあったが、有意義な会であった。

講演要旨は以下の通り。
1)第1期(第二次世界大戦前)
1925年にHebrew University in Jerusalemが創立され、Institute of Oriental Studiesが開設された。この時期の研究は、アラブ研究に限定され、ドイツからの移住学者が多く、その影響を受けた文献研究の傾向が強く、同大学はHidelberg in the Hillの別名を冠せられていた。当時の研究者(代表格はS.D.Goitein)は、文語アラビア語には熟達していたが、口語を話すことはなく、市場ではトマトを買うこともできない、という笑い話ができたほどである。

2)第2期(1948ー1967)
・48年のイスラエル建国とともに、アラブ世界をはじめ周辺諸国から隔絶され、他方では、ヨーロッパや中東からの大量の移住者を迎えた。この時期は、東洋学Orientalismの伝統と敵国としての中東研究とがミックスしていた。Israel Oriental SocietyやAsian and African Instituteが設立され、研究対象は、トルコ世界にも拡大した。・研究者としては、D.Ayalon(マムルーク研究)、M.J.Kister(初期イスラム史)、J.Blau(Judeo-Arabic)などのほか、G.Baerは社会学の方法を用いた社会史研究を拓いた。

3)第3期(1967以降)
・第三次中東戦争によって、西岸・ガザ地域に占領地が拡大し、パレスティナ・アラブ人を抱え、アラブ研究が、政策上でも必須の課題となった。
・中東諸国の一部と国交が樹立され、イラン(経済関係、石油)、トルコ(軍事および学術関係)、エチオピア(聖書学)の関係が強まった。
・テル・アヴィヴ大学が設立され、Dayan Centerをはじめ、戦略研究や政治・外交との関わりが強まった。同センターでは、アラブ諸国の新聞を読みテレビを見てそこから分析を行うといった実際的な教育プログラムが採られた。西岸地域の統治政策やアラブ諸国との外交交渉のためには、アラブの歴史・文化を研究・理解する必要が高まり、中東研究者が、政府の行政のアドヴァイザーや外交官を勤めるケースが現れた。

4)第4期(現在)
・米国の研究の影響が強まり、かつての東洋学の伝統は払拭され、文書を用いた研究が盛んになっている。
・イスラエル国内に8つの大学のうち、5つに中東研究のコースが設けられている。Ben Gurion Universityは、学際的でダイナミックな研究が行われ、Haifa Universityでは、アラブ、トルコ、ペルシア研究が設けられている。
・大学の学部組織は、学術的権威をもっているが、研究資金の面では、研究所がより潤沢な資金をもっている。

以上のような時代的展望のうえで、つぎのような研究潮流を指摘した。
a)研究者のディシプリン(訓練) ドイツ(中央ヨーロッパ)から、英国、そして米国の影響が強まり、研究言語のうえでも、ヘブライ語、ドイツ語から英語が優越するようになってきている。
b)主たる研究領域 古典(時代)研究から、中世、現在ではオスマン史、社会研究、現代研究が主流となってきている。
c)研究者の活動領域が大学外に広がり、政治行政へのコミットやマスメディアでの活動が行われている。
d)Hebrew Univ.だけであった研究機関が5つに増え、オスマン史研究だけでも45名の研究者がいる。
e)67年以前の隔離状態(資料にも研究者にもアクセスできない)から、ほとんどどの国にも訪問できるようになったが、なお、学術上の交流には障害が残されている。それは、アラブ研究者の間にあるイスラエル・ボイコットの風潮であり、また、研究手法の違い(たとえばエジプトは伝統墨守)も交流を妨げている。

講演後の質疑を通じ、トレダノ教授からさらに次の諸点が補足された。
・大学における教育の現状
 テル・アヴィヴ大学では、極東研究のコースが3年前に設置され学生数は500名に達し、中東研究の100名を越えている。
 語学教育では、ヨーロッパ方式をとり、学年ごとの履修言語が定められており、アラビア語から始まり、トルコ語は最後になる。
・歴史研究では、古代からのイスラエルの地の歴史の探求が柱であり、オスマン研究の場合でも、オスマン治下のアラブ地域が優先領域となっている。

なお、本講演をもとにした原稿がAsian Research Trends(ユネスコ東アジア文化研究センター刊)に寄稿・掲載される予定である。

(文責 三浦 徹)

f01.gif (930 バイト)2000年1月29日 講演会「イスラームと女性:他文化理解の視点」報告

 「イスラーム地域研究」プロジェクト(総括班)は大阪女子大学女性学研究センターとの共催で、1月29日、表記のような講演会を開催しました。講演会への参加者数は200人を越え、熱心な討論が交わされました。これは報告者の皆さんのお陰であると同時に、大阪女子大学の関係者の皆さんのご協力があったからだと思っております。あらためてお礼を申しあげます。
 報告および討論の要旨は以下の通りですが、詳しくは後日、刊行される報告書を参照ください。

1.佐藤次高氏(東京大学教授)「イスラーム史のなかの女性:エジプトの女性スルタン」
佐藤氏はマムルーク朝の女性スルタン(初代スルタン)、シャジャラトゥ・ドゥッルがスルタン位に登る経緯を史料をもとに説明した。史料の説明からは、伝統的イスラーム社会において、女性が政治的権力者(スルタン)に就任することは不可能ではなかったが、しかしそのことについては、「ためらいや心よく思わない空気」(カリフはそれをはっきりと表明)があったことが指摘された。

2.岡真理氏(大阪女子大学専任講師)「イスラームと女性:多元的理解への視座」
岡氏はイスラーム世界に潜んでいる本質主義的発想の問題を、ジェラバとヴェールを例にとって説明した。それによれば、イスラームのヴェールもモロッコのジェラバも植民地主義の正当化、女性の劣等性の論拠として使われたという。例えば、ヴェールは自らの伝統の殻を破れない女性(ひいてはイスラーム社会)の自己変革力の欠落の根拠(西欧の植民地化を正当化する論拠)と説明され、伝統的社会では決してヴェールが支配的ではなかったことが無視されてしまう。ジェラバは女性の伝統的な服と言われるが、本来は男性の服であったものを、現代になって女性が着安さ、活動の適性などの理由で自ら選んだものである。この事実も隠されたままであるという。

3.この二つの報告を受けて、パネルディスカッションが行われた。最初に桜井啓子氏と岩崎えり奈氏の報告が行われ、その後、岡氏が司会をつとめ、討論が行われた。

(1)桜井啓子氏(学習院女子大学助教授)「イスラーム化と女子教育(イラン)」桜井氏はいわゆるイラン・イスラーム革命後のイランにおいて、教育面でのイスラーム化現象を指摘した後に、神学校(マクタベ)の役割について具体的な調査事例を紹介しながら報告した。その中で特に興味深い点は教育のイスラーム化現象は、限られた政治的・社会的状況という枠の中では、女性の自立を促進するという肯定的な評価がなされるという指摘であった。

(2)岩崎えり奈(一橋大学大学院博士課程)「家族計画にみるイスラムと女性の関わり−チュニジア南部の事例を中心に」
岩崎氏はチュニジアのタタウィーン県での調査報告をもとに、イスラームと家族計画に女性がどのように関与しているのか、という発表を行った。ここで提示されたポイントは、チュニジアのように最も近代化が成功している国では、イスラームという絶対的な規範と近代的な価値観とが適度な妥協点を見出しつつあり、女性の制約は、農村でも都市でも緩和されつつあることである。しかし、他方では男性による伝統的価値の強制も強く、その社会的規制が女性の自立を制限していることも指摘された。

(3)ディスカッション
最初に司会の岡真理子氏がそれぞれの報告を整理して、各報告者に発言を求めた。十分な時間がなく、発表者とフロアーとが質疑を交わし、議論を深めるまでには至らなかったが、参加者には質問表を提出していただき、後でそれに答える形で補うことにした。イスラームと女性というキーワードがこれほどまでに多くの方の関心をひくとは当初は予想できなかった。同じテーマで継続講演会をする必要があるかもしれない。

当日のプログラム
司会挨拶: 船橋邦子(大阪女子大学女性学研究センター主任研究員)
主催者挨拶:私市正年(上智大学アジア文化研究所教授)

第1部 講演 13:40-15:20
13:40-14:40
 佐藤次高(東京大学文学部教授、「イスラーム地域研究プロジェクト」代表):
「イスラーム史のなかの女性:エジプトの女性スルタン」
14:40-15:20  
 岡真理(大阪女子大学人文社会学部講師、女性学研究センター兼任研究員) 
「イスラームと女性:多元的理解への視座」

休憩(10分)

第2部 パネル・ディスカッション 15:30-17:15
「イスラームと女性:他文化理解の視点」
 パネリストA 佐藤次高
      B 桜井啓子(学習院女子大学国際文化交流学部助教授)
      C 岩崎えり奈(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)
 司会     岡 真理
 
主催:イスラーム地域研究研究プロジェクト
大阪女子大学女性学研究センター

(文責:私市正年)


海外派遣報告

池田美佐子(総括班研究協力者)

出張先:アメリカ
期間:1999年8月21日〜9月7日
目的:アメリカにおける現代アラブ研究の動向調査

 2週間あまりのアメリカ訪問の目的は当地における現代アラブ研究の動向調査であった。同調査ではアラブ研究者(場合によってはアラブ以外の中東研究者)との面会を中心として情報を収集することを意図し、事前に面会をしたい研究者のリストをつくり、Eメールで面会を申し込んだ。夏休みのために不在の研究者以外はほとんどの人から面会申し込みについて承諾を得た。

 近年、アメリカではアラブ研究の層がますます厚くなり、研究テーマや方法論が多様化しており、また「アラブ研究」は一般に「中東研究」に包括される状況(今回の訪問先でアラブ研究を独立して研究しているのはジョージタウン大学のみであった)にあって、2週間あまりの調査旅行でどれだけ一般的な傾向が掴めるかについて出発前に一抹の不安があった。しかし、研究者との面会を重ねてゆくにつれて、90年代の前半ないし半ばからアメリカのアラブ研究・中東研究を含む地域研究が危機に直面していた事実が浮きぼりとなった。現在、地域研究はこの試練を一応は克服したものの、この経験から新しい方向を探り始めているとも言える。アメリカの地域研究の危機はアメリカの研究費助成の問題という特殊な事情を背景をしているが、この問題は地域研究に内在する学問的性質の問題と切り離すことはできない。その点で日本で地域研究に従事する私たちにも無関係ではない問題として、ここで簡単にまとめてみたい。

 まず第一の問題は、90年代におけるアメリカでの科学文化全般にわたる研究・教育費の削減に関連する。とくに地域研究は冷戦体制の崩壊のために戦略的な意義が薄れたことにともない、連邦政府をはじめアメリカの地域研究を支えている Social Science Research Council や Ford Foundation などの財団が、地域研究への助成の削減などを決定した。例えば、2,3 の主要な大学の中東研究所は連邦政府の援助が打ち切られ、また Social Science Research Council ではそれまで地域別に編成されていた委員会は廃止され、代わりに主にテーマ別の委員会が編成された。

 事態は研究費の削減や組織の再編成というこのような動きにとどまらず、地域研究の学問的な成果や意義を問い正す声の高まりを伴った。これは政府や財団の関係者のみならず、研究者特に政治学を初めとする社会科学系の研究者(地域研究の当事者も含む)から出された。地域研究への批判は、端的に言うと研究の質の問題と問題関心の狭さの集約されよう。質の問題に関しては、例えば、論争の中心人物のひとりである政治学者でありアフリカ研究者であるロバート・ベイツ(Robert Bates)は96年、アメリカ政治学会の比較政治部会のニュースレター上で「地域研究は科学的な知識を生み出すことに失敗している」と断言し、大きな波紋を呼んだ。また、関心の狭さについては、文化や伝統の特殊性に固執するあまり、より一般的な問題や他地域との関連性を失っているという批判がなされた。一方これに対して、地域研究を擁護する側は、不十分な例証のみに依拠して安易に一般化を試みようとする理論指向側に鋭く反論し、議論は白熱した。このような状況が数年続いたのち、事態は収拾に向かっている。地域研究にとって最悪の事態は免れ、議論の過程で擁護論派の意見も次第に尊重されるようになった。地域研究はすでの数十年の実績があり、地道な積み重ねの中から研究のレベルは確実に高まっており、優れた研究(James Scott, Benedict Anderson, Barrington Moore Jr. 等の研究が指摘された)も地域研究という枠組みから生まれていることなどが評価されていると思われる。また、歴史学など理論化を性急の求めない人文系の分野は、研究費助成の問題はさておき、この学問的な論争の影響は社会科学系ほど強くはなかったようにである。しかし、政府からの地域研究への援助は全体で約30%削減され(実質的には10-15%)、財団なども細分化された研究ではなく、他の地域との関連性や他の地域にも共通するテーマを奨励する傾向にあるといえる。

 このように地域研究をめぐる議論は一応一段落した感はあるが、アメリカにおいて地域研究が他の既存の学問分野と同等の地位を獲得しているとは言い難い。地域研究の分野で学位がとれるのは一般に修士課程までで、たとえばアラブ研究を博士課程で行う場合、多少の例外を除いて方法論別の学部、あるいはそれらの学部と地域研究の組み合わせたプログラムに所属するようになっている。また、今回面会した研究者からも自分が専門とする方法論を第一義的に捉え、地域研究は補足的であるという意見が幾度か聞かれた。

 このような地域研究の状況下で、現行のアラブ研究の特徴はどのように説明できるであろうか。まず第一に指摘できるのは、ポスト・モダニズムの影響を受けた研究が多少下火になったものの、依然続いていることである。アラブ研究では 88年に出版されたTimothy Mitchell の Colonizing Egypt などをはじめ、この影響はすでに10年に及んでいる。特に、テクストを単に事実を伝える資料ではなく、ひとつの表象として分析してゆく方法はアラブ研究では歴史学、文学などに大いに取り入れ成果をあげている。しかし、事実をあまりに不確実に捉える傾向などに対して批判もあり、伝統的な実証研究の回復を願う声も今回聞かれた。

 細分化された地域研究を補う上で、他の地域との比較研究あるいは共同研究も試みられている。特に歴史学の分野でインド研究との共同研究が指摘された。たとえば2年前にユタ大学の中東研究所で開かれた国際会議には、中東とインドの都市研究をテーマに両者の地域研究者が集まった。理論面(subaltern studiesなど)を初め研究レベルの高いインド研究からアラブ・中東専門の研究者が吸収する面が多かったという意見があった。現在その成果をまとめた本の出版が準備されている。また、ポリティカル・エコノミーの分野では、ラテンアメリカ研究との比較研究についての言及もあった。

 アラブ研究の新しいテーマについては、マイノリティやアイデンティティの研究、境界や国境の問題、環境問題あるいはインターネットの地域への影響などが挙げられた。政治学の分野に関しては、上述の地域研究論争の影響もあって、研究テーマが民主化(市民社会論も含めて)や経済の自由化といった限られた問題に集中しているようである。これに対して、現在の政治学には独創性がないと指摘した政治学者もいた。歴史の分野においては、先のポスト・モダニズムや比較研究などの傾向を探ることができるが、知的流行に左右されず、新しい史料を掘り起こしそれを丹念に読み込んだ手堅い実証研究を高く評価するという意見は、歴史学者のみならず、歴史研究の意義を評価する政治学者からも聞かれた。

 最後の付け加えておきたいことは、アラブ研究をはじめとする中東研究(地域研究一般にもあてはまると思われる)やイスラーム研究に従事する大学のポストには、研究対象地域の出身者あるいは背景にもつ研究者がますます多く採用されている傾向にある。地域の言語や文化を会得し、研究対象地域の視点を十分に理解した研究者から優れた研究が生まれているのも近年の特徴といえる。


訪問した機関及び面会した研究者は以下の通り。(訪問順)

ワシントン大学(ワシントン州シアトル)
Jere Bacharach (イスラーム史:The Henry M.Jackson School of International Studies 学部長、次期アメリカ中東学会会長)
Resat Kasaba  (社会学)

カリフォルニア大学ロサンゼルス校
James Gelvin  (シリア現代史)
Gabriel Piterberg  (オスマン史)

テキサス大学オースティン校
Clement Henry (政治学)
Kamran Aghaie (イスラーム史・イラン現代史)

ハーバード大学(マサチューセッツ州ケンブリッジ)
Roger Owen  (中東現代史:中東研究所所長)

タフツ大学(マサチューセッツ州メッドフォード)
Leila Fawaz  (レバノン近代史:前アメリカ中東学会会長)
Mohamed Mahmoud  (イスラーム研究)

ペンシルバニア大学 (面会はニュージャージー州プリンストンにて)
Robert Vitalis (政治学:中東研究所所長)

マサチューセッツ工科大学(マサチューセッツ州ケンブリッジ)
Philip Khoury  (シリア現代史:School of Humanities and Social Science学部長、及び前アメリカ中東学会会長)

ジョージタウン大学(ワシントン D.C.)
Michael Husdon (政治学:現代アラブ研究所所長)

 


 

三浦 徹(総括班出版担当)

用務地:英国(ロンドン、ケンブリッジ)、シリア(ダマスクス)
期間:1999年8月25日〜9月15日

用務とその成果は以下のとおりです。


1.英国(IAS叢書英語版の編集・出版打ち合わせ)

 本年12月より、Islamic Area Studies Seriesと題した英語版の叢書の刊行を企画している。すでに、外国語による日本人の研究成果の公表は珍しくなくなっているが、日本の研究者の企画によって、海外の研究者を加えた共同研究であることに新味があり、研究の組織者としての力量が問われることになる。

 三浦は、この叢書シリーズの企画調整者coordinatorとして、またその第1巻Slave Elites in the Middle East and Africaの編者(弘前大学John Philips氏と共編)を担当し、本巻の最終の編集作業と出版社Kegan Paul社との契約打ち合わせのために、渡英した。

 本叢書の編集作業は、2段階に分かれている。第一は編者による原稿の閲読であり、ここで、専門的な内容にかかわる編集を行う。第二段階は、英語出版物としての編集作業であり、後者については、ケンブリッジ在住の日本人・オーストラリア人夫妻で英語出版物の編集を行っているLogostiks社に編集を委託することにした。

 第1巻Slave Elitesに関しては、第一段階の編者による閲読にほぼ夏休みの1月半が費やされた。12人の執筆者の原稿は、前年度のワークショップでの発表をもとにしており、質の点での問題はなかったが、あらためて細部まで注意して読むと、文献情報や数字などの細かなミスや疑問がみつかる。これらを筆者にe-mailで問い合わせることになった。幸いにどの筆者も迅速な返事をくれ、かえって編者の仕事の苦労をねぎらってもくれた。

 第二段階の作業は、英文の閲読、レイアウトと索引編集が主となる。閲読では、筆者本人が見落としでいた英語の誤り(日本語でいう「てにをは」)などが訂正された。これはさすがに、英語を母語とする編集者でしか発見できない、と舌をまいた。索引は、Wordファイル上で編者がマーキングし、これをDTPソフトに読み込む方式をとった。Wordファイル上でも、索引項目に読みや二次分類を入れることができるので、これを用いれば、索引編集作業の効率化が図れることがわかった。

 手間を要したのは、転写文字と文献の書式である。本叢書用に、編集規定(ガイドライン)を作成し、中東諸語の転写文字方式や文献の書式を定め、またWindows用の転写文字もLogostiks社の協力をえて、新たに作成した。しかし、第1巻では、原稿段階では規定が徹底せず、転写文字と書式については、訂正入力を要した。これらの点については、第2巻以降は改善し、より効率的な編集を行いたいと考えている。

 Kegan Paul International社との出版契約は、事前交渉でほぼ条件について合意に達していたが、9月8日にPeter Hopkins社長と面会し、契約条件を再確認するとともに、叢書全体のねらい、デザイン、刊行時期などについて協議した。Kegan社は、いわゆる東洋学(日本研究を含む)を専門とする出版社で、Islamic Urban Studies(1994), Islamic Urbanism in Human History (1997)の両書の出版を通じて日本の研究者とも馴染みが深い。今回の叢書は、学術出版としての意義におおいに理解を示し、最近の日本の出版社にみられるような、図版をいれろ、読みやすくせよ、といった要求はなく、IAS側の納得のいく形で質の高いものをつくってくれ、という鷹揚な態度であった。帰り際にふと壁面に飾られた額をみると、ある高名な作家が同社の創業者を評した言葉で「Kegan is a nice fellow, but Paul is a publisher」とある。いずこでも、編集者は嫌われ者であったと苦笑した。


2.シリア

 シリアでは、国立ダマスクス歴史文書館およびダマスクス・フランス・アラブ学研究所における資料調査と研究連絡が主目的であった。報告すべきことは、同歴史文書館の所蔵するイスラーム法廷記録(証書および台帳)の目録が、フランス・アラブ学研究所と日本の国際協力事業団(JICA)との協力事業によって、9月に出版されたことである。この事業については、昨年の筆者の海外報告でも報じたが(HP掲載済み)、国際協力事業団の海外青年協力隊員として文書館に派遣された大河原知樹さん(慶応大学大学院)とフランス・アラブ学研究所のBrigitte Marinoさんが担当し、両名の編としてCatalogue des Registeres des tribunaux ottomans conserves au Centre des archives de Damas, Damas, 1999と題して、同研究所から刊行された。お二人は、本書の編纂のために、2361冊の法廷台帳を全点・全頁点検し、法廷名、記載年代、種別などの基本データを採取・整理し、文書館ではこれをデータベース化した。このような作業に基づいて、シリアの法廷制度についての解説が付され、豊富な図版によって台帳の様式の変遷をしることができる。これまでは、各研究者が自分の当該の時期の法廷台帳だけを利用していたため、法廷制度や記帳形式の研究はなおざりにされていた。この作業によって、シリアの法廷記録の全貌が明らかにされた意義は大きい。もっとも、法廷記録の残存状況には偏りがあり、この目録によって、さらなる資料の発見の可能性が生まれたといってもよい。これまで、このような基礎作業は、現地の史料館や欧米の研究機関に依存していたわけであるが、日本の研究者・機関によるはじめての?国際貢献ということができるだろう。

 国際協力事業団としては、歴史文書館における資料整理・データベース化事業を継続して行う予定であり、本年7月から、大河原さんの後任として、五十嵐大介さん(中央大学大学院)が着任している。なお、大河原さんは、本年4月に帰国し、イスラーム地域研究第6班オスマン文書研究グループの研究協力者として活動している。

 資料調査の面では、文書館でサーリヒーヤ法廷の記録を閲覧した。筆者はすでに19世紀のサーリヒーヤ法廷について論文を発表しているが、筆者が幹事をつとめる比較史研究会(5班cグループ)の研究テーマである「契約」「市場」の観点から、法廷記録の利用を考えている。また、「イスラーム法廷文書の社会史的研究」(三菱財団研究助成、99年10-01年9月、東洋文庫)とも連携し、諸地域のイスラーム法廷記録の比較検討を進めていきたい。

 なおダマスクスの書店めぐりをしながら、al-Jazari(d.738.A.H.), Ibn al-Himsi(d.934.A.H.)などマムルーク朝の年代記の校訂が続出していることには驚かされる。また、パソコン店では、WindowsやMacのCD-ROMソフトが並んでいる(あまりに廉価なものは海賊版らしい)。上記の校訂本も、パソコンを用いて編集されたものと思われる。迅速な出版は歓迎されるが、安直な出版も危惧される。いずれにしても、現地からは目を離せない。


このページのトップに戻る

総括班ホームページに戻る