イスラーム地域研究(IAS) 6班 イスラーム関係史料の収集と研究
アラビア語写本史料研究会
 
 
アイマン・フアード・サイイド氏 招聘関連行事 ─報告─

1.アラビア語写本講読会

実施日時:2000年7月18日(火)、21(金)、22(土) いずれも14時〜17時頃
実施場所:京都大学文学部 羽田記念館 講演室
参加者数:18日…4名、21日…10名、22日…6名
<内容の概略と実施状況>
 アラビア語写本に関する基本事項が、主として写本学(codicology)の立場から講じられた。1日目と2日目はコーラン写本の変遷とそれに伴う書体の発展について論じられ、コーラン以外の写本は3日目に扱われた。
 1日目〔アラビア文字書体の発展〕:イスラーム勃興期に現れたヒジャーズ書体・バスラ書体・クーファ書体は、まず第一にコーラン筆記のために用いられた。アッバース朝時代初期にコーラン以外の筆記のためにムハッカク・ワッラーキー書体(イラク書体)が登場する一方で、コーランの読み方を正しく書写する必要性から、母音符号と文字の弁別点がそれぞれAbu al-Aswad al-Du'ali(d. 688)とNasr b. `Asim al-Laythiによって開発され、Khalil b. Ahmad al-Farahidi(d. ca. 789)の改良を経て、現在用いられている形になっていった。10世紀前半にIbn Muqla(d. 940)が標準6書体を選び、文字の各部分のバランスを整えた。その後、Ibn al-Bawwab(11世紀)やYaqut al-Musta`simi(d. 1299)などイラクの能書家が書体の洗練に力を注いだ。彼らの後、アラビア文字書道の中心はイラクからエジプトへ移り、その後ティムール朝、サファヴィー朝、オスマン朝の書家がその伝統を継承し発展させていった。
 2日目〔コーラン写本の変遷〕:コーランの古写本には、正方形、横長、縦長あるいは巻物などさまざまな形態のものが存在した。初期の写本には、ワクフ設定の日付はあっても書写日付が記載されないものが多い。1000年頃を境に、コーランが他の書物と同じ書体でも書写されるようになっていった。マムルーク朝とイルハン朝の下ではコーラン写本の装飾が発展した。両王朝下で発展した装飾に関して相互の影響が指摘されている。
 3日目〔アラビア語写本学序説〕:アラビア語写本に関する写本学的研究は、文献学的研究に比して立ち遅れている。写本学の研究対象を大きく2つに分けると、写本を構成する物質(材料)ならびに本文以外に写本に書きこまれた情報の2点となる。前者はさらに用紙・インク・書体・製本の4分野に分けられ、現存最古の『書記の支えと知性の主の備え』(11世紀後半?)をはじめとして、これらの技術に関する書物が古くから編纂されてきた。また、その写本が草稿であるか清書されたものであるかという違いも重要である。草稿写本は、その著者が作品を執筆する過程を知ることができる貴重な資料である。写本中の本文以外の情報とは、書き込み、奥付、所蔵記録、ワクフ記録、聴講や読誦のイジャーザ(認定証)などである。奥付や所蔵記録、ワクフ記録からは、その写本が成立した時期と場所だけでなく、その後の経歴を知ることができる。また、イジャーザからは、当該写本が何時どこでどのような人々によって読まれたかというような情報を得ることができる。このような本文以外の情報を分析することによって、さまざまな事実を明らかにすることができる。そのためにも、これらの情報が記載されている写本の扉や末尾の部分を体系的に収集し出版することが望まれるのである。
 当初我々がお願いし期待していたのは、特定の写本を読みながら注意点を適宜指摘してもらうという形式であったが、実際には講義に近い形で実施された。しかし写本の実例がスライドとOHPで提示され、そのうち一部は出席者にコピーが配布されていたため、具体的に理解することができた。また出席予定者には前もって講義原稿が配布されていたので基本的に通訳はつけられなかったが、1日目と2日目については当日に日本語のレジュメ(作成:近藤真美氏)が配布され、3日目についてはレジュメの代わりに谷口が日本語でおおまかな解説を入れるという形で進められた。参加者は少なめであったが、少人数ゼミナールのような雰囲気の中、説明の途中や後に実例を見ながら心ゆくまで質問や議論をおこなうことができた。特に3日目に扱われた草稿写本や写本上の種々の記録については、説明終了後1時間にわたって質疑と応答が続けられ、参加者の関心の高さがうかがわれた。

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2.第1回講演会「イスラーム時代エジプト史の史料」
         (Masadir al-tarikh al-Misri fi al-`asr al-Islami)

実施日時:2000年7月24日(月) 15時〜17時45分
実施場所:九州大学箱崎文系キャンパス 文学部大会議室
参加者数:18名
<内容の概略と実施状況>
 当初は初期イスラーム時代からマムルーク朝時代に至るエジプト史の史料が扱われる予定であったが、時間的な制約からファーティマ朝時代に重点を置いて話が進められた。
 ファーティマ朝時代は歴代カリフの治世によって、ムイッズ〜ザーヒル時代、ムスタンスィル時代、ムスターリー〜アーディド時代の3時代に分けられる。エジプト進出を果たした最初の時代には、ファーティマ朝以前に書かれた作品の続編に当たるものが著されるとともに、カリフや有力者の伝記が作成された。また、国家制度の整備が進められたことを反映して、その規則や組織に関する記録が現れた。ムスタンスィル時代には、前代と同様の史料に加えてナーセル・ホスローの旅行記や大ダーイー=ムアイヤド・フィ・アッディーンの自伝など、著者自身の体験を中心に据えた作品が見られた。王朝末期に当たる3番目の時代については、支配領域から外れていったシリアで記された史料からも情報を得なくてはならない。ファーティマ朝下のエジプトで著された書物は多くが散逸してしまったので、後代の著述家による引用を収集して原型を復元するという作業が重要である。マムルーク朝時代にも多くの書物が著されたが、それ以外にキリスト教徒の著作やユダヤ教徒が残したゲニザ文書も重要である。
 司会の大稔哲也氏が通訳も担当した。オスマン朝時代の研究者やヨーロッパ史研究者などさまざまな分野の専門家が出席した。講演の内容は史料の紹介が中心で論点がやや判りづらかったが、講演後の質疑応答では「イスラーム時代」にオスマン朝時代以降が含まれていないことに対する疑問や、ファーティマ朝時代の史料の残り方の特徴に関する質問などが提出され、意見の交換が活発におこなわれた。

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3.第2回講演会「アラビア語写本学序説」
         (al-Wasf al-maddi li-l-makhtutat)

実施日時:2000年7月27日(木) 15時15分〜17時
実施場所:東洋文庫 3階講演室
参加者数:約20名
<内容の概略と実施状況>
 講演の内容は京都での講読会3日目の講義とほぼ同じであったが、実例の提示と説明は一部に限られた。三浦徹氏が司会を谷口が通訳を務め、さらに講演内容の日本語訳草稿が参加者に配布された。質疑応答では、イジャーザに関してさらに詳細な説明が求められ追加説明が行われたほか、自分が取り組んでいる写本のコピーを持参して質問をする出席者も見られた。このような参加者の反応から推して、京都の3日目と同様このテーマに対する関心はかなり高いように思えた。

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4.全体を振り返って

 今回の招聘事業における最大の収穫は、やはりアラビア語写本学の諸問題に関する一連の講義・講演であろう。研究における写本の利用が当たり前のようになっている日本においても、このような問題に関しては個々の研究者が自分の経験に基づきながら対処しているのが現状で、体系的な専門研究は行われていない。このような問題について、貴重な実例を見ながら説明を受ける機会を持てたことは大変有意義であった。一方、九州大学で行われた「イスラーム時代エジプト史の史料」は文献学的な情報に満ちた講演で、写本学と文献学双方からの視点を併せ持つことの重要性を改めて認識させられた。
 京都での行事が「写本講読会」と銘打ちながら実際は講義形式になってしまったことについては、講読会に代わりうる内容の講義が実施されたとはいえ、参加者の期待を裏切った結果となり、参加者各位にお詫びしなくてはならない。フアード氏と直接会うことなくファックスと電話だけで準備を進めていったため、こちらの要望がうまく伝わらなかったのが最大の原因である。今後は準備段階での被招聘者との意志疎通を密にする工夫が必要であろう。また、3回にわたる写本講読会を京都で開催するのは、IASでは初めての試みであったと思われる。参加者数は3回とも10名以下で、参加者にとっては上述の通りよい環境であったが、講師のフアード氏にとってはやや拍子抜けであったようである。メーリングリスト以外の方法でも多少は広報の努力をしたが、関西においてこの種の行事に参加者を集めるのは難しいように感じた。
 以上のような反省点もあったが、全体としては内容・質ともIAS6班およびアラビア語写本史料研究会の活動趣旨と合致する行事が実施できたと考えている。最後に、今回の招聘事業に協力し支えて下さったIAS6班各位および各開催場所でお世話いただいた近藤真美(京都大学)、大稔哲也(九州大学)、三浦徹(お茶の水女子大学)の各氏をはじめとする皆さんに心より謝意を表したい。


招聘担当・報告文責:谷口淳一
2000年8月15日作成
E-mail: tan-jun@ma1.seikyou.ne.jp


最終更新日:2000.8.25 管理者:谷口淳一

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