●cグループ「聖者信仰・スーフィズム・タリーカをめぐる研究会」(第1回)

日時:6月24日(日)午後1時〜5時
場所:京都大学東南アジア研究センター共同棟3階講義室(307)
報告者:1-アブドゥル・ハリーム(バングラデシュ農業大学教授、京都大学東南アジア研究センター客員研究員)
「Hazrat Moulana Azan Gachi(R.A)and the Spread of Sufism (Tareequa-e-jameea) in Bengal during Late Part of the British Rule (Early Period of the 20 the Century)」
コメント:外川昌彦(広島大学大学院国際協力研究科助教授)
     (使用言語:英語)
2-高橋圭(上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程)
「オスマン朝期エジプトにおけるハルワティーヤ教団の実像」
(使用言語:日本語)

報告:
 今回の研究会は、イスラーム地域研究2班Cグループの活動の一環として行われた。テーマはタリーカ(スーフィー教団)であり、バングラディシュおよびエジプトのタリーカに関する発表が行われた。

 まずアブドゥル・ハリーム氏が、バングラディシュのジャミーア教団について発表した。氏の紹介したジャミーア教団は、モウラナ・アザン・ガチによって、1920年代後半から30年代前半の間に、現バングラディッシュおよびインド東部に普及した。アザン・ガチはカーディリーヤ、チシュティーヤ、ナクシュバンディーヤ、ムジャッディディーヤなどの教団で修行を行っている。この教団は、当時のカーストや信仰心の安定に寄与し、特に、多忙で機械的生活を送っている人々や精神修養に時間を割くことが出来ない人々にとっては、そうしたものを補完する場として大変重要であったという。また、そのようなジャミーア教団の実践的修行として、ワズィーファ(一日に5回行わなければならない。氏はこれが最も重要な修行であるという)やウルセクル(朝と夕方の二回行う祈り)、メディテーション(瞑想。深夜に行われるが毎日する必要はない)が紹介された。
 氏は、スーフィーとタリーカに集まる人々とを厳密にわけていた。氏が言うには、スーフィーに必要なのは、知識と信仰、実践であり、これら三つがそろってはじめてスーフィーだという。タリーカに集うもののなかには、当然真にスーフィー修行に励むものもいるが、大概はタリーカのもつ経済的機能による恩恵に惹かれてくるとする。ちなみに、氏はこれについて、タリーカの機能の90パーセントは経済的機能にあり、残りの10パーセントがスーフィーの修養所としての機能であるという。また、スーフィーには富裕な者が多いという。氏は、上記の理由からも、現在のバングラディッシュにおけるスーフィズムは死んでいると述べ、氏のスーフィズムに対する思いが感じられた。
 アブドゥル・ハリーム氏は農学者であり、スーフィズムの専門家ではないが、氏が紹介したこのジャミーア教団は、日本においてはほとんど知られていない教団なので、現地のインフォーマントの報告として氏の報告は貴重なものであった。しかし、氏はスーフィズムへの思い入れが強いため、どうしてもそのスーフィズム観は本質主義的かつ教条主義的なものに思えた。
 高橋氏は、従来からタリーカ研究においてしばしば問題となるタリーカ概念についての再検討を、ジャマ−アを分析概念として使用することで行った(ジャマ−アとは、アラビア語で集団を意味する)。氏は、エジプトのハルワティー教団を上記で述べたタリーカ、ジャマ−ア概念に注目することで、その実像に迫ろうとしているのだが、そのような発想が生まれた経緯を次に要約しておく。
 氏は、まず18世紀から19世紀のエジプトの教団を扱った従来のタリーカ研究の流れには、タリーカ研究と社会史的研究の二つがあるとする。前者は、特定の教団の教義・儀礼・系譜あるいは、スーフィー思想家たちの書いた教義や儀礼に関する研究が中心で、社会との関わりについての検討が不充分であり、後者は、教団の社会的側面を扱うものであるが、どの研究もLane、al-Jabartiの年代記などが情報源となっている研究で、ほぼ同じ認識を踏襲しているとし、今度は逆に各教団の教義・儀礼・系譜との関連付けが弱く、民衆宗教の一部として扱われていることに問題があるとする。
 また、スーフィズムにたいする従来のイメージとして、学識者の思想研究の場としてのスーフィズムと、民衆宗教の一環としてのスーフィズムといった二つのイメージがあるとし、教団の分類として、「民衆的教団(popular order)」と「エリート的教団(elitist order)」あるいは「異端的(antinomian)」と「正統的(orthodox)」といった分類法があることをあげた。そして、これらの問題点として、教団によって記述の重点が異なること、すなわち分類の基準が曖昧であること。両方の側面をもった教団をどのように考えるのか判然としない、スーフィズムの文化的・階層的越境性を検討するための議論の基盤とならない、などといった点があげられた。そして、氏はこれらの問題点をふまえて、ハルワティーヤ教団についての検討を出発点として、これまでの研究において示されてきた一般的なスーフィー教団像を見直し、これらの問題点を解決できるような視点・枠組みを提示することを目的とするとした。
 以上の経緯をふまえ、氏はハルワティーヤ教団の紹介をおこない、ハルワティーヤ教団の実像に迫る。その際に、最初に述べたように、ジャマーアの概念が鍵となっているので、まずそのジャマーアについて詳しく紹介しておく。ジャマーアの特徴は、五つあげられており、第一に、マジュリスは修行を終えた者が、独自のマジュリスを開くことによって形成される。第二に、師の死後、ジャマーアは継承されずに解体され、弟子たちはそれぞれのジャマーアをもつ。第三に、忠誠心はタリーカではなくジャマーアの師にあり、他のジャマーアのシャイフに学ぶことはない。第四に、同じタリーカに属する同胞という意識はある。また散発的な接触もある。第五に、恒常的なつながりは確認できない。アズハルのなかではタリーカのつながりよりも地縁・法学派・エスニシティなどが重視される。そして、帰属意識はあってもハルワティーヤがひとつの実体として機能することはなく、各々が独自のジャマーアを形成してタリーカを実践していたという。
 また、ジャマーアの分裂についてもふれられ、分裂の理由として、全メンバーをハルワティーヤの名の下に一つにまとめるような権威やシンボルの不在、シャイフ位の移譲の不在、凝集力をもった場の欠如などがあげられた。
 以上のことをふまえ、氏はハルワティーヤ教団の実像について以下のように描写した。第一に、タリーカそのものは学問活動とは切り離された活動を行う。第二に、ハルワティーヤ教団はあくまでひとつのタリーカとして認識されていたが、実際の活動は一人のシャイフとその弟子たちからなるジャマーアが無数に存在していた。第三に、メンバーの具体的な帰属意識や忠誠心はそれぞれのジャマーアにあるが、それぞれのジャマーアは教団と呼ぶにはあまりにも緩い結合であり、シャイフの死によって分裂する。
 そして総括として、これまで行ってきたジャマーア概念を使用したハルワティーヤ教団の分析が、他の教団にも適用できるかについて論及した。結論は、適用は可能であり、ハルワティーヤ教団以外の教団についてもタリーカとジャマーアを区別してそえることが有効であるということである。そして、タリーカを短絡的に何らかの実体をもった社会集団としてそえるのは危険であり、同一のタリーカを名乗っても実践がジャマーアごとに異なる可能性もあるなど、今後のタリーカ研究への警鐘を述べてしめくくった。 質疑応答では、エジプト政府による教団制度の確立によってタリーカが組織として実体化したという東長氏の意見に対し、田辺氏は国家による制度化以前に民衆によるそうした欲求があったのではないかという下からの視点の重要性を主張した。また、河本氏は高橋氏がジャマーア概念を分析概念として使用することに対し、トリミンガムがターイファ概念を用いてタリーカの組織的側面を整理した試みを引き合いに出し、そのような試みを続けていくことは結局、類似の概念を増やすだけで混乱を招き生産性が低いと批判した。 以上のように、質疑応答では高橋氏が試みているタリーカをどのように組織的または集団的に定義しうるかという問題関心にそって議論が進められた。確かに、高橋氏の試みは従来のタリーカ概念をジャマーア概念の導入により脱構築するという斬新な試みである。しかし、ここで考慮に入れておく必要があるのは、なぜ我々研究者がタリーカを組織的、集団的に何らかのかたちで定義することに執着してしまうのかということを、反省的に考えることであろう。
(報告者:新井一寛、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科連環地域論講座博士前期課程)
(報告書の一部に赤堀が手を加えた)