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「イスラーム地域研究」2000年度全体集会の報告

4年目を迎えた「イスラーム地域研究」2000年度全体集会が、下記にように開催された。

日時:7月8日(土)13:30〜17:45
場所:東京大学(本郷キャンパス)法文2号館2階2番大教室
テーマ:「歴史としての湾岸戦争」
発表者:小杉泰(京都大学)「湾岸戦争の3つの位相―ねじれた文明の対立」
     栗田禎子(千葉大学)「湾岸戦争とアラブの政治的未来」
     赤堀雅幸(上智大学)「ベドウィンの湾岸戦争―サッダーム・フセイン賛歌を歌う人々」
     五十嵐武士(東京大学)「湾岸戦争と冷戦後のアメリカ外交」
コメンテーター:橋爪大三郎(東京工業大学)、西谷修(東京外国語大学)
総合司会:酒井啓子(アジア経済研究所)、大塚和夫(東京都立大学)

 まず、今回の全体集会の企画者の1人で当日の総合司会を務めた酒井啓子氏から、「歴史としての湾岸戦争」と題されたこのシンポジウムについて、趣旨説明が行われた。そのねらいは、地域側と国際社会側の湾岸戦争に対する認識とそのずれについて議論することを通じて、今年でちょうど10年たつ湾岸戦争を見直すことにあった。

 4つの報告を全体的にみるならば、小杉氏がイスラーム世界、栗田氏がアラブ世界における政治的流れに則して議論を展開したのに対し、赤堀氏は具体的な事例の中から、民衆の日常生活レベルでいかに湾岸戦争が解釈されているかという点に絞って論点を提示した。他方、五十嵐氏は米国の行動を国際関係の枠組みの中で状況対応論的に論じ、米主導の国際秩序にとっての湾岸戦争をめぐる論点を析出した。

 一番目の報告者である小杉氏は、イスラーム世界論の立場から、湾岸戦争の歴史的経緯を振り返り、その意義を論じた。氏はまず、冷戦の終わりという時代区切りにおいて、民族主義とイスラーム復興という双方向的な脱植民地化の流れの結末が劇的に現れた場として湾岸戦争を位置づけた。その上で、氏は、湾岸戦争を契機に、イスラーム世界に3つのねじれが生じたと論じた。すなわち、(1)冷戦の終わりが湾岸戦争という「熱戦」で始まったために、イスラーム世界と西洋との間で戦争と平和をめぐりねじれた対立が生じたこと、(2)世俗的で民族主義であったはずのイラクがイスラームを代表し、十字軍が欧米とサウジアラビアなどのムスリム諸国によって結成されたために、イスラームをめぐりねじれた対立がイスラーム世界内部で生じたこと、(3)地域システムの再編が内的論理でなしえなくなり、冷戦後の地域システムの転換にねじれが生じたことである。さらに氏は、これらのねじれを内包しながら脱冷戦期が始まったことが、その後のイスラーム運動、ひいてはイスラーム世界のあり方を強く規定していると指摘した。そして、このことをより具体的に解明するために、イスラーム主義者にとってのイラク敗北の意味、湾岸戦争とインティファーダの終わり・中東和平プロセスの連続性、イラク政権が現状維持されている一方で、イランではハタミ政権が誕生し変化の加速化がみられるという相反的な動きが同時進行している事態について検討する必要性を喚起した。

 次の報告者である栗田氏は、湾岸戦争の意義をアラブ世界の立場から回顧し、3つの論点を提示した。第一に、湾岸戦争は、アメリカの直接軍事介入の恒常化、パレスチナ解放闘争の封じ込め、「経済の自由化」をめざす圧力の激化をアラブ世界に引き起こし、その結果、20世紀以来、植民地支配からの解放と政治的経済的自立を求めて闘ってきたアラブ民衆の闘いの成果を「ご破算」にした。第二に、米の封じ込め政策による非民主的なイラク政権の延命・温存という皮肉な事態が生じた。第三に、1990年代を湾岸戦争という「熱戦」で迎えたことは、「新世界秩序」、「グローバリゼーション」が米一極支配のシステムに過ぎないことを、アラブ世界の人々に認識させた。その結果、対イラク制裁解除要求・「新中東秩序」構想の難航、対イスラエル抵抗の継続・イスラエルの核武装批判、緩やかな「アラブ統一」構想の再浮上などの対抗的な動きが生まれた。この動きの成否は、アラブ諸国内部における民主化の進展にかかっている。

 3番目の赤堀氏は、エジプト西部砂漠のベドウィンを事例に、マイノリティの立場から湾岸戦争の意味を明らかにすることを試みた。そのために、湾岸戦争時につくられ、サッダーム・フセインを歌ったベドウィンの歌が紹介された。氏は、その内容と形式から、ベドウィンがサッダーム・フセインを同じアラブとしてあるいは同じベドウィンとして捉え、共感していることを指摘した。そして、それがベドウィンのおかれた政治的・社会的状況の中で、具体的には、1960年代以降の開発・定住化の進行により国民国家システムの周辺に追いやられた彼らにとって現実の敵であるエジプト国家とアメリカとの関係において、湾岸戦争が解釈されていることの結果であると論じた。

 最後の五十嵐氏は、冷戦の清算を目的としたブッシュの「新世界秩序構想」に焦点を当てつつ、米国外交の視点から湾岸戦争の意義を論じた。この構想は冷戦の清算とその後の新世界秩序形成をねらいとし、そのためにNATO帰属という形でドイツ再統一のプロセスを完成することが最重要課題とされた。それゆえに、米ソは、そのプロセスが阻害されないように、その最終的な交渉の時期に発生した湾岸危機への対応において協調路線をとった。このことは、多国籍軍の結成を可能にし、サッダーム・フセインの誤算となった。湾岸戦争の遺産と波紋としては、中東では包括的和平、ヨーロッパではNATOの再編と協調的安保体制の形成という地域別の秩序形成の動きが生じた。それに対して、東アジアでは、PKO協力法、新ガイドラインをめぐる日米協力の推進、北朝鮮による核兵器開発の加速化など、地域秩序の混迷が助長された。

 以上の4つの報告を受けて、2人のコメンテーターから、国際社会における湾岸戦争の評価について五十嵐氏とは違う見方から議論を補うコメントがなされた。まず、橋爪氏は、新ガイドラインなどを例に、湾岸戦争がアジアの情勢に影響を及ぼしていることを指摘した。そして、逆に、中東でおこることも周辺地域と連動しているだろうから、地域研究の成果を社会的に意義あるものとするためには、中央アジア、東ヨーロッパ、東アジアなどとのヨコの関係に視野を広げる必要性を喚起した。西谷氏は、湾岸戦争をめぐる地域社会と国際社会の認識の落差が生じた一因として、世界秩序においては湾岸戦争が普遍的正義のための戦争として認識されたことを指摘し、その理由について、世界史の主体である西洋が、「ヨーロッパの世界化」ともいえる歴史の終焉の結果を守るべく、その結果から逸脱しようとする側に蓋をする必要があったと説明した。さらに、氏は、もう一つの論点として、イラクの敗北後にイスラーム復興の動きが高まった要因が、「ヨーロッパの世界化」のプロセスの一面をなす「世俗化」に求められるであろうことを指摘した。

今回の全体会議の特徴は、会議の最後に佐藤次高氏が述べたように、多彩な角度から湾岸戦争を共通の接点に議論が展開されたことによって、逆に地域の多面性が内と外から浮き彫りにされたことにあった。この点では、プロジェクトの狙い通りの成果となったと言える。しかし、地域研究者がこれまで十分に配慮してこなかった国際関係・国際社会の観点からの議論と交差するせっかくのテーマ設定でありながら、時間の制約のために踏み込んだ議論にはいたらなかったのは残念であった。この点についての関心が高いことは、国連の関わり、石油権益をめぐる国家間の対立、冷戦期における中東の位置付けなどについてフロアーから質問・問題提起がなされたことに伺える。フロアーからは、湾岸戦争と民主化・イスラーム運動の高まりとの連続性、湾岸戦争が中東各国の統治構造に与えた影響などについても質問・問題提起がなされたが、これらの問題についても国際関係・国際社会の観点抜きには論じることはできないであろう。今後にまた議論の機会が設けられることを期待したい。


(文責:岩崎えり奈)