イスラーム地域研究国際シンポジウムレポート

上智大学大学院 外国語学研究科
地域研究専攻 博士前期課程1年

飯村 直樹

 
2001年10月5日から8日の4日間にわたって、国際シンポジウム"The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies "が千葉県、木更津にて開催された。3日目の第四セッション"Sufis and Saints Among the People in Muslim Societies"においては、計10人の研究者の発表が行われた。

8人目の私市正年氏は"Sufi Orders and Islamic Resurgence in Contemporary Egypt :Analysis of the Daftar of the Burhami Tariqa"と題し、フィールドワークから得た資料を豊富に用いて現代におけるスーフィー教団(Sufi Orders)の実態、社会的意味について野心的な発表を行った。氏は、現在までの研究においては、スーフィー教団が社会的・政治的に果たしてきた多大な役割が、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて近代化のプロセスの中で弱められてきたとされており、1970年代に興隆してきたムスリム同胞団のようなイスラーム政治運動は大きく注目されたが、スーフィー教団や聖者信仰についてはあまり注目されてこなかったとする。また研究のほとんどが人類学的、社会学的なものであり、儀礼的、社会文化的側面に焦点を当てている、と研究の偏りを指摘する。

氏は1998-1999の間のエジプト滞在時にブルハーミー・タリーカ(Burhami・Tariqa)のシャイフ(Shaykh Muhammad Ali Muhammad Ashur)と会い、このタリーカの記帳簿(daftar)を入手した。発表は主にこの記帳簿の分析とシャイフのインタヴューから得られた情報の分析・解釈によって進められた。議論の骨子として、

1・)イスラーム政治運動(Islamic political movement)が顕在化した1970年代エジプトにおけるスーフィー教団の傾向。

2・)イスラーム政治運動とスーフィー教団の間における宗教的・社会的復興の相違。

3・)社会改革への反応におけるイスラーム政治運動とスーフィー教団の相互依存関係。

の3点が提示された。次に近代以降のスーフィー教団の歴史と氏のフィールド・ワークの成果についての説明が行われた。エジプトのスーフィー教団は19世紀の初めから中央政府の管理下に置かれ始め、官僚システムに取り込まれた。ブルハーミー・タリーカのシャイフの地位は19世紀の終わりから世襲となっている。1975年以来シャイフをしているのがMuhammad Ali Muhammad Ashur(以下、シャイフ・ムハンマド)で、彼は1957年10月24日カイロ生まれ、自らの選択でAin Shams University商学部に入学、卒業した。また、彼の祖父・父・兄弟はアズハル大学を卒業している。スーフィー教団のシャイフであり、ビジネスマンでもある。
彼は2000年からコンピューターによるスーフィー教団員の登録をはじめた。記帳簿によるメンバーの管理そのものは、1930-40年代にはじめられた。氏は、この記帳簿システムに近代的で、合理化され、集権化されたコントロールシステムの誕生を見る。さらに、スーフィー教団へのカルネ(Identity card)・システムの導入が指摘される。氏は、このシステムには2つの重要な点があると指摘する。1つはメンバー間の仲間意識を確認させること。もう1つは教団の経済的財源の確保である。カルネ・システムはメンバー間の責任感と仲間意識の増大に寄与する。また、カルネを受け取る時にメンバーは15〜20ポンド(3.75〜5.00US$)のお金を支払う。これが教団の財源の確保に繋がっている。このシステムはシャイフ・ムハンマドによると1950年代、彼の祖父により導入された。また、記帳簿に登録されている数が1970年代以降急激に増加していることが注目される。

次に教団の財源について述べられた。教団の主要な財源は1)寄付 2)結婚式・出生の謝礼 3)政府からの援助金であった。この中でも寄付が財源の非常に高い割合を占めている。
また、氏はスーフィー教団とビジネスの関係を調査し、1996年に設立されたカイロのヘリオポリスにある商社を例に挙げ、この会社の従業員400人の全員がブルハーミー・タリーカに所属していること。また、シャイフ・ムハンマドがこの会社の経営をしていること。から、この商社がブルハーミー・タリーカの直接的・間接的な財源として機能していることを指摘する。
さらに、記帳簿の記述によるタリーカ構成員の出自、職業、住所の分析から、ブルハーミー・タリーカは、そのほとんどが地方農民や運転手、単純労働者などの下層階級の人々によって支持されており、上流階級や知識人の支持者は少ないこと、大都市よりも地方、農村部に支持者が多いことが分かる。また、ブルハーミー・タリーカの支持者は30代以上の既婚者が多いことが指摘された。この事実はムスリム同胞団のようなイスラーム政治運動の支持者が主に若年層から構成されている事実と対照的である。

結論として、氏は急進的なイスラーム政治運動であるIslamic Jihad Communityやal-Jama'a al-Islamiyaの出現のあった1970年代エジプトにおけるスーフィー教団とイスラーム政治運動の相違について次の2点を指摘する。

1)イスラーム政治運動は政府に対し、批判と敵意を持ったスタンスを取ったが、スーフィー教団は政治活動とは一線を画し、少なくとも表面上は政府に協力的であったこと。

2)イスラーム政治運動の支持層が高度な教育を受けた都会のドロップ・アウトした地方出身の若者であったのに対し、スーフィー教団が地方農民、無技能労働者などの下層階級から支持されていたこと。

どちらの運動もその背景は異なっている。また、この相違が我々にイスラーム政治運動の方が政治的・社会的に重要な役割を果たしたかのような印象を与える。しかし、両者とも急激な西欧化や物質主義を批判し、ムスリムに宗教の内的価値の重要性と倫理的改革を唱えたことは共通している、と述べ、この2点の相違を踏まえつつも、両者の共通点が強調された。さらに、両者の改革の手法についてイスラーム政治運動が社会を変革することにより個人を変革することをめざすのに対し、スーフィー教団は、個人の倫理生活を批判することにより、社会の改革を目指す。このように、イスラーム的社会改革という点では、イスラーム政治運動とスーフィー教団は相互依存関係にあると論を締めくくった。

 質疑応答においては、記帳簿の信憑性についての質問や、聖者の増加についての疑問などの質問があいついだ。

文責:飯村直樹