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「イスラーム地域研究」1999年度全体集会の報告

「イスラム地域研究」(以下IASと略す)1999年度全体集会は、3年目を迎えたIASに新風を吹き込むべく、心機一転、開催場所を過去2年とは異なるアジア経済研究所に移し、以下のように開催された。

    日時:7月10日(土)13:30〜17:00 (終了後に懇親会)
    場所:アジア経済研究所(9階国際会議場)
    
    シンポジウム「地域研究の現状とイスラーム研究の位置」
    発表者:栗本英世(アフリカ; 国立民族学博物館 先端民族学研究部)
         佐藤宏(インド; 秀明大学 国際協力学部)
         白石隆(東南アジア; 京都大学 東南アジア研究センター)
         村田雄二郎(中国; 東京大学大学院 総合文化研究科)
    討論者:長沢栄治(東京大学 東洋文化研究所)
         臼杵陽(国立民族学博物館 地域研究企画交流センター)
         飯塚正人(東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所)
    座長 : 大塚和夫(東京都立大学 人文学部)

 まず、今回の全体集会の企画者の1人で当日座長も務めた大塚和夫氏から、「地域研究の現状とイスラーム研究の位置」と題された今回のシンポジウムについて趣旨説明が行われた。ねらいは、端的に言えば、「イスラーム」を必ずしも中心的な問題設定にはしていない地域研究者を報告者として招待し、地域研究一般について、個々の地域が抱えている問題点を理解・共有する、そして、そこから逆に、IASにとって重要な問題を析出・照射し、議論していこうとするものであった。

 4つの報告を全体的に見た場合、栗本、白石、村田の3氏が、特に、地域研究と植民地主義の遺産、さらに、研究対象地域の現体制との間の関係や距離について回顧し、今後あるべき地域研究の立場や自身の学問的スタンスの取り方などについて全般的に議論を展開したのに対し、佐藤氏は、議論を、より具体的に、イスラム主義やヒンドゥー・ナショナリズムに関する日本の既存文献の批判的検討に絞り、自身の視角を予備的に提示するというものだった。

 栗本氏の報告においては、スーダンとエチオピアの地域研究について、それぞれ、その歴史的経緯が回顧され、さらに現状が説明された。前者では、当該地域がイギリス社会人類学の興りの舞台となったことから、そうした「特別な想い」がこの地域を、ともすれば、他の地域と切り離された「特別な地域」として捉える傾向を生んだことが指摘された。また、1980年代以降の南北の内戦やイスラム主義者政権の誕生という政治的現状が、現在の研究者にも、何らかの立場の選択を迫ったり、自身が消極的に評価する政治的勢力や主義についての研究をそのまま消極的にさせかねない状況を生んできていることが説明された。また、後者のエチオピアについては、かつて栄えたキリスト教文明の記憶が、特に19世紀以降の欧米の研究者の想像力と学問的関心を長年にわたって捉え続け、この地域に関する歴史記述自体を、今もキリスト教文明の盛衰として描こうとする傾向を生んでいることが、具体的な文献の紹介を伴って提示された。また、こうした傾向の裏面として、中東研究やアフリカ研究の文脈でこの地域を捉える努力が相対的に不十分となり、実際には、様々な地域文化圏の複合的重なり合い、あるいは境界の場であるこの地域の実像が、不十分にしか浮かび上がっていないことが指摘された。

 白石報告においては、東南アジア地域に関する地域研究の発祥から現在までが総括的に俯瞰され、特に、オランダやイギリス、日本、アメリカ、そして、国民国家政府へと変遷を見てきた覇権的な政治体制と学問的な枠組みあるいは知の構築というものとの間の必然的な関係性が指摘された。また、この地域のイスラーム研究に関しても、植民地当局によって統治・管理されるべき対象としてのイスラームに関する研究に始まって、留学生の増加など戦後に緊密化した中東方面との関係に伴って活発化した研究、さらには、現地研究者による自己規定の模索過程の一部としての研究の台頭など、各時代ごとに研究の担い手や、文脈、意味付け、内容が変わってきていることが指摘された。

 また、村田報告においては、中国の政治状況の変化や日中の政治関係の変化が、中国をめぐる日本の地域研究に不可避的に影響を及ぼし続けている状況が、1978年の日中国交正常化や1989年の天安門事件といった転換的事件などに触れながら分析された。さらに、村田氏は、IASの「先輩格」でもある文部省科学研究費特定領域研究「現代中国の構造変動」(1999年3月終了)における研究活動の直接的経験に即して、研究対象や研究パートナーとして現在の中国やその研究機関、研究者に直接関わり合う際に、現在でも、国家とアカデミズムの微妙な関係に抵触せざるをえない状況が容易に生じ得ることを、具体的に報告した。

 以上3氏の報告の中では、ある特定の地域を対象とした研究における政治体制と研究内容や研究の視角との間の不可避的な関連、相互の影響について、その事実認識に大きな差はないように感じられた。しかし、ここで、3氏のなかの相違を敢えて指摘するとすれば、栗本、村田の両氏は、そうした関連・影響をより自覚的に認識し、自身の、あるいは、日本の地域研究や記述をそこからの距離を保った「相対的」な方向に導くことを志向しているのに対し、白石氏においては、 権力と知の関係性を「秩序としての地域」を創造していくための自明のものとしてより積極的に捉え、自身の生み出す知も、そうした方向性の一部として最終的には機能させようとする意識が強いように感じられた。もちろん、白石氏自身からも、政策立案者、研究者、地域の一般の人々といった複数の歴史的主体の存在やそれぞれにおける地域の意味の違いなどについて、認識が表明された。しかし、栗本、村田両氏やコメンテーター、さらにフロアーからの発言者の一部においては、ある意味で白石氏とは逆に、覇権的な秩序形成に向かわない(向かえない)方向性やその主体、例えば、非中央勢力や一般民衆といったものに対する関心が相対的に強く、そのために、白石氏に比べると、ある意味で「歯切れの悪い」言辞に終始せざるをえない状況があったように思われた。

 一方、佐藤氏は、イスラム主義運動やヒンドゥー・ナショナリズム運動に関する我が国の既存研究文献とそこでの運動の評価を振り返り、特に、イスラム主義運動を「原理主義」から「復興運動」と呼び替える動きが、一部で、こうした運動そのものを、将来的に有望な「第三の道」とまで積極的に評価しようとする姿勢を伴ってきていると指摘した。氏は、この問題提起を手掛かりにして、具体的には、バングラデシュにおける「イスラーム党」、インドにおける「インド人民党」の思想と運動を、現実の南アジア世界や国家的枠組みと突き合わせて検証し、彼らの運動における「領域的ナショナリズム」批判の試みや宗派的にそれぞれ個別の「文化ナショナリズム」を達成しようとする動きは、必然的に、矛盾と「不可能性」を孕んでいるとの指摘をおこなった。また、氏は、総括的に、従来のイスラム主義運動やヒンドゥー・ナショナリズム運動をめぐる研究が、「イスラーム 対 oo」というような2項対立的構造を前提とする傾向があったとの指摘をし、その克服の必要性を説いた。

 全体的に、今回の全体集会は、企画者の狙いを十分に反映したものとなったと言えよう。特に、これまでIASの外で活動をされてきた方々を報告者に迎えることができたことにより、普段は必ずしも意識的に注意を払ったり議論の俎上の乗せることはない問題にあらためて関心を向ける格好の機会になった。IASの3年目のスタートに、こうした貴重な機会を持てたことは、極めて有意義であった。

(文責:大石高志)

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