DR.アスガル・アリー・エンジニアー氏講演会
(2001年11月16日)
報告書

NORFALIZA ISMAIL
(宇都宮大学大学院 修士課程)

11月16日に、DR.アスガー・アリー・エンジニアーの講演会が、イスラーム地域研究第2班によって上智大学で行われた。私は、その講演会の通訳者として全力でやって来たつもりだったが、今回が初めての通訳体験という事で、自分自身の中には緊張気味のせいか、満足出来ない結果で終えてしまった。しかし、自分にとって貴重な体験になった事は否定出来ない。そういう私は、マレーシア人ムスリム (イスラーム教徒)として、DR.エンジニアが講演でアフガニスタン・南アジア情勢とタリバン−イスラームの視点から−という演題をお話した内容と関連し、米同時多発テロ事件とイスラームとの関係について次のように考えている。
イスラームのテロ行為に対する様々な意見を述べる前に、先ずイスラームという宗教の根本的な教えを正しく理解する事が大事だという事をDR.エンジニアは講演の中で何度も繰り返した。イスラームという宗教をよく理解するためには、イスラーム教の根本的な教えを知るべきである。イスラーム教の教義の1つは平和である。従って、イスラーム教徒も含め、罪のない多数の犠牲者を生んだ世界貿易センターでの恐ろしい非人道的事件は完全に非イスラーム教としか言わざるを得ない。講演会の中で取り上げられたコーランの5章32節に「人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は、全人類を一度に殺したのと同等に見なされ、反対に誰か他人の生命を一つでも救った者は全人類を一度に救ったのと同等に見なされる、とした」と書かれているように、イスラーム教は人を殺すような残虐な行為・行動などを強く批判しており、今回の事件はイスラームのやり方ではないと言うことが明らかである。人を暗殺することは宗教の道徳からみて遺憾なことであるが、死後の世界で別の裁判があり、制裁する権限はアッラー、神様にしかない。サタンに支配される者と戦うとすれば、聖戦として人を殺害することは避けられないと言われ、それは、よく知られているジハード「聖戦」の事だが、それを意味する事は、これ以外にももう一つある。神と個人的に契約するイスラーム教徒は最後の審判の日に備え、一人一人が正しい道を歩む事を勤めとしなければならないのだ。自分の心の中に住む悪魔と戦う事、そして邪悪な欲望と対決し信仰への真摯な心を持ち続ける事、それは預言者ムハンマドが聖なる戦い;ジハードという言葉で表した本来の意味だと言われる。

冷戦時代、アメリカの一番の敵は共産主義勢力とイスラーム再起勢力であった。ソ連が崩壊してから、イスラームの再起勢力は強くなっている。アメリカは、イスラームの再起を恐れて、イスラーム勢力を弱体化する為にイスラーム諸国の指導者を利用してムスリム国民を抑圧させた。アメリカは、イスラーム諸国を含め発展途上国に対し、直接或は世界銀行、国際通貨基金を通じて経済協力を与えて、政治、経済、国防、治安の面において依存させる事が目的である。国連、世界銀行、国際通貨基金、国際報道機関などは以前からアメリカを中心に欧米陣営が支配しているので、他国に経済的・政治的な圧力を拡張するのは無理な事ではない。その上に、イスラエルの国家建設に対するアメリカの支援政策で、イスラエルのイスラーム教徒であるパレスチナ人に対する暴行・殺害などもより悪化させる結果になってしまった。そのぐらい、イスラーム諸国がアメリカの策略によって拘束されている事、そして残酷な状況に置かれた事が分かる。 よってイスラームの原理主義者は、アメリカをサタンと見なすのも当然なことであろう。DR・エンジニアも講演で指摘したように、原理主義者達、タリバン等がテロ行為まで追い込まれたのは宗教のせいではなく、アメリカによって作られたこれらのような状況のせいだったのだ。テロが宗教から発生したものではなく、追い詰められた彼らが置かれた状況から発生したものだとDR.エンジニアは強調した。

そして、メディア機関の問題から見ると、米同時多発テロのテロリストはアラブ系の人たち(ムスリム)だと報道されていた。ムスリムがテロ行為を犯したときには、世界報道機関はムスリムだと指摘し報道したが、アメリカ軍が広島と長崎に原爆を落としたり、ベトナム戦争で一般住民が犠牲になったり、アメリカが支援したイスラエル軍がパレスチナ人を暗殺したり、キリスト教徒がボスニア・ヘルツェゴビナでムスリムを暗殺したり、アメリカのイラクに対する経済制裁によって飢餓、病気などで50万人を超えたムスリムが死んだ時に国際報道機関はそれらを犯したのはキリスト教徒・ユダヤ教徒だと指摘しない事から、キリスト教徒やイスラエルのユダヤ系などを含めてアメリカがテロを犯した時には世間は強く批判しないのに対してイスラーム教徒がテロを犯した時に世間が強く批判する事が皮肉な事だというDR.エンジニアの考えに私も同感した。
講演会で彼が明確にしておきたかったのは、キリスト教も含め何の宗教でも、個人又は小集団の行為が必ずしも特定の宗派の信念を表している訳ではないという事と、そのような行為において責任がその宗教全体にある訳ではないという事が、講演会の中でも何度も説明された。従って、これらのテロ行為において責任を負う人々は「イスラーム教徒」だという事や、そのような行為はイスラーム教の真義の一つでコーランの教えであるなどという事がメディアによって誤って植え付けられた事は不適当である。キリスト教徒のティモシー・マックベイによるオクラホマ・シティーでの爆破、そして、ユダヤ教徒のバルフ・ゴルトシュタイン医師によるヘブロンにあるイブラヒム・モスクで起こった殺害等がキリスト教とユダヤ教の教えのそれぞれと矛盾するように、むしろ、そのような非人道的な行為はイスラーム教の教えともはっきりと矛盾している。高潔な預言者らによって教えられたイスラーム教がテロ又は自殺任務を教えることは想像も出来ない。実はイスラーム教がテロや自殺任務を強く批判するだけではなく、それらを完全に禁止する事を忘れてはいけないのだ。従って、DR.エンジニアはこのようなテロ行為は宗教という名から切り離すべきだと強調した。
結論として、アメリカやユダヤ教に対する聖戦宣言がある限り、オサマ・ビン・ラディン氏はテロ行為を通じて、戦い続ける可能性が十分にある。もし、彼が逮捕され殺されても、その後何万人かの‘オサマ・ビン・ラディン’が次々と出て来るに違いない。アメリカやユダヤ教に対する聖戦宣言が生み出された、今までの問題になった根本的な理由から対応しないと、最近起こった情勢がいつになっても繰り返される事になるだろう。アメリカの国策を変えない限り、ムスリムの反アメリカ、ユダヤ感情は収まらない。アメリカのブッシュ大統領が言明したようにアフガニスタンへの武力的な攻撃によって一般民間が犠牲者になるのは避けられない事とオサマ・ビン・ラディン氏の有罪がまだ証明されない内に特定国に復讐するという事から、アメリカという国自体が結局テロリストになってしまうのではないだろうか。従って、国益のために政治的・経済的な理由で宗教を動かす事を避けなければいけないのだ。この講演会を通じて、今まで明らかにされなかった事や情報などを直接DR.エンジニアの話から聞けた事はすごく貴重な体験だと思っている。このような機会をこれからも作り続ける事を願い、期待している人々が多いに違いないだろう。