イスラーム地域研究国際シンポジウム
(2001年10月5日-8日、千葉県木更津市)
報告書

東京大学大学院人文社会系研究科
アジア文化研究専攻イスラム学専門分野博士課程

 西野正巳

  2001年10月5日から8日まで、4日間に渡り、木更津かずさアークにて国際シンポジウムが開催された。1日目に公開講演会、2日目以降に研究発表が行われた。以下では、10月7日の第4セッション"Sufis and Saints Among the People in Muslim Societies"にてなされた発表について報告したい。第4セッションでは、計10人の発表者が報告を行った。ここでそれぞれの発表について述べると、単に要約を人数分並べたものとなってしまいそうなので、以下では、私市正年氏の発表「現代エジプトにおけるスーフィー教団とイスラーム復興」に限定して話をさせていただく。
 私市氏は、1998年から1999年にかけてエジプトで長期間の調査を行って以降、今年(2001年)の夏に至るまで、頻繁にエジプトを訪れ、スーフィー教団の活動についてのフィールドワークを続けている。本発表は、こうした最新の調査の成果に依拠したものである。私市氏が指摘するように、現代エジプトを対象とした研究の内、いわゆるイスラーム主義をテーマにしたものは無数にあるが、他方スーフィー教団を扱うものは非常に少ない。こうしたアンバランスが生じる原因には、9月11日の米国における事件に象徴されるように、イスラーム主義に起因する(と、少なくとも一般には思われている)出来事の方が、実際に人々の関心を引きつけやすいということもあるのだろう。だが、研究者の興味が一カ所に偏ると、結果、研究対象(ここでは現代エジプト)についての理解が歪んだものとなる。その意味で、私市氏の研究は非常に価値あるものと言えよう。彼の発表は、ブルハーミー教団のシャイフや教団員とのインタビュー、及び、ダフタルの調査に依拠している。以下、同発表の概要を記す。
 ブルハーミー教団は、アイユーブ朝末期からマムルーク朝初期にかけてナイル・デルタにて生まれ、19世紀初頭には、エジプトでもっとも有力な教団の一つとされるほどに成長した。現在、同教団のシャイフは、1957年生まれのムハンマド・アリー・ムハンマドである。一族の内、彼より年長者は皆、イスラーム学の最高学府であるアズハルの出身者だが、彼は世俗的なアイン・シャムス大学の商学部出身である。彼はシャイフであると同時にビジネスマンでもあり、パソコンも使いこなしている。
 シャイフとのインタビューによると、現在、ブルハーミー教団員は、その数100万人に達する。(なお、エジプトの人口全体は、6500万人である。)一方、エジプトの全教団が提出を義務づけられている質問票の回答によると、同教団のメンバー総数は約17万人となる。また、過去24年分のダフタルに記載されている、ムリードを除くメンバー数は1万8千人程度である。この3つのデータは、相互に矛盾するが、実際の団員数は5〜10万ではと見積もられる。先代のシャイフの頃は、新規加入者は年間500人程だったが、1975年に現シャイフが就任して以降は、600人から1000人に達している。
 同教団の興味深い制度に、カード・システムがある。全教団員は、教団の一員であることを示すメンバーシップカードを所有している。このカード・システムは、教団員相互の連帯意識を高めることに役立つに加えて、教団の資金獲得に重要な役割を果たしているように見受けられる。現在、エジプトのスーフィー教団は、公的には会費を徴収することを禁じられている。しかし、カードを支給される際、大半の教団員は一定額を支払っている。そして、カードの有効期限は1年間である。つまり、カードの更新の度に、教団員はカード代を払っていることとなり、これは事実上の年会費となっている可能性がある。とはいえ、教団の財政事情は依然不可解なことが多い。客観的なデータが存在しないことに加え、シャイフとのインタビューでも、満足のいく答えは得られなかった。カイロの教団事務所は庶民街の質素な部屋に過ぎないし、シャイフがドゥスークを訪れた際滞在したのは、簡素な妻の実家だった。こうした事情を考えると、同教団は富裕でないのかもしれない。だが他方、シャイフは多額の費用がかかるメッカ巡礼を頻繁に行っている。スーフィーはしばしば贅沢を嫌うという点も考慮すると、教団が貧しいと即断はできない。それ故現状では、同教団の財政事情についての判断は保留したい。なお、カード以外の資金源としては、団員の寄付と、政府からの補助金がある。かつては教団の最大の財源はワクフだったが、1960年代に政府が教団のワクフ所有を禁じて以降は、教団はワクフを持っていない。他に財政面で注目すべきこととして、教団と特定の企業との関係が挙げられる。カイロ郊外のヘリオポリスにある一企業は、従業員全員がブルハーミー教団員であり、シャイフ自身、幹部の一人として働いている。インタビューでは、従業員らはこの企業と教団以上のデータから、構成メンバー数という点で、スーフィー教団がイスラーム主義組織を圧倒しているのは間違いなかろう。1970年代以降、エジプトではイスラーム主義組織の活動が顕在化するが、その影でスーフィー教団も成長していた。前者がしばしば反政府的行動を取り、他方後者は政府に協力的であるため、傍目には前者ばかりが目立っていたに過ぎない。両者は、一方が農村部の年輩層、他方が都市部の若者という異なる支持基盤に依拠するが、双方は宗教的価値の重要性を説く点では一致しており、両者が共にイスラーム復興をになっていたと言える。社会改革のプランでは異なる主張を持つにせよ、スーフィー教団とイスラーム主義組織は相互依存的関係にあったと言えるのではないだろうか。
 以上が私市氏の発表の概要である。私自身、現代エジプトを研究対象とする者の一人だが、本発表で得られた情報の多くは、今まで知らなかったことであり、大いに勉強になった。以下、いくつかコメントを述べさせていただきたい。
 まず、ブルハーミー教団の人数の点だが、これは、正確には何人位いるのであろうか。個人的な感想では、100万人はもちろん、10万人や5万人でもかなりの誇張を含んでいるように思える。例えば、日本の各宗教団体の公称信者数を合計すると2億5千万人以上に達することからも分かるように、こうした人数を調べる際には、公称のデータは極めて慎重に扱わねばならないだろう。教団員の正確な実数を知るには、カイロ以外の各県にあるとされるブルハーミー教団の支部を訪れ、それぞれの活動規模を観察するのが一番確実に思える。反政府的なイスラーム主義組織の聞き取り調査は、これらの組織が政府にマークされている関係上、極めて困難であるが、他方スーフィー教団の調査にはあまり制約がないと思えるので、こうした調査は十分可能なように思える。もっとも、教団員の実数が分かったとしても、イスラーム主義組織のメンバー数は正確には不明のままので、単純にどちらの方が多いと言うことは困難なのであるが。
 それから、ブルハーミー教団は、思想的にはどういった立場を取るのだろうか。現在、カイロの多くの書店では、イスラーム主義者の著作は膨大な量が売られているが、他方スーフィズム関係の著作は非常に少ない。イスラーム主義者の著作はしばしば発禁になるが、スーフィズム関係の本が発禁になることはまずないということを考慮すると、両者の量的な相違は歴然としている。このことは、教団員の多くが農村部に住む高等教育を受けていない人々であることも関係しているのだろう。だが比較的少数とは言え、都市部に住む高学歴の教団員もいるようなので、彼らがどのような思想を学んでいるかは非常に興味を感じる。こうした情報が得られれば、現代エジプトのスーフィー教団の思想動向を知ることにつながり、研究が一層実りあるものとなるように思える。
 コメントは以上である。最後に、私のような若輩者の学生に報告の機会を与えてくれた先生方に深く御礼申し上げて、筆を置かせていただきたい。