●aグループ 「民主運動と民主化問題」研究会

日時:2002年1月26日(土) 11時ー13時
場所:上智大学四ッ谷キャンパス10号館3階322号室
報告:見市建(日本学術振興会特別研究員・神戸大学大学院)
  「インドネシアにおけるイスラーム主義と民主化:ダーワ・カンプスと正義党を中心に」
コメント:栗田禎子(千葉大学)
出席者:20名ほど

 今回の見市建氏による発表は、同時多発テロ以降のインドネシアにおけるイスラーム状況の中で、群小イスラーム諸グループが限られた規模でしか対米抗議行動を展開できなかったのに対し、圧倒的な動員力と統制で際だっている正義党(Partai Keadilan)について論ずる点で、時宜を得たものであり、注目すべき発表であった。
1.まず見市氏は、米国のアフガニスタン空爆開始に抗議する白装束の正義党のデモの写真を示し、万余のデモ参加者の半数以上が女性であり、極めて統制がとれた平和的なデモであったことを強調した。次に、小杉泰氏と山内昌之氏の所論を援用しつつ、イスラーム主義を、世俗的開発モデルの失敗を背景にして1970年代以降に起こった「イスラーム共同体(ウンマ)の強化と拡大を至上課題とし、つまりはイスラームの宣教(ダーワ)とイスラーム法の実行、究極的にはイスラーム法を施行するイスラーム国家の設立を目指す」政治的イデオロギーと定義した。そして、インドネシア唯一のイスラーム主義政党として正義党を規定する。この党は、スハルト体制崩壊後の状況のなかから生まれた、新しい性質を持つ政党である。正義党は、スハルト退陣後の最初の総選挙である1999年の選挙で、143.6万票(1.36%、第7位)を獲得した。
2.次に、この正義党の発展の経緯が述べられる。まず、スハルト体制とイスラーム政治勢力がどのような関係を経てきたのかを概観した上で、正義党の母体となったダーワ・カンプス(大学における宗教活動)について述べられた。1970年代末の、スハルト体制による学生運動弾圧は、学生の変革エネルギーを政治運動から宗教運動へ転換させることとなった。ダーワ・カンプスの萌芽は、1972年のバンドゥン工科大学のサルマン・モスクにおける「ダーワ細胞」の養成をもって嚆矢とするが、本格化するのは79年からで、同工科大学の講師であるイマドゥディン・アブドゥル・ラヒムを指導者として、「集中的イスラーム学習」が開始され、他大学に拡大していった。
 彼らの活動の特徴は、科学技術を重視すること、同時に、社会全体を包括するイスラームの総合性を強調すること、協同組合運動や災害救助・貧困者援助などの社会的活動に積極的であること、イスラームの教義解釈において非教条的であること、が指摘できる。
 彼らの活動の単位はウスロ(家族)という大学内のイスラーム研究グループであり、これが集まって大学間ネットワークをなしている。そして、このネットワークは、「ダーワ・カンプス組織」(Lembaga Dakwah Kampus)
として1990年代に制度化していった。折からのスハルト体制打倒の運動が高揚する中、「ダーワ・カンプス組織」を母体に、民主化運動の組織としてKAMMI(Kesatuan Aksi Mahasiswa Muslim、ムスリム学生行動連盟)が、1998年3月に結成され、さらに、選挙に備えて、政党としての正義党がこの流れの上に結成された(1998年7月)。
3.正義党の思想は、個人、家庭、社会と段階を追ってイスラーム化を進め、その結果として国家のイスラーム化を展望する、ムスリム同胞団の漸進的な路線を踏襲している。既製のイスラーム政党と異なるのは、利益誘導型ではない知識人らしさ、突出したリーダーがおらず「顔が見えない」政党であること、女性の割合が高いこと、マシュミなどのこれまでのイスラーム政党が金科玉条としてきた「ジャカルタ憲章」(「ムスリムにはシャリーアを適用する」との文言)を憲法前文として挿入することにはこだわっていないこと、が挙げられる。
4.最後に見市氏は、決定プロセスの透明性、非暴力、スハルト体制の残滓と無縁といった正義党のこのようなスタイルは、インドネシアの民主化の進展に寄与する、また、正義党は、これまでのインドネシア・イスラーム研究の伝統的枠組みであった伝統派/近代派という二分法には収まらない、と述べて発表を終えた。
 続いて、栗田禎子氏(千葉大学)から、社会主義から反共・世俗的近代化路線へ、さらにイスラーム化へ、というインドネシアの政治過程はスーダンと類似しているとした上で、1.イスラーム主義者である正義党が、民主化に寄与するか、無神論者の権利も尊重するのか、2.特定の層の利益を追求するのではない、というが、本当にそうなのか、どの階層を代表し、また資金源はどこなのか、3.世俗教育や科学技術を重視し、伝統的ウラマーの権威を重んぜず、女性を重視する、というのはスーダンのNational Islamic Frontにも共通するが、こうした変化はどのような社会変化を反映しているのか、という質問を受けた。見市氏の回答は、正義党の民主化に対する寄与は、少なくとも短期的には認められるのではないか、また、正義党に限らず、無神論を許容する政党はない、さらに、資金源については明らかではないが、外国からの援助は無いであろうということであった。
 さらに、中村光男氏(千葉大学)からは、正義党は中学生や高校生にも支持者が多く、幼稚園段階からのアラビア語教育により次世代の指導者としてアラビア語の知識をバックグラウンドにもつ人々が育ちつつあるとの指摘があった。
参加者との質疑応答では、正義党は旧来のイスラーム近代主義派とどう異なるのかという疑問が出され、これに対して、見市氏は、正義党はHMIなどのマシュミやムハマディーヤ系の学生組織に対し対抗する形で出てきたものであり、支持層が異なるとした。これに関して中田考氏(山口大学)から、伝統派/近代派という二分法はイジュティハードについての議論を前提にしており、それに対し、イスラーム主義はイスラームを総合的なシステムとして捉える点が異なるとの言及がなされた。
 他に、正義党から武装闘争に走るグループが出る可能性はないか、と問われ、現在の支持層の志向からすると、暴力的な部分が主流になるのは考えにくいということであった。また、民主主義の定義と世俗主義をめぐる議論、女性の位置をめぐっての議論が交わされた。
(文責:石澤 武:第2班事務局)