オスマン検地帳にみる18世紀初頭イラン西部諸地域の都市と農村
−その規模と若干の特徴−

山口 昭彦(東京大学)


 都市であれ、農村であれ、集落の人口動態やその地理的配置は、個々の集落が示す社会経済上の変動や、それと連動しながら複数の集落間に形成される相互の関係性を探るうえでもっとも重要な指標の一つである。ところが、ことイラン史研究に関する限り、これまでこのような視点からの研究はあまりに少なく、若干の都市の人口規模について論じたものがわずかにあるのみである。しかも、19世紀以前について言えば、利用しうる史料がごく限られているがために、いくつかの特定都市についておおまかな数値が得られる程度で、農村の人口規模にいたっては研究はほとんど皆無と言ってもよい。

 以上のような研究状況をふまえて、この発表では、オスマン史料を用いることによって18世紀初頭のイラン西部地域における集落の規模やその配置に見られる傾向を示すことを試みた。ここでいうオスマン史料とは、1722年にアフガン族による攻撃の前にサファヴィー朝が混乱に陥ったのを受けてイランに侵攻したオスマン朝が、23年から30年にかけてイラン西部一帯を占領した際に各地で作成した納税台帳、いわゆる検地帳である。台帳には、都市や村、あるいは部族集団ごとに、その名称と行政上の帰属、そこに所属し担税義務を負う全成人男子の名、支払うべき税目と税額が逐一記されており、これらの記録は各地域の集落規模や生産活動などに関する豊富な情報を提供している。これらオスマン検地帳によって記録された地域は、イラン西部のほぼ全領域に及ぶが、ここでは、事例として、マラーゲ、アルダラーン(コルデスターン)、ハマダーンの3つの地域に関する台帳を取り上げた。

 発表では、はじめに史料の由来や書式等について簡単に紹介し、その後、税目・税額から見た集落の特徴、およびそれらの地理的配置に見られる傾向を都市と農村に分けて検討した。以下は、これらの分析によって得られた結論である。

1)都市
 ここでは、台帳においてカサバやシェヒルとされている集落が対象である。これら都市は、基本的にはいずれも行政上の拠点であったと考えられるが、実際には、納税者数にして20人程度という、都市というよりも小さな村落とでもいうべきものから1500人程度の比較的大きなものまでかなりの幅があった。いずれもその内部ないしは周辺に広大な耕地をもち、住民の中にも耕作や牧畜にたずさわるものが少なくなく、農業生産が重要な経済活動の一つを構成していた。他方で、当然のことであるが、ごく小規模のものを除けば、多くの場合、染色や皮なめしなどの手工業が発達し、市場や隊商宿があったことも税目から確認できる。とりわけ注目すべきは、この地域を走る通商路には、タブリーズ方面からケルマーンシャー方面に至るもの、バグダード方面からケルマーンシャーを経由してハマダーンにぬけるもの、また、アレッポ方面からマリーヴァーン、スィネ、さらにハマダーンへ、そしてハマダーンから先はエスファハーン、ガズヴィーン、アラークなどに至るルートなどがあったと考えられるが、台帳に現れる都市のなかでも大きなものはいずれもこれら幹線道路沿いに位置していることであり、都市の発展にとっての商業活動の重要性があらためて確認できた。

2)村
 村の経済活動は、通常、農耕と牧畜の混合が基本的なありかたであるが、手工業あるいは商業活動に従事しているものもわずかながら見受けられる。住民規模については、納税者数1人ないし2人という、村というにはあまりに小さなものから、400人程度の、町とでも呼び得るようなものまでさまざまであった。とはいえ、この場合、マラーゲ、アルダラーン、ハマダーン、3地方を通じて大半の村がせいぜい納税者数30人程度であるのに対し、100人を超えるものはあくまでも例外的である。それでは、なぜこのような例外的な大規模村落が発達したのだろうか。この点を考えるために、納税者100人以上の村落に見られる税目・税額上の特徴やその地理的配置に着目することによって、村がある程度以上の規模に発展するための条件を検討した。その結果、大規模村落はいずれも(大)都市周辺や幹線道路沿いに立地していること、また、多くの場合納税者数に比して耕作規模が小さいことから、手工業や商業など非農業活動が存在したことが推測されること、この2点が確認された。つまり、村落のある程度以上の発展にはさまざまな要因があったに違いないが、すくなくともここで分析の対象となった地域に関する限り、これら2つの条件が必要不可欠であったと考えられるのである。

 なお、発表では、集落の立地条件についての考察を都市と大規模村落に限定したために、中規模、あるいは小規模の村落についてはまったく触れていない。この点が本研究の限界の一つであるが、それに関連して、質疑応答の際に、「中心地論の考え方を取り入れることで、さまざまな規模の集落がどのように分布し、相互に関連しているかをよりダイナミックに捉えることができるのではないか」との提案をいただいた。これについては今後の課題としたい。