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第2セッション:The Influence of Human Mobility

 
この国際シンポジウムにおける第2セッションの位置づけは、「起承転結」の「承」と「転」を兼ねたようなものであった。つまり、第1セッションにおいて主にイスラーム法的な観点から地域概念を多角的に検討し、それを受けて第2セッションで実際の人間の移動がどのようにその地域概念と関係していたかを問い、また人間の移動そのものが新たな地域概念を創り出していたのではないかとの問題を提示し、第3セッションでエルサレムという特殊な都市空間を対象にしてこれらすべての問題を集約的に把握して議論する。これが計画準備段階の実行委員会で合意された設定であった。
したがって、第2セッションのペーパー募集時には、できるだけ間口を広げた呼びかけをおこなった。要するに、イスラームと人間の移動とを関連させた議論ならば何でもどうぞ、というものである。多数集まった報告要旨を、実行委員のうち第2セッション担当の中西久枝氏と松本弘氏と一緒に相談しながら選定し、紆余曲折はあったものの、最終的にはプログラムのごとく決定した。以下、プログラムに沿って内容を紹介し、最後に概観と今後の展望を述べる。


<第1・2サブセッション :Human Mobility in History >
 このセッションでは、イスラーム初期から19世紀までの歴史的過程における人間の移動の諸側面を議論した。イスラーム自体の拡大と密接に関連していたサイイドの拡散過程が、着実なデータの裏付けをもって表現され(森本一夫、以下敬称略)、前近代のイスラーム史を規定する非常に重要な要素の一つとしての奴隷軍人あるいは奴隷の問題が、まさに広範な人間の移動状況を前提にしていたことが改めて確認されたYaacob Lev, Taef K. El-Azhari, Ibrahim Jadla。十字軍時代に基礎が固められた奴隷軍人体制が、現代の中東アラブ諸国の政治文化にまで影響を及ぼしているのでは、との大胆な問題提起もあった。16〜17世紀のカザフスタンにおけるイスラーム拡大過程の研究が、実質的にスーフィズム研究として推進されていることが示されAbuseitova Meruert、またオスマン帝国の都市を舞台にした非ムスリムの移動に関わる事例研究も提示された(黒木英充)

<第3サブセッション: Human Mobility and Information>
 このセッションは、人間の移動と情報がいかに関連してきたか、そこでイスラームはどのように介在してきたか、を議論する場であった。具体的な歴史相の中でいかなる情報がどのように伝達されていたかが、オスマン期のバルカンとエルサレムを主な対象地域として設定して議論されるとともに(Stefka Parveva)、ダゲスタンとブハラとが、技術情報を保持しつつ移動した銀細工職人集団によって結ばれた事例も示された(Makhsuma Niyazova)。人間の移動は必然的に情報の移動を伴うものであろうが、それが様々なレベルで伸縮する地域を形成する原動力となっていることが看取された。さらに、より抽象的な次元で、近代化やそれに付随した移動の激化・広範化により、人間のものの考え方や規範にまで影響が及んでくる側面を、人間の身体に関わる問題に絞ってイスラームと関連づけて議論する報告もあった(Lilia Labidi)。巷間で言われるところの「グローバル化」の文脈にのせれば、これはわれわれ一人一人の思考・判断にまで迫ってくる問題であろう。ある客観性をもって観察される事象とイスラームとをどのように関連づけるか。これは古くて新しい問題であり、現代イスタンブルの道路システムについて行われた報告(浅見泰司, Ayse Sema Kubat, Ismail Istek)においても議論が沸騰した。

<第4サブセッション:Human Mobility and Political Process>
 
このセッションのねらいは、それまで議論されてきた移動の諸要素を総合する場として政治過程をとらえ、その具体相を議論することであった。近代以降のマグレブ地域内およびそれを超えた形の大規模な人口移動が同地域の社会・政治構造に与えたインパクトが論じられ(Mohammed Boudoudou)、トルコ国内の人口移動とイスラームの政治化に関してミクロでなおかつ総合的な分析が加えられた(Nilufer Narli)。一方、スーダンを中心にヨーロッパやハイチまでを自在に伸縮する政治過程の枠組としたうえで、近代スーダン政治のダイナミズムが論じられた(栗田禎子)。いずれも、政治過程の中での人間の移動そのものが新たな地域を創り出してきたことを明らかにしていた。

<第5サブセッション:Human Mobility beyond the Borders Established by Powers>
 
このセッションは、それまでの4つのサブセッションの議論を踏まえたうえで、もう一度「境界を越える」ことの意味を問い直そうとした場であった。巡礼(ハッジ)はその原点だったのであり、これを帝国主義の時代における諸権力の相克の問題として議論した(大石高志)。また、遊牧という移動の「原初的形態」とでも言うべきものも改めて問題にしたJohn Schoeberlein)。さらに、旅行記の分析を通じて境界とそれを超えることに関するムスリムの意識を分析した報告(Alain Roussillon)を経て、境界自体が薄れてゆく状況を先鋭的に議論すること(Dale Eickelman)をもってフィナーレとしたのである。


<概観と展望>
 最初に述べたとおり、イスラームと移動にかかわるペーパーならば何でもござれとしたために、17にのぼる報告は時代的にも地域的にも多岐にわたり、総花的なセッションとなってしまった感は否めない。しかし、第2セッションがある程度は奔放であること自体を目的としていた事情から、この点はお許し頂けるのではないかと考えている。ただし、多岐にわたったとはいえ、足りない点は多々あった。総括討論でも指摘されたことだが、東南アジアに関するペーパーを設定することができず、結果的に報告者の出身国も含めて地域的な偏りを生じさせてしまった。これは以前から自覚していて何とかしたかったのだが、力及ばなかった。また、現代の国際労働力移動の問題を正面から問題にしたペーパーも得られなかった。公募形式をとる以上は仕方のないことかもしれないが、今後、国際会議を組織する際には御一考頂きたい点である。

 静態でなく動態を観察し、それを記述することは難しい。人間の移動をいかに実体として把握するか、それを歴史的な過程の中で問題にするかは、データをめぐっても、方法をめぐっても、常に大きな困難に直面することになる。人間の移動をいかに意味付けるか、といった問題も併せて、われわれに残されている課題は依然として多い。

 総括討論でも述べたことであるが、現在、生物学や医学とりわけ免疫学の先端分野で最も重視されている問題は、自と他の区別の問題であるという。すでにアイデンティティをめぐる研究などで議論されてきた問題ではあるものの、これをもっとドラスティックに展開して、様々な方法論を総合することが可能ではないかと思われる。地域研究においては、「地域」の可変性と重層性を認識することがその第一歩である。第1セッションと第3セッションは、まさにこの問題を、異なった視点から扱っていたのだと理解されよう。第2セッションでは、境界を越える移動を議論していて、現在の境界そのものが溶解している事態が明らかになってきた。単体であれ、集合体であれ、自己と他者の文化的・社会的区別は、今後いわゆる「グローバル化」の進展の中でいかなる形をとるのであろうか。ムスリムはその中でイスラームに依拠しながらいかに行動するのであろうか。われわれはそこにいかなる意味を見出すことができるのであろうか。

もう一つの問題は、果たして境界が溶融してそのまま消滅してしまうのか、ということである。すでに新しい境界――それも一皮むけば昔の境界が顔を出すかもしれない――がその先に立ち現れているのではないか。人類の歴史を振り返ってみれば、これまで常に古い境界を超えては新たな境界に直面する作業の繰り返しだったと言えないだろうか。「地域」なるものもまた、Human Mobilityの変容とともに、今後も無限に多様に組み替えられてゆくことだろう。

 最後に、第2セッションの各サブセッションの報告者とチェアーを務めて下さった方々をはじめ、関係各位に厚く御礼を申し上げたい。


黒木英充(KUROKI Hidemitsu)

 

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