トルコ・シリア調査(2000年8月14日〜2000年8月27日)

A)調査概要

1:期間 2000年8月14日(月)〜2000年8月27日(日)

2:参加者            寺坂昭信,浅見泰司,イスマイル・イステッキ,鶴田佳子,宍戸克巳,北川賢介(敬称略)

3:調査都市         イスタンブール,ブルサ,ダマスカス,アレッポ,エディルネ

4:調査方法         ヒアリング,写真撮影,文献資料の収集,トルコの研究者との打ち合わせ

B)調査地域別内容

1:イスタンブール(8/14~8/17,8/25~8/26

    フェネル・バラット地区

フェネル・バラット地区は以前はギリシャ人やユダヤ人が居住し、ギリシャ正教会やシナゴーグの残る地区であるが、現在は伝統的な住宅群が保存の対象として認定されており、1999年3月に本グループにおいても住宅を中心に当地域の調査を実施した地区である。今回は商業空間の構成に視点を絞り、地区内における商業活動の中心地にあたるエリア、火曜市(週市)の立つエリア、住宅地内に点在し毎日の生活(パンや新聞の購入)に欠かせないバッカル(雑貨屋)の立地状況、という3つの性格の異なった対象をとりあげ、地区全体から日常のコミュニティーレベル、あるいは常設から仮設の露店に至るまで全体の構成を把握することを目的に写真撮影、ヒアリング等を行った。バッカルの立地に関しては、バラット地区にエリアを限定しその立地をプロットした。

    旧市街のキュリイェ

アヤ・ソフィアやスレイマニェがある半島や金角湾を挟んだガラタ地区の一部をTINによりGIS上で3次元したが、このGISの3次元図上の景観と実際の景観を比較し、分析の有意性を調査するために、様々な場所からのビデオ撮影を行った。

撮影ポイント : ガラタ塔・エミノミュ〜カドキョイ間の航路・ガラタ橋・スレイマニェ・イェニジャーミ前・バヤジットジャーミ・カラキョイ

これらの撮影ポイントから大モスクの見え方を中心にイスタンブールの景観撮影を行った。結果として、イスタンブールの大モスクは周辺の建築と比較して非常に大きく、全体のシルエットが現在もよく見えていること、及び、イスタンブールには7つの丘があるといわれているが、その丘の上に大モスクが立地、イスタンブールの景観を作り出していることがわかった。これは、ガラタ地区がある新市街地からよく分かる。

イスタンブールはブルサと異なり海に開けているので海上からの可視性などを意識して大規模なモスクを立地したのかを分析したが、ボスフォラス海峡からエミノミュに向かう航路での景観は、スルタンアフメットジャーミ、アヤ・ソフィア、トプカプ宮殿、イェニジャーミ、スレイマニェのシルエットが連続して現れ消え、美しい。

    イスタンブール工科大学クバット教授との面会

ブルサについての論文を見てもらい、コメントをいただく。また、イスタンブールの都市形成の歴史についての様々な文献、特に地区別の成立年代に関する文献を提供していただいた。

2:ブルサ(8/17~8/20)

◇キュリイェの立地について

 日本で分析したスルターンのキュリイェの可視性を実際に検証しモスクの実際の存在感を確認することが目的であり以下の観測点で撮影を行った。

グリーンモスク             ムラド2世モスク

ムラド1世モスク          ヒサール地区とオルハンの霊廟

バヤジットジャーミ       ウルダグ

各キュリイェは、GISの分析通り段丘の上に立地していることがわかった。またGISマップの範囲外にあるバヤジットモスク、ムラド1世モスクも段丘の上に立地している様子がわかった。また、イスタンブールと異なり北向きの斜面に立地し、北側に入り口を持つブルサの大規模モスクは、やや薄暗いモスクの中から出てきたときに、非常に視界が開けていて気持ちよかった。ただ、資料館にあった過去のブルサの写真では、モスクは周辺の建築よりも大きく目立っていたが、イスタンブールのモスクよりも小規模であるために成長している市街地に埋もれてしまった感はぬぐえない。また、ブルサは緑が多い都市であり、大きく茂った木がモスクの可視性を邪魔していた。

◇ウルダ−大のNeslihan Turkun Dostoglu教授との会見

Neslihan Turkun Dostoglu教授は、ブルサの建築とその歴史に大変詳しい方であり、「Location of mosques in BursaTurkey : Using geographic information system」という論文を見てもらいコメントいただいた。可視性が高い段丘の上にキュリイェが立地するという結果、また、キュリイェが北向きの斜面に立地するという結果について、その歴史的地理的背景を教えていただいた。ただし、注目していた直線道路は1921年に作られたものであり、モスクが成立した時代とは大きく異なるものであった。よってモスクの可視性と都市構造の関係については考え直す必要がある。

3:ダマスカス(8/20~8/21)

新市街地・旧市街地のスークを中心に調査を行った。新市街地はやや広めの道路がグリッド状に通っている。またスークは屋根がかかっており、日差しがあたらず非常に涼しい。旧市街のスークはまっすぐの道にアーケードがかかっているが、中は排気ガス等でホコリが多く空気が悪いが、人は非常に多く賑やかである。ウマイヤド・モスクは、中庭というより広場に近いような広い中庭がある。モスクの装飾は非常に細かく美しい。

4:アレッポ(8/21~8/24)

旧市街および、新市街内の商業空間の現状を把握する。いずれの都市も旧市街におけるメインの商業空間及び居住空間の性格の異なる街路をくまなく全域とまでは及ばなかったが街路及びそこに面する諸施設の機能や建築形態の観察を行い、特にアレッポの商業空間に関しては店舗や通りの屋根形態に留意した。また、同じくアレッポは城塞から町を俯瞰し町全体の構成および街路状況を写真撮影による記録をした。

5:エディルネ(8/24,8/25)

都市のセンター域を構成する商業施設、街路を含めた商業空間全体の活動状況の確認を行い、市役所において資料の収集を行った。数年前に火事で焼けその後、修復されたアリパシャ市場の復興状況を見ることが出来た。

エディルネは、ブルサやイスタンブールと異なり起伏が少なく、平坦に近く、また都市自体もやや密度が低い。ただ、シナーンの最高傑作といわれるセリミエ・ジャーミは、やや高さがある場所に立地し、ジャーミ自体の大きさも非常に大きいために都市の様々な場所から見えている。ただバヤジット・キュリイェは川をはさんで平坦な場所という可視性を意識しているとは思えない場所に立地していた。

また、市役所を訪問し、地図を頂く、さらに紹介されたコピー店の主人からエディルネの等高線入りの過去の大縮尺地図を入手した。