東南アジア・イスラーム地域における民衆と民衆運動:ジャウィ文書の重要性について
第6回研究会報告

日時:2001年12月23日(日)11:00-19:00
場所:上智大学四ツ谷キャンパス 7号館1第5会議室
出席者:約15名 
1)報告:菅原由美(東京外国語大学大学院)
「ジャワのペゴン史料利用紹介−アフマッド・リファイ(Ahmad Rifa'i)の著書を具体例として−」
2)資料情報交換・研究活動の打ち合わせ
3)ジャウィ文書講読:
  Rahsia Belajar Jawi. (ジャウィ学習の秘訣)
 
1)菅原由美(東京外国語大学大学院博士後期課程)
「ジャワのペゴン史料利用紹介−アフマッド・リファイ(Ahmad Rifa'i)の著書を具体例として−」

 前半では、ジャワにおけるペゴン(pegon:アラビア文字を用いたジャワ語表記)利用の歴史について報告があった。ジャワでは、9世紀にグランタ文字を基にして作られたジャワ文字が登場し、主に宮廷文学で多用されていた。16世紀に入ると、イスラームの浸透によりアラビア文字が使用され始めるが、当初、ジャワ文字使用の伝統と記録媒体が紙ではなくロンタールであったことにより、イスラーム文書にもジャワ文字が使用された。しかし、次第にイスラーム文書についてはペゴン、宮廷文学についてはジャワ文字という使い分けがなされるようになった。さらに、19世紀から20世紀にかけ、メッカ巡礼者やプサントレン(イスラーム寄宿塾)が増加し、ペゴンで書かれた宗教書はムスリム中流層に属する地方印刷業者によって石版印刷されたものの、狭い範囲でのみ流通した。この時期は同時にスラカルタ王宮文芸復興によってジャワ文字の利用が拡大した時期でもあった。20世紀に入ると、イスラーム改革運動によって再びアラビア文字が注目されたもののその使用は一部にとどまり、ローマ字使用が日常化した。
ペゴンは、母音符号を全適用しているのが特徴で、またアラビア文字では表記できないジャワ語の音の表記に対しては点の打ち方を工夫して新しい文字(子音)が加えられた。主としてペゴンは、アラビア語文献のジャワ語の全翻訳、行間の逐語訳、解説などに使用された。
 後半では、1786年に中部ジャワ・スマラン州に生まれた19世紀の代表的ウラマーであるアフマッド・リファイの著書にみるペゴンの利用について報告があった。彼は1837年以降、ペゴンを用いた宗教書の執筆を始め、生涯にわたって執筆した著作は現在確認されているだけで65冊にのぼる。彼は、植民地政府に仕える現地人官吏や宗教役人はカーフィルであり、民衆は彼らにではなく「正しいウラマー」に従い、イスラームの正しい知識を獲得する義務を主張した。彼の著書は植民地政府現地人官吏や宗教役人を侮辱しているとして、リファイは1859年にアンボン島に追放され、同地で死亡した。しかし、その後も弟子達が中・西部ジャワで秘密裏に活動を続け、リファイの著書を教科書とする彼らの教育活動は現在も続けられている。
リファイの著書にみるペゴンには、リファイ特有の使用方法がみられる。1848年執筆の『アブヤナル・ハワイジ(Abyanal Hawaij)』(III pp.11−12,17−18)では、点の打ち方や母音符号のつけ方などに特徴がみられた。
本報告は、ペゴンの使用に関する歴史的展開、および19世紀におけるペゴンの具体例など、東南アジア各地域に広がるアラビア文字の使用に関する興味深い事例を提供しており、研究会においても活発な議論がなされた。
(文責:服部美奈)

2)資料情報交換・研究活動の打ち合わせ
参加者がジャウィ資料に関する文献を紹介した。1月の研究会、および、サムエル・タン氏招聘計画について議論を行った。

3)ジャウィ文書講読:Rahsia Belajar Jawi. (ジャウィ学習の秘訣)
第6課 p.11の初めから、第8課の終わりp.20まで講読を行った。次回はこのテキストの講読を終了し、さらに、新しいテキスト、
Al Munirの購読を開始する予定である。Al Munirは、1910年代に西スマトラで発行され、インドネシア語で書かれたイスラーム近代派
の雑誌である。(文責:川島緑)