中央アジア関係
写本史料講読セミナー



 11/28(火)〜12/1(金)、京都大学羽田記念館における、第6班中央アジア関係写本史料講読セミナーは、以下のように行われた。

講師:Assam Urunbaev氏(ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所主任研究員)
司会・ロシア語通訳:磯貝 健一氏

テキスト
11/28(火),29(水):
Sharaf al-Din Yazdi, Zafar Nama  ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所蔵4472(ファクシミリ出版Tashkent, 1972)、及びロンドン大英図書館写本Add. 6538.
12/1(金): ウルンバーエフ氏将来中央アジア未公開ワクフ文書写真版


 第1,2日目は、ウルンバーエフ氏が著名なファクシミリ版を出版されているティームール朝時代初期の代表的史料、Sharaf al-Din YazdiのZafar Nama(Tashkent, 1972)を、ロンドン大英図書館写本とつきあわせて読むというプログラムであった。テキストとして選ばれた箇所は、第1日目はティームールの第一次ホラズム遠征(タシュケント本146a-148a、ロンドン本70b-73b)、第2日目はアンカラの戦い(タシュケント本410b-415a、ロンドン本320b-324a)という、いずれもティームール時代における歴史的事件に関する記述で、部分的な講読によりZafar Namaの史料的特色を理解するためには、適切な選択であったといえるだろう。 ウルンバーエフ氏が著しく体調を崩されるというハプニングのために、予定していたセミナーの時間が大幅に削減され、結局2日間で講読できた量はごく僅かであった。また、司会・通訳の配慮により、セミナーがアカデミックな写本読解ではなく、修士・博士課程の大学院生が、初めて触れる写本史料を、大家の研究者の前で朗読・翻訳する経験を味わう、という趣向で進められたため、参加した研究者の方々は些か物足りない気持ちがしたと思われる。しかし、韻文の解釈や、戦闘場面の描写などに見られる文学的表現の理解に関するウルンバーエフ氏の講義は、ペルシア文学に関する氏の圧倒的な知識を感じさせる、極めて内容の濃いものであった。史料としてペルシア語文献を精読することには、私たちも慣れてはいる。しかし、文学的性格の強いペルシア語史書がそれだけでは理解しきれないということは、ペルシア語文献を扱う誰もが痛感している点である。深い文学的素養に裏打ちされた現地研究者によるペルシア語史書読解の片鱗を窺い知ることができたことは、ペルシア語文献を利用する私たちにとって、非常に刺激的なことであったと思う。

 第3日目のテキストは、ウルンバーエフ氏がウズベキスタンから持参したブハラ・アミール国時代のワクフ文書であった。当日行われた説明によれば、これは個人宅に保管されていたものを、所有者が普通のカラー写真に撮影し、氏に解読を依頼したという未公開文書であり(近日氏による学術的校訂が発表される予定)、古文書が日常生活の中に偏在するウズベキスタンの研究環境の豊かさ、複雑さを感じさせられる。司会・通訳の磯貝氏が中央アジアワクフ文書の専門家ということもあり、ワクフ文書の書式・定型句・術語の丁寧な解説を含む、非常にレベルの高いワクフ文書読解セミナーとなった。特に私を含め、ワクフ文書に初めて接した多くの大学院生にとっては、このセミナーへの参加は非常に有益だったと言えるだろう。ワクフ文書研究の初歩から実践までが短時間に凝縮された、極めて優れたセミナーであった。欲を言えば、イランのワクフ文書を専門とする近藤信彰氏など専門研究者達から、時代・地域による文書の違いや共通性に関する指摘や情報提供があれば、さらに興味深い研究会となったと思われる。

 セミナーは、通訳つきのロシア語で行われ、さらに参加者各人の専門語を活かしてペルシア語、トルコ語、ウズベク語が飛び交うという多彩な言語環境で行われた。しかし、主要な使用語はロシア語・日本語であり、一人で通訳の任を負った磯貝氏の負担はあまりに重過ぎたと言える。この場を借りて、参加者一同の深い感謝を表したい。将来状況は変化してくるかもしれないが、中央アジア諸国では、やはりロシア語がアカデミックな共通語として極めて重要な役割を持つ。イスラーム地域研究プロジェクトでも、私たちは主に英語をコミュニケーション手段とする国際的学術交流の機会に馴染みつつあるが、視野を広げれば特に現地では英語が主要な学術的共通語として定着していない世界はまだ広い。国際共通語としての英語の利用に慣れる一方で、それぞれの研究者が各人の専門語を活かし多彩な言語によるコミュニケーションにも対応してゆけなければならない、そのような認識を新たにできた会でもあった。
(文責:渡部 良子)

研究会風景