DR.アスガル・アリー・エンジニアー氏講演会
Religious Conflict in India, A Brief Survey of Hindu-Muslim Problem
(2001年11月18日)
報告書

冨樫 茂
(上智大学大学院)

 Asghar Ali Engineer氏は2001年11月18日に京都大学東南アジア研究センター生態環境論講座白眉館にてReligious Conflict in India, A Brief Survey of Hindu-Muslim Problemと題した有益な講演をした。講演は全て英語で実施され、通訳は無かった。
Engineer氏の講演は15時ごろから開始され、午前中に実施された発表の時よりも大勢の方々が参加し、Engineer氏の講演の後には英語での活発な議論や質疑応答なども為された。
 Engineer氏はインドにおけるコミュナリズムや世俗主義に関する講演を、ヨーロッパや東南アジアなどとの比較の観点も踏まえて行った。ヨーロッパにおけるコミュナリズムは、個人のコミュニティに対するかかわりの上で肯定的な意味合いを有する。しかし、インドにおいて、コミュナリズムは否定的な意味合いを持つ。コミュナルであるということは、自身が属しているコミュニティの一員であるだけではなく、自身が属していない他のコミュニティに対する敵意をも孕んでいる。さらに、インドにおけるコミュナリズムは、確かにインドにおける宗教的コミュニティと関係を有しているけれども、それは本質的に宗教的ではなく、ヒンドゥー教とイスラームの宗教的指導者層の間における政治闘争をも含む極めて政治的なものである。要するに、コミュナリズムとは、政治的権力の掌握などを目的に宗教を濫用するものと定義しうる。
 世俗主義は、インドにおいては肯定的な意味合いも有する。インドにおける世俗主義とは、信教の自由ないし宗教に対する国家の中立性の維持をも意味する。インド憲法によると、国教は存在せず、インド国民はいかなる宗教であろうとも平等の権利を有する。これこそが、インド世俗主義の主要な要素である。
 このように、インドにおけるコミュナリズムと世俗主義は全く異なるものであり、インドにおけるコミュナリストの政治、歴史、宗教などに対する意見や見解と世俗主義者のそれも同様に全く異なっている。
 インドにおいては、長年にわたってヒンドゥー教徒とムスリムの間で対立や抗争を繰り返してきた。そのようなインドの歴史的背景を踏まえて、Engineer氏はインドにおけるヒンドゥー教とイスラーム間における対立の歴史的背景から、現代のインドやパキスタンの独立後の詳細な動向に至るまでの長い歴史的スパンに渡る講演をした。はじめに、インドにおいてヒンドゥー教徒とムスリムの間における対立は7世紀にアラブ人のMuhammad bin Qasimによるインド侵入にまでさかのぼる。そして、インドにおけるヒンドゥー教徒とムスリムの間で生じた亀裂はインド分割を導き、インド分割に際しての国境は、1947年時点におけるヒンドゥー・イスラーム両宗教間の境界であった。インド分割計画は、宗教的にではなく政治的目的によるものであった。
 いかなる宗教コミュニティであっても、内部における亀裂や紛争が生じうる。例えば、ヒンドゥー教徒らは、カーストや地域的もしくは言語的観点によって分断され、ムスリムらは、宗派やカーストや地域的もしくは言語的観点によって分断されている。特に、ヒンドゥー教徒の間ではカーストによる亀裂が深刻であり、ムスリムの間では宗派間の紛争が深刻である。さらに、インドにおけるムスリムは文化的に同質であるとみなすことは誤っている。彼らは、北部と南部では根深く分断され、さらに都市と地方においても文化的差異は生じている。
 インドは何世紀にも渡って多宗教、多文化、多言語社会であり続け、インドはいわゆる国家ではなく、多民族社会である。今日の国民国家において、インドは世俗国家として多宗教、多文化的特徴は維持され、助長され、かつ強化されてきた。インドが英国から独立した後は、ガンジーの非暴力主義に見られるように、大多数のインド人はヒンドゥー教徒もムスリムも平和裏に共存することを希望した。さらに、初代インド首相であったネールも、特定の宗教に傾倒しない世俗主義を尊重した。さらに、パキスタンとインドとを比較すると、パキスタンはインド分離主義者であるジンナーがパキスタンを建国した背景も重なり、パキスタンはインドよりもよりイスラーム色が濃厚である点をEngineer氏は指摘した。
 インドにおけるヒンドゥー教徒とムスリムとの間の対立や紛争というEngineer氏の議題は、昨今のアフガニスタンやパキスタンの情勢を理解する上においても、有益な知識ないし教養を養うことが出来る有益な講演であった。