2001年度第2回研究会

今回は、「イスラーム法廷制度・法廷文書とイスラーム社会」研究会シリーズとして、10月に行われる国際会議のセッションの準備を兼ねて行われた。
報告1
「二重の」ワクフ訴訟―ガージャール朝期シャリーア法廷研究序説
報告者:近藤信彰(東京都立大学)

内容:
 本報告では、テヘラン郊外の村に設定されていたワクフ財の所有権をめぐる争いの中で出された9通のホクムの分析を手がかりに、ガージャール朝期のシャリーア法廷の「訴訟」機能とその実態について検討がなされた。

 まず、これまでの研究の問題点が指摘され、その後、王族女性とグルジア出身ゴラーム間の争いを焦点に、各文書の内容が具体的に紹介された。その中で、個々の用語に関する問題から、関わった法学者の紹介、および彼らの国境を越えた裁判への関与等が指摘され、マルジャエ・タグリードの確立という時代背景と結びつけて、国家とは別のヒエラルキーの形成途上と結論付けた。これまでほとんど扱われてこなかった難解なシャリーア法廷文書が鮮やかな切り口で語られ、その豊かな歴史史料としての価値が改めて証明されたこと、単なる個別的な事例研究にとどまらず、イランにおけるウラマーをめぐる諸問題にまで言及されたことは特に注目される。
 質疑においては、イランを専門とする研究者のみならず、オスマン朝や中央アジアを専攻する参加者をまじえて、文書の事実関係の確認から法的強制力の問題に及ぶまで活発な議論が交わされた。シャリーア法廷に強制的な執行力が欠けていたにも拘らず、なおそれが存在し、機能していた事実については、「法」概念や「公」に関するイラン、およびイスラーム世界における捉え方とその変容という観点から、本報告によって貴重なステップが踏み出されたと考えられるが、一方、その機能の不完全さゆえの「曖昧さ」とどう向き合っていくかが今後の研究におけるひとつの焦点になると考えられる。
文責:前田弘毅 (東京大学大学院博士課程)

報告2.
オスマン朝時代のシリアにおける婚姻契約と文書化
Marriage Contracts and Documentation in Ottoman Syria)

報告者:大河原知樹(日本学術振興会特別研究員)

内容:
 今回の発表は、発表者である大河原氏がこれまで研究を続けてきたオスマン朝時代のシリアを対象として、イスラーム世界の婚姻制度の実態およびそれが現在のシリア社会に与えた影響をあきらかにしようとしたものである。

 発表は大きく二つに分かれていた。前半においては、イスラーム世界における婚姻制度の概観に始まり、オスマン朝以前およびオスマン朝下のシリアにおける婚姻契約制度について考察が加えられた。それによると、マムルーク朝を征服したセリム1世の時代には、早くも婚姻契約制度の変化が見られるという。すなわち、マムルーク朝期には、シャリーア法廷と公証人役場がそれぞれ独立していたが、オスマン朝は公証人役場を廃止し、シャリーア法廷内にその機能を持ち込んだ。このことによって、カーディーに婚姻を届け出て、登録を受けるとともに手数料を支払うという、それまでに存在しなかったシステムがこの時期にシリアに導入されたと考えられる。スレイマン1世期のシェイヒュルイスラームであったエッブスウードのファトワーを分析したImberも、この事実を裏付けるファトワーの存在を提示している。ところが、実際に法廷台帳を調査してみても、そこには婚姻記録は、ほとんど存在しないため、Imber説に対しても大きな疑問が残された。タンズィマート期には、婚姻許可台帳 izinname defterleri が成立し、また1881年には戸籍台帳法が制定された。さらに多くの関連法規が準備され、最終的に19171231日に家族法が制定されるに至って、オスマン朝における婚姻制度は一応の確立を見たということができる。また、16世紀のカーヌーンナーメ以降、20世紀初頭に至るまでのシリアにおける婚姻に関する法令の記載内容の発展もあわせて確認された。

 発表の後半では、1902年から1927年までの婚姻許可台帳を用いて、平時と戦時(第一次世界大戦)の婚姻傾向の違いについて考察した。さらに、季節ごとの婚姻件数を分析することによって、現在は夏に多く冬に少ないとされている婚姻が、今世紀初頭においては3〜5月に特に多いことがあきらかになった。また、第一次世界大戦勃発を境に、婚姻件数が激減していることも確認された。続いて、ダマスクスを中心とした婚姻関係の地域的つながりについて言及された。婚姻における地縁関係については、郊外の地域に対するダマスクスの求心力の強さが認められる一方で、農村地域においてはその地域内での婚姻が多いこと、隣村との交流が活発でないことがあきらかとなった。結婚年齢については、ダマスクスはイスタンブルと同水準であった。また婚姻件数と同様に、結婚年齢についても第一次世界大戦によってそれまで安定していた数値が一気に流動化したことが述べられた。最後に婚資額についてもやはり、大戦期に急激な上昇が見られた。

 まとめとして、大河原氏は、いまだ起源も制度的沿革も不明瞭な婚姻許可状の実態および婚姻税との関連性の更なる解明の必要性を強調した。加えて、後半で検討した配偶者の選択、結婚年齢、婚資額については多変量解析を用いた分析が必要であるとして発表を締め括った。

 今回の発表は、これまでかならずしもあきらかにされてこなかった、イスラーム世界の婚姻制度について、シリアに対象を限定しつつも、その解明を試みた画期的なものであったように思われる。ただ、少し残念であったのは、前半部分において16世紀のスレイマン1世紀以降、タンズィマート期にいたる時期の状況がほとんど言及されなかったことである。この問題は、検討するカーヌーンナーメの年代の幅をさらに広く取ることによって、ある程度解決されるように思われる。これに加えて、発表の最後で大河原氏が課題としてあげた点を解明し、来るべき国際会議において発表されることを期待したい。

文責:澤井一彰(東京大学大学院博士課程)