発表要旨
文書史料の地方史史料的特殊性
───19世紀パンジャーブにおけるある文書に基いて
露口哲也


 文書史料(詔勅、書簡、法廷文書、行政文書……)は近年とみに脚光を浴びる史料群である。これには最近の歴史研究の動向の変化が密接に関わるものと見られるが、これらはその独特の性格とも相俟って、各々個別な事情に従い、史料としては極ミクロな、しかも、正確な情報を提供する点に特長があるといえる。もしこれがある種の空間的限定の設定の中で集積されるのであれば、その範囲内での極めて密な過去を再構成するところのものとなるといえよう。しかし、一方、これを扱う技術的な側面からは、その十全たる理解のためには、しばしば殊に各々の文書が空間的に関わる特定地域の事情への精通が求められることとなる。いわば、本発表は往々にしてこうした状況を孕む文書史料について、19世紀パンジャーブにおけるある文書を手掛りに、史料としての性格の一端に光を当てることを目的とするものである。このため、今回ここで取り上げたのは、スィク王国期(1799-1849)ラーホールにおいて作成されたこの都市のムスリムの宗教施設の一覧表である。これは、この都市の当時の行政区分に従って、そこに存在した聖者廟、モスク、スーフィーの修道場、パーインダ(?)が一覧表として纏められたもので、上記王国期末期の作成と目される、極めて珍しい種類のものである。さて、この文書の有する史料的見所に着目すれば、マクロ的にはこれは宗教施設の網羅的列挙である点からこれらに関する統計的資料が構成されていることが指摘できよう。しかも、ここには行政区毎に数が示されており、それら々の分布状況の把握にも繋がり、更に深い分析への道が開かれていよう。そして、これが個々の列挙項目に至れば、その見所は枚挙に暇がない。こうして、ラーホールという一都市に関する限り、その情報量という点ではまたとないものとなっていることがわかる。その観点次第により新しい事実がそこに発見されよう。

 
 しかし、これを理解するというやや技術的側面に目を転ずれば、これはペルシャ語文書であ
りながら、同時にかなり多くのヒンディー語系の単語が見受けられるという事実に気付かされる。勿論、これがインド亜大陸のものであるという条件を考慮すれば、こうした例は珍しいものではない。しかし、これに加え、パンジャービー語の単語が見られ、更には、数々の固有名詞、或いは、ペルシャ語としてもこの地方固有の用法等々に至れば、これの判読に至る段階でさえも、その難点の様がすぐさま浮び上がってくる。そこには自ずとこの文書の理解にはその背景への事情に精通の度合いが大きくかかわる事情が見えているといえよう。こうして、本文書から推する限り、その技術的限界からして、文書史料とは本質的に地方史史料であらざるをえないという結論が導かれるように思われる。ただ、一方において、本文書についても、この歴史的ラーホールが、同時に、デリー、アムリトサル、或いは、その他の中小の都市ともかなりの類似性を有しているという指摘に着目すれば、これが都市について語るものである限り、ある意味においては、普遍的な価値を有してもいるのである。すなわち、文書史料とは第一義的には地方史史料でしかあり得ないといよう。すくなくとも、研究者は、まず第一にその地方的文脈の中でこれを理解することが求める。しかし、その史料自体は同時により高次のレベルでの意義をも秘めているのであり、これを見逃すべきではない。ただ、近年、より密な考察を得意とする社会史の隆盛のさ中、文書史料は格好の素材であるといえるのではなかろうか。