2002年1月26日(土) 於:立命館大学アカデメイア立命21
「ペルシア語書簡における位階の作法
 ---イラン・イスラーム世界における文書作成理念をめぐる一考察

                                   報告者:渡部 良子(東京大学大学院)

 2002年1月26日、立命館大学で開催された最後のペルシア語文書研究会で、報告を行う機会をいただいた。報告者が専門とする13-14世紀のペルシア語圏では、現存する古文書が極めて少なく、文書行政や文書作成技術、書記の知識について明らかにしようとする時、書記術手引書、インシャー文学をどのように活用してゆくかが問題となる。本報告では、ペルシア語書記術手引書の中で、文書作成の作法が多くの場合、文書授受者間の位階の差に基づいて論じられている点に注目し、文書作成における位階の作法が具体的にどのような細目を持つのか、ペルシア語文書作成の理念の一側面として、位階の差の遵守がどのようなものとして書記たちに理解されていたのかを、書記術手引書の記述に即し明らかにしようと試みた。

 具体的な方法としては、まず、14世紀の複数の書記術手引書に見られる、位階の作法を巡る記述を検討した。そして、受取人の敬称・称号(ラカブ)、差出人の自称、美文による冒頭祈願句を含む文書の書面構成や、冒頭余白・行間・署名位置などが文書授受者間の位階の上下関係により決定されていることを指摘し、異なる位階間で要求される作法を遵守することで、命令書・上奏書の書式、授受者の力関係を微妙に反映する公式書簡の書き方が決まるのではないか、という仮説を提示してみた。さらに、書記術手引書における称号の一覧から、位階の区別が君主・文武の高官・ウラマー等の伝統的分類概念に基づいていることを確認した。最後に、このような位階の作法が実際にどのように用いられてきたのかという事例として、14世紀イルハーン朝の政治権力者ラシードゥッディーンの書簡集を取り上げ、ラシードの権力が各書簡にどのように反映しているのか、位階の作法から明らかにすることを試みた。

 参加者は、司会を引き受けてくださった山口昭彦氏(聖心女子大)以下、磯貝健一氏(京都橘女子大)、江川ひかり氏(立命館大学)、近藤信彰氏(東京都立大)、谷口淳一氏(京都女子大)、真下裕之氏(京都大)であった。古文書学の方法論を熟知しているメンバーであり、報告者の報告が極めて不手際で不十分なものであったにもかかわらず、様々なコメントをいただいた。いずれも厳しい批判であり、古文書学における文書分類・文書形式の研究を踏まえず、書記術手引書の記述だけから文書の区別を論じるのは不可能であること、古文書学における文書分類は各文書特有の書面の構成・文章のパターンの違いに基づいており、位階の差により分けられるわけではないことを指摘された。事例研究に関しては、位階の作法が儀礼的・形式的なものだとすれば、ラシード書簡に見られる位階の作法は必ずしもラシードの実際の政治権力を反映しているとは言えない、また、ラシードの書簡における差出人の位階は必ずしも彼自身の位階を意味するわけではなく、他の人物(君主など)を代弁している可能性に注意しなければならない、という批判を受けた。

 いずれの批判からも、報告者の古文書学の知識の乏しさ、書記術手引書研究と古文書学の蓄積との接点を作れていない欠陥を痛感させられた。しかしそれだけに学ぶことが多く、報告者にとっては非常に有意義な場となった。文書の形式・作成方法は時代を通して変化していない要素が多いため、手引書の記述と後代の現存文書を比較することで得る発見が多いはずであるという磯貝氏、谷口氏の指摘、またインドにおけるインシャー研究の蓄積に関する真下氏の助言は、特に参考になった。これからの課題とするとともに、会に参加して下さった方々に、改めて謝意を表したい。(文責:渡部良子)