トルコ調査(1999年3月15日〜1999年3月23日)報告

 

トルコ都市調査報告(平成10年度3月実施)

陣内秀信(法政大学大学院教授)

 

A)調査概要

1:期間 :(本調査)1999315日〜323

       ※これに現地での事前準備と追加調査が加わる(3/9-3/30

参加者:7名(陣内秀信、新井勇治、鶴田佳子、豊島さおり、押川考一郎,宍戸克実,青樹和久)※科研費での参加は陣内のみ

2:調査都市:イスタンブル / ギョイヌック/ ブルサ

3:調査対象:建築単体から街路、街区及び都市全体の構造と景観まで

4:調査方法:平面・立面・断面等の測定(実測・スケッチ・写真による記録)。

       ヒアリング。文献・資料の収集。

※イスタンブル工科大クバット教授、ギョイヌック市役所の方と面会、調査協力を得る。

 

B)調査地別内容

5:イスタンブル(調査実施日:3/16,22,25-28) 

 イスタンブルでは、エユップ、フェネル、バラットを中心に調査を進めた。今回の調査目的である、地形条件の違いによる住宅地の住宅の集合の仕方、そして都市的発展の見られる高密度な住宅地の例としてのサンプルを収集した。

 

エユップ地区

 エユップ地区は、テオドシウスの城壁のすぐ外側で、旧市街北西部に位置し、平坦な地形となっている。

 エユップとはマフメットの弟子エユップ・エンサルのことで、674 678年にイスラ−ム勢力が初めてコンスタンティノープルに攻め込んだ際、戦死したといわれている。そして彼の名を冠したエユップ・スルタン・モスクを中心とし、多くの墓廊、墓地が存在する。モスクが完成して以来、ここはイスラ−ム教徒にとってメッカ、エルサレムに次ぐ聖地として現在も崇められている。

 2年前のトルコ調査で入手した、1995年にエユップ区役所によって作成された、保存のために登録された住宅・店鋪の調査図面を活用し、住宅のプランによるタイポロジーの方法にもとづく分類・考察を行いながら、現在の状況の確認を行なった。

 分類する上で、メインの入り口をもつファサードにおける空間分配とその奥行きの空間分配、街路・敷地・住宅に注目し、庭の配し方に着目した。加えて、階高、店鋪併設の有無、張り出しの形状や立面における割り合い、張り出しをもつ面と街路の関係、張り出しの位置と入り口の関係、住宅のロケーション(隣家との関係、地形状況、街路との関係)、住宅の方向性、住宅の規模と格式、住まい方、建材、メインの入り口の設け方(階段の有無、階段の方向)、バルコニーの有無、眺望の取り方等に注目している。ただし、この条件は地形によって変化すると考えられ、トルコの住宅におけるファサードの決定は確かなものでないため、より細かい検討が必要である。

 現在、登録済みの伝統的な住宅は、近代的な鉄筋コンクリート造によって新たに建てられている建物群の中に点在している状態である。そして修復がなされたもの、修復中のものも含んでいる。今回は登録済みの住宅で、3軒に入ることができた。

 1軒目は、街路側に3列、奥3行に空間が分配されている。1階部分の一部は荒廃が進んでおり使用していない。1階と2階には血縁関係のある2家族が住んでおり、玄関スペースはひとつで共有している。メインのエントランスは街路に接し、横と裏側に庭をもっている。

 2軒目は街路側に2列、奥2行に空間が分配されている。1階に1家族、23階にもう1家族が住んでおり、血縁関係はない。玄関スペースは別れており、横庭を介してアプローチさせるタイプとなる。

 3軒目は街路側に3列、奥3行に空間が分配されている。現状を見ると、1階の街路に面した部分には不動産屋、小間物屋、靴屋が入っており、居住部分の1階の奥と2階は崩壊が進み、使用していない。しかし、この住宅の持ち主から以前の状態についての話を聞くことができた。この住宅に関しては、店鋪は改築によって併設されている。入り口は街路に接している。現在は自動車修理工場となっている住宅の裏側が、以前の裏庭であり、裏側に庭をもつタイプになる。この住宅のように、途中改築、改修を重ね、プラン等が大きく変化しているものも多く、タイプ分類を行う際に、改築部分に対して検討する必要がある。

 

フェネル地区、バラット地区

 フェネル、バラット地区は隣接した地域で、オスマン帝国期にはフェネル地区にはギリシャ人が、バラット地区にはユダヤ人が多く住んでいたという非ムスリム居住地であった。そのため、教会、シナゴーグ、モスクといった各宗教施設の混在がみられる興味深い地域の1つである。

 この両地区に関しては、ユネスコとファーティフ区役所による保存計画のための地域調査報告書を入手することができた。報告書には、各地域での建物の建設年代、階高、用途、建築材料、現状況別等が記載されており、地域全体の把握をするのに有効なものである。

 今回の調査で注目したのは、フェネル地区の斜面に直行する街路の住宅地、バラット地区の商業空間、その商業空間から住宅地への移り変わりエリアでの建物の様相、さらに両地区を結ぶ海岸沿いの平坦な街路に、同じような形態をもった住宅が連続して建ち並ぶ一画での住宅の集合形態、建築スタイルである。

 まず、両地区を結ぶ海岸沿いでは、平坦な地形で、まっすぐな街路に沿って、間口が狭く、ファサードにおいて2階以上の中央部が出窓になっており、規格統一されたような34階建ての住宅群が外壁を接しながら連続して並んでいる。この高密度なエリアで、各住宅は庭のスペースをもっていない。街区の裏側には、住宅のすき間のような空間がみられるが、かなり狭く、デッドスペースとなっている。

 その中の1軒に入り、調査することができた。この住宅では、各階に居室が一部屋、その奥に階段スペースやトイレといったサービス空間をもつという、最もコンパクトな空間構成となっている。張り出し部分には、作り付けのソファーが置かれており、たいへん居心地のよい効果的な空間となっている。この部分の側面の窓からは隣人とのコミュニケーションをとることも可能である。そしてこの張り出しの上部をバルコニーとして利用している。玄関は建物の角に寄って設けられており、1階での平・立面はシンメトリーの形式を維持していないが、2階以上の立面では、シンメトリー性を演出している。1階の玄関通路横の部屋は、居室スのペースとなっており、農村部や小都市で普遍的にみられる1階を倉庫や家畜小屋のスペースとするスタイルはとっていない。高密度に都市発展した地域では、居住のためのスペースが優先され、出窓を設けたり、ファサードをシンメトリーにするといった伝統的な建築形態は維持しながらも、使い方の面で大きな違いが生じてくるのである。さらにヒアリングより、同じプランをもつ住宅が2軒づつ並びながら、連続しているという情報を入手できることができた。このことは街並みからも明らかで、2軒の連続だけでなく、3軒、あるいは4軒連続している建物もあることが分かった。この通りでは、状況を示すために連続立面図作成の作業を行った。街路の張り出し窓は、高さ、幅ともほぼどの住宅でも揃っており、景観に対する計画性が見られ、街並みに連続的なアクセントを生みだしている。

 フェネル地区の急斜面に直行する通りでも、連続立面図作成のための作業を行なった。勾配の急な通りでは、玄関は斜面の山側に、そして外階段で数段上げながらのアプローチをもつものが多くみられた。1階の居住部分を高くすることで、その下の半地下室を有効的に、スムーズに設けることができるためと考えられる。

 この通りでは張り出し部分の底面が整形ではなく、斜めに張り出すものが多くみられた。斜めの張り出しは、不整形な敷地いっぱいに建物を建てた時に2階部分を整形にするためにあらわれたものであると考えられる。ただし、この斜めの長辺の方向に関しては、眺望に関係があるという仮説を立てている。ここでは、長辺は海側を向いており、より海側の眺めを堪能できるようになっていた。この仮説に関しては他のエリアでも確認が必要である。

 住宅地の中に、点在するバッカルという生活雑貨屋は、フェネル、バラット地区すべてにおいて、街区の角地、もしくは街路の辻に配置されているという傾向がみられた。

 バラット地区の海岸沿いに間口の狭い店鋪建築の並ぶエリアがある。ここには、現在週1回、市も立っている。ほとんどの建物が1階、もしくは2階建ての低層建築である。計画的に建設された商業地区、もしくは工房地区であることは明らかである。ここで取り扱う商品に統一性はみられない。

 このエリアの裏には、モスク、アルメニア教会、シナゴーグがみられた。そして、これら宗教施設郡とハマムの裏手より、住宅地が始まっている。モスクとハマム、そしてチャイハネ、床屋といった都市公共施設が1ヵ所に集まるという現象は、バラットとフェネル地区の境界部分でもみらた。この形態は、他の中東地域、例えばダマスクス等のアラブの都市でもみられ、イスラーム世界共通の形態と考えられる。

 市場占有の地区から住宅街に進むと、途中のエリアでは1階部分を店鋪化し、2階部分に住宅の形態を残している建物が多くなっている。1階部分に店鋪を併設するという形式は、ヨーロッパの都市、そして日本の商店街にも通ずるスタイルである。建物の建設時に店舗併設として計画されたものであるのか、市場の拡張にともなって、以前は住宅専用であった建物で、1階部分を改築して店鋪を併設するようになったのかについては、今後ヒアリング等を続け明らかにしたいと考えている。

 また、カパル・チャルシュ等の大バザールなどで、一般的に職住分離がいわれているトルコの都市における職住近接のパターンについても検討していきたい。

(豊島さおり)

 

6:ギョイヌック(調査実施日:3/17-21)

都市の概要:

 ボル県ギョイヌック郡の中心の小都市。海抜720m。人口4365人、郡としては17717人(1997年現在)。都市の中心部にV字状に川が流れ、その谷の斜面に展開する町である。V字の間、中央の丘はビザンツ期に城塞があった場所であり、現在は勝利の塔(1922)が建ち町のシンボルとなっている。町は6居住区から構成され、公共施設、宗教施設の他、住宅465件、店舗・作業場157件、材木作業場5件がその主な内容である。町の歴史は古く、ビザンツ期の遺物も残っている。現存する建築としてはオスマン時代のスレイマンパシャ・モスクが最も古いものであったが、最近火事で外壁を残し内部は全焼、現在再建に向け金銭面での工面をしているところである。町はシルクロードの街道に沿って位置し現在も旧街道上には商業施設が連なる。また、主要街道は谷を回り込んで尾根からアンカラ方面へ抜けていくルートになっているが、中心部からアンカラ方面へ抜ける尾根への急な坂道を上る近道である細い街路がラクダ通りという名称とともに残っている。100年以上の歴史をもつ住宅が多く残り、ギョイヌック市が景観保存のための建築協定を定め、住宅のみならず街路の保存にも力を注いでいる。

 

調査対象: 

 住宅の内部空間、及び庭や街路との関わりを含んだ外部空間を主に対象として調査を実施してきた。作業項目は各住宅の屋根伏せ、平面・立面・断面図の作図、写真による記録、空間の名称、利用法等のヒアリングである。これらの記録にあたり、景観や斜面等の地形との関わり、街路・庭等の外部空間からのアクセス、室内からの眺望等に留意した。また、住宅単体のみならず街路によって連続した住宅街区を対象として捉え、その連続立面、平面図等も作成し、さらに対象域を広げ、地形との関わりを断面図によって記録する。住宅のみならず、商業施設、コミュニティ施設、宗教施設等も対象とする。実測にあたり、対象地域を以下に記する数カ所に絞る。旧街道沿いの都市中心部に位置する商業地域(メインルート及びその裏手の工房や住宅の並ぶ街路)、旧街道のアンカラ方面に通じる街路に面する住宅群、中心部からアンカラ方面に抜ける近道ルートとなる斜面の街路(名称:ラクダ通り)、および街路に面する住宅群、谷から延びる急斜面の街路に面する住宅地区、そして街路構成に袋小路をもつ住宅地区である。

 これらの調査にあたり、イスタンブル工科大のクバット教授、ギョイヌック市役所、及び現地の方々の多大な協力を得て、都市地図の入手や各施設の実測を円滑に行うことが出来た。今後これら実測データの図面化、収集資料、及びヒアリングデータの整理を行い、考察を進めていく予定である。

(鶴田佳子)

 

7:ブルサ(調査実施日:3/23-25)

■住宅(ヒサール内外の斜面地と平坦地)

 ブルサにおいては、ヒサール(ビザンツ時代の城砦)内の比較的平坦な地形とヒサール外の斜面地の2つの異なった地形での住宅街に注目した。それぞれの地形で、住宅の形態や立面、集合の仕方、空地の取り方、格式、街路と入口の関係などについて調べた。2年前の調査では、大バザール(カパル・チャルシュ)の立体的な構造や都市施設の配置などに注目し考察をおこなったので、今回は住宅街を中心に考察を進めた。

 ヒサール内では、オスマン帝国初期の二人のスルタン、オスマンとオルハンの墓廟が置かれている公園に隣接し、ブルサの中心部にあたる大バザール(カパル・チャルシュ)を見下ろす様な位置にある住宅街を選んだ。この住宅地は、ヒサール内では比較的見晴らしがよく、重要なスルタンの墓廟に隣接するというロケーションのためか、メインの通り(カレ・ソカック)に面する住宅のほとんどが、3、4階建てで、敷地の規模が大きく、窓や部屋を通りに大きく張り出した格式の高い住宅が建ち並んでいる。このメインの通りは、中心のバザールの建つウル・ジャーミ(大モスク)のミナレットにまっすぐ向かうように方位がとられており、計画性を伺わせる。通りの反対側には地区のモスクがあり、やはりミナレットが通りから見通せる。

 通りに面して両側に10軒ほどの住宅が立ち並び、どの住宅も間口を大きくとり、広い敷地を有している。通り側にファサードを向け、ハーフティンバー状の外観をもつものや、窓辺に花や緑を飾り、外からの景観も意識していることが分かる。また、玄関はたいてい建物の中心に設けられており、玄関を挟んだ左右の部屋の大きさや窓の数を同じにし、ファサードにシンメトリー性を強く出しており、やはり外観への意識が強く感じられる。2階、3階と上部階にいくほど通りに部屋がせり出し、バルコニーを設けているものもあり、住宅からの眺望も意識していることが分かる。

 次に、庭の配し方として、隣家との間に庭を配し、家屋を隣家から独立させたり、あるいは、互いに壁を接している住宅では裏側に庭を設けている。

 調査作業としては、通りの両側の連続立面図、平面図を作成し、平坦地での格式の高い住宅の在り方を考察している。このエリアは、都市保存局でも調査が行われている。そこで、保存局で作成した地図や住宅図面の入手も行った。平面図の入手により、裏側の庭の有無、部屋の配置や構成の把握が可能となった。

 ここでは、2軒に入ることができた。1軒はホテルに改修しているが、かつての住宅の姿を維持している。もう1軒は一部を歯医者の診療室に改造しているが、今も住み続けている住宅である。ホテルは、かつて集合住宅として使われており、当時玄関は共有していたが、上下階で住み分けていたという。95年にホテルに改修後、地下室を新たに作っている。歯医者の住宅には裏側に庭があり、そこには噴水を設け、樹木を植えている。さらに、庭にトイレや水場があるため、庭が母屋と離れとの通路にもなり、また洗濯物を干したり、簡単な作業を行う場としても利用されている。あたかもアラブやイラン地域で一般的によくみられる中庭型の住宅のような体裁となっている。

 ヒサール内の住宅については、2年前に行った調査でも、平屋で中庭のような庭をもつ住宅を多く見掛け、気にかけていた疑問のひとつとなっていた。いままでにトルコの典型的な住宅として紹介されてきたスタイルとは、いささか異なっているのである。今回の調査では、一部の住宅の平面図を入手でき、さらに数軒の住宅に入り、住人の話も聞くことができた。住人の話では、かつてヒサール内の住宅の多くにこのような庭があり、小さなプール状の泉があったという。

 以上のことから、次のような仮説を立ててみた。それは、ヒサールはビザンツ時代の中心部であり、住宅地も形成されていたはずである。住宅の形態として想像できるのは、他のビザンツの遺跡に普遍的にみられる中庭式の住宅である。ブルサは14世紀にオスマン帝国の支配下に入るが、新たな都市造りの中心はヒサールの外側に設定され、ヒサールは中心から外れることになる。ヒサールは一部が破壊されたり、廃虚化したかもしれないが、街路網や壁体などの基礎部分は受け継がれたのではないかと考えられる。したがって、かつて中庭があった住宅のスタイルの一部が残り、その上に次第にトルコ的な住宅形式が加わり、ファサードがしつらえられたり、2階、3階の木造部が設けられていったのではないかと想像できる。当然、全く新しく建て替えられていった住宅もあるだろう。それらは出窓や張り出しを備え、外観を意識したモノとなっていると考えられる。

 また、さらにヒサール内でのモスクなどの都市施設で、キリスト教会堂からの転用と思われるものが多く見受けられる。モスクの入口のファサードに教会様式のようなスタイルがみられたり、レンガ造であったり、さらにレンガを斜めに積むことによって、ノコギリの歯のように角を出して、建物の軒を縁取って装飾している。レンガでの装飾は、ヒサール以外のモスクではほとんどみられず、トルコのギリシャ人居住地区の教会や住宅の一部、さらにはギリシャの伝統的な教会堂でよくみられるものである。

 このヒサール内の住宅形態については、この仮説を踏まえながら、継続して調査研究を行っていきたい。

 さて、二つ目の調査地区は、大バザールからムラディエやチェキルゲといった都市周縁部に新たな地域発展の核となったキュリイェ(複合都市施設群)に通じる街道に沿った住宅街について調査した。

 街道は山のふもとに比較的平坦な地形に通したもので、遠くはイスタンブル、イズミールなどの沿岸部に抜けるシルクロードの一つである。山を越えるルートもあるが、荷物が大量な場合などに頻繁に利用されていたものと思われる。また、聞き取りによると、この地域にはユダヤ教徒やキリスト教徒が、多く住んでいたようである。

 調査地は街道に面して、レストランや日用雑貨店、生鮮食料店などといった商業店舗が立ち並び、その街道からヒサールへの登り勾配の斜面にかけて、住宅がセットバック状に建っている一画である。店舗が並ぶ通りから、一歩裏側に入ると住宅街になっている。街道は等高線に沿うように延び、それに平行して住宅街の中を狭い道が幾本か通っている。そして、それらの平行する道を、所々で直交するように急勾配の階段やスロープで結んでいる。住宅は平行する道の間に、横一列か、二列の形状で、互いの壁を連続するかのように建てられている。直交する道の住宅ではやはり互いの壁を接しながら、眺望を確保するかのように階段状に建ち並んでいる。

 屋根は切り妻で、平を谷や山に向け、平行した通りの住宅では平入り、直交した住宅では妻入りとなる。妻入りの斜面に建つ住宅では、たいてい高い側に入口をとり、低い側は半地下室として利用している。

 このエリアの住宅の多くは、規模が小さく、ファサードの装飾も乏しい。庭がない家も多く、ある場合でも街路からのアクセスのための簡単な前庭や裏側の家との間に設けられたわずかな裏庭といった程度である。庭に代わって用いられているのは、2階以上高さに設けられたバルコニーであり、谷側に開くことによって眺望が確保されている。庭を備え独立して家屋を建てているものは少なく、長屋的に住宅が集合している庶民的な住宅街となっている。ヒサールでの邸宅と比較して、ファサードのシンメトリー性は弱く、2階以上での出窓や街路上への部屋の張り出しも少ない。

(新井勇治)

 

C)今後の分析方法

 各調査地において実測調査した建築物やその周囲の様子などの作図(平面図、立面図、断面図、屋根伏図など)を行い、建築単体およびそれらの連続した景観や街区としての形成のされ方等を形態の特徴や地形との関わり方、機能面などの点から分類を試み、その特徴を考察していく。

 また、GIS(地理情報システム)を利用した研究の試みとして、現地で入手した都市図(スケール1/1000)を活用し、分析を行っていく。

 ここでは、トルコ都市における空間構造の特性を読む上で、建物と敷地内の私的な空地(アプローチの前庭、庭園、菜園など)、そして街路(メインストリート、脇道、袋小路)などの公的な空地の関係に注目する。都市における屋外空間(void)の在り方を明らかにするのである。それは住宅、都市施設の立地の仕方、集合の様子を分析することにつながり、トルコ都市の空間をよく物語るはずである。

 これらの屋外空間(void)の占める割合などを、同一の都市の中の異なるロケーション(平地や斜面地、街路の性質による違いなど)にあるサンプル・ゾーンを幾つか抽出し、定量的に比較、分析していく。また、トルコ内でも似た気候風土、環境条件、建築文化をもつ地方の中から、農村、小都市、中都市、大都市といった規模、性格の異なる居住地を選び、相互に比較して、その状況の違いを考察していく。配置や集合の原理は共通しながらも、大都市になるほど、建物の密度があがり、ヴォイド(void)の占める割合が小さくなる様子が、GISによる分析で描けるはずである。さらに、建築・都市の構成原理がこトルコとは異なるアラブやイランの都市をも対象として、同じような視点から比較分析を行っていく。