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第3セッション:A City of Interactions: Jerusalem

<第1サブセッション:Co-existence and Disputes>

Yasir SULEIMAN: Sociolinguistic Reflexes of Political Conflict: The Case of Jerusalem
ナショナル・アイデンティティのような社会・政治的集団をマークする上で、言語はコミュニケーションとシンボルという二つの役割を果たしている。エルサレム(さらにはパレスチナ一般)において、ユダヤ/イスラエル側は言語(すなわちヘブライ語)の重要性をより強く認識してきた。それはおそらくヘブライ語がパレスチナにおけるユダヤ人運動の母体を確定するイデオロギー的手段と見なされていたためであろう。こうした文脈からパレスチナにおいては、アラビア語がヘブライ語に従属するという非対称な状況が作り出されてきた。この非対称な状況は東エルサレムでも生み出されており、道路標識、さまざまな歴史的な場所を示すサインなどにおいても、ヘブライ語の優位が確立されてきている。この言語における非対称な状況は、イスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人の間の力の非対称さを反映するものである。

Michael Dumper: Muslim Institutions and the Political Process: the Palestinian Waqf and the Struggle over Jerusalem, 1967-1997
ワクフ制度はエルサレムにおいて@礼拝場所の維持、宗教的な普及や訓練、巡礼者の宿泊所提供などを通じイスラームを守り高める、Aイスラームの各種機関や制度を維持するために不可欠な資金を外部から導入するためのチャンネルとなる、というきわめて本源的な役割を果たしてきた。それ故、ワクフはエルサレムの発展に中心的な役割を果たしてきた。しかし、エルサレムにおけるワクフに関する十分な資料はなく、包括的な調査も行われていない。また、暫定自治合意以降のヨルダンとパレスチナ自治政府(PNA)との関係が不透明であるため、ワクフの管理に関するアレンジメントの将来も確定していない。しかし、ワクフ制度はエルサレムにおける土地や建物の維持、および改修に大きく貢献しており、エルサレムの将来を決定する重要なファクターであり続けるだろう。

Fujita SUSUMU: Conflict and Ties in Jerusalem, A City of Many Peoples
エルサレムは受容性を持った都市であり、これまでに巡礼者や難民など実にさまざまな人々を受け入れてきた。それ故エルサレムの住民は多様な人々によって構成されてきた。また、3宗教の信者は共存を実現していた。しかしながら、アラブ・ユダヤ対立が激しくなるに従い、こうした共存のシステムは崩壊し、エルサレムのユダヤ化が進行した。1967年の戦争直後に、「嘆きの壁」前のマグラビ地区はイスラエルによって破壊され、広場となった。現在においてもエルサレム旧市街地のムスリム地区ではAtarat Leyoshna、Ateret Cohanimなどのユダヤ教グループが建物を接収し、イェシバーやユダヤ人の住居にする活動が続いている。

Akira USUKI: Jerusalem in the Mind of the Japanese: Two Japanese Christians' Writings on Jerusalem in Ottoman and British Palestine and Christian Zionism in Japan
日本のキリスト教シオニストの系譜は徳富健次郎(蘆花)にまでさかのぼる。徳富健次郎は1906年にエルサレムに巡礼の旅に出て、帰国後『順礼紀行』を著した。この徳富の講演を高校生時代に聞いた矢内原忠雄は強い感銘を受けるとともに、同じ年に内村鑑三によって始められた無教会派の聖書研究会に参加するようになった。無教会派は日本独自のキリスト教運動で、教会制度を否定し、日本の精神的伝統とキリスト教精神との調和をめざした。矢内原は1922年にパレスチナに行ったが、イスラエルの復活は聖書の預言の成就であるとしてシオニストの活動に注目した。このように日本におけるキリスト教シオニズムの運動はヨーロッパから伝播した伝統的な教会制度から距離を置いた独自のものとして発展しており、「新宗教」の文脈で考えるべきであろう。この流れは手島郁郎による「幕屋」へとつながっていくが、日本においてはキリスト教シオニズムに関し学問的な研究はまだ手がつけられていない。


<第2サブセッション:The Middle East Peace Process and Jerusalem>

Geries KHOURY: One City, Two Peoples, and Three Religions
エルサレムの将来を宗教的な視点から、あるいは政治的な視点からのみ議論することは不可能である。すべては宗教的であり、同時に政治的だ。3宗教の聖地であるエルサレムは世界で最も聖なる場所として、神が選んだ場所として、寛容と共生という特別のメッセージをそこに住む人々にだけではなく世界の人々に対し伝えようとしている。エルサレム問題を解決するには@統一性の保持Aアラブとユダヤという両面性の保持Bキリスト教徒、ムスリム、ユダヤ教徒それぞれの聖地における諸権利の保証Cイスラエル、パレスチナ両国の共通の首都であり、双方はそれぞれの独立した市当局を組織すると同時に、共通問題対処のための上級の合同委員会を設置、などの原則に立脚しなければならない。

Ann M. LESCH: "My" Jerusalem or "Our" Jerusalem: Can Alternative Futures be Envisioned?
イスラエル政府は1967年の東エルサレム併合以来、パレスチナ住民数を最大で30%以下に抑制する政策をとってきた。具体的にはイスラエル人人口の増大(旧市街地内ムスリム地区、拡大した市域などで)、パレスチナ人による住宅建設への制限などの政策が取られた。またこれらに加え、エルサレムにおけるパレスチナ人の居住権に対する各種制限措置がとられてきた。特に1993年以来、東エルサレムからヨルダン川西岸に移転した者に対するエルサレム市民としてのID再発行が拒否されている。このID再発行拒否は西岸に対する封鎖措置によってより大きな問題を引き起こしており、エルサレム外にすむパレスチナ人が仕事や礼拝などで市内に入ってくることが厳しく制限されている。

Akifumi IKEDA: A City of Interactions: Jerusalem
1967年以来のイスラエル政府のエルサレムでの入植政策は@併合した東エルサレムにおけるイスラエル/ユダヤ人の多数人口を確保するAエルサレムとヨルダン川西岸との間に連続的なパレスチナ人居住地域が建設されることを防止する、という2点に立脚してきた。他方、経済的事情などにより、東エルサレムのパレスチナ人口は増大しつづけた。結局、エルサレムおよびその周辺地域は人口動態および都市建設両面での競争が行われてきた。1993年のオスロ合意の結果、最終地位確定までの「秒読み」が始まり、イスラエル政府はエルサレムでのユダヤ人人口増大のための各種計画をいっそう促進している。その一つはラビン政権で最終承認された「エルサレム首都圏計画(Metropolitan Jerusalem Plan)」である。

Ryoji TATEYAMA: Ideas and Options for Addressing the Question of Jerusalem
エルサレム問題に取り組むため、これまでにさまざまな提案や構想が発表されてきた。大別するとinternationalization(国連総会決議181など)とnationalizationであり、後者に関しては主権をエルサレムにどのように適用するかで、@single sovereigntyAsplit sovereigntyBjoint sovereigntyCshared sovereigntyの4形態がある。オスロ合意以降の中東和平交渉でエルサレム問題はまだ本格的には取り組まれていない。しかし、東エルサレムに隣接するパレスチナ人居住地Abu Disをパレスチナ側の首都とするといった構想も非公式だが議論されている。いずれにしてもエルサレム問題に取り組むには都市の統一性の確保、2民族および3宗教の信者のエルサレムに対する感情や願望を満足させる、といった点を前提としなければならない。

<まとめと展望>
 エルサレム問題に関し学会レベルでこれだけ包括的なセッションが開催されたことは、日本ではおそらく初めてであろう。今回、ヘブライ大学のAmnon Cohenが直前になって参加しなかったことは残念だったが、エルサレムの問題をさまざまな角度から議論することができたし、かつ会場からも活発な質疑があった。部分的に感情的と思える反応もあったが、それはエルサレム問題に取り組む際に必ず直面する現実であるということを我々は認識しなければならない。
 議論を通じていくつかの点が明らかになった。エルサレムはさまざまな人間集団が共生してきた場であり、各集団は一定程度それぞれの生活・活動空間の境界を有しながらも、他方でその境界を越えた空間での生活や活動を行っており、各集団間の相互作用は多岐にわたっている。加えてエルサレムの問題は一都市の空間をはるかに超えた問題であることも明らかになった。日本を含む世界がエルサレムの問題とどう関わっていくかについて、強い関心を抱いている。
 その一方で、エルサレムにおけるさまざまな行為が政治的意味合いを持っていることも議論の対象となった。街路の名称と使用言語、ワクフの活動、人口動態レベルでの競争、居住権のありようなどすべては政治化され、紛争の局面を形成している。現在進行中の中東和平プロセスがエルサレム問題に関しどのような結論を出すかは現時点では不明だが、2民族、3宗教が共存する統一都市として問題の解決が図られるべきだという点で参加者に共通の認識があったと思われる。

 

立山良司(TATEYAMA Ryoji) 

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