東南アジア・イスラーム地域における民衆と民衆運動:ジャウィ文書の重要性について
第1回研究会報告

日時:2001年4月21日(土)13:00-18:00
場所:上智大学四ッ谷キャンパス10号館322号室
出席者:18名

1、趣旨・基本方針の説明 川島緑

アラビア文字で表記された東南アジア現地語文書(ジャウィ文書)は、この地域の歴史、社会、政治の研究にとって重要であり、特にイスラーム思想の研究にとっては不可欠の資料である。それにもかかわらず、ジャウィ文書の研究への利用は進んでいない。辞書、文献目録、教材などの工具類についての情報が不足しており、研究者は個別に手探りで研究を行なわざるを得なかった。そこで、専門分野や対象地域を異にする研究者が協力して、工具類や教材、研究状況についての情報を収集・共有し、勉強会を開催してジャウィ表記を習得し、研究動向や資料所在状況、利用方法を検討し、実際にジャウィ文書の講読を行ないたい。夏休み前の3回の研究会でジャウィ表記の基礎を習得し、夏休み後は、ジャウィ文書の講読を行ないたい。


2、JAWIを読み書きするためのマレー語の基本       黒田景子

ジャウィの基本としてつかう文字の説明があった。マレーシアではコンピューター ・ワープロソフト上のジャウィ文字の国際統一化の試みが行われており、そこでは、アラビア文字とそれを修正した8文字がジャウィ文字として用いられている。次に,ジャウィを読み書きする上で最低限必要なマレー語の基本知識の説明が行われた。特に注意するべきは、以下の点である。
・マレー語のローマ字つづり(ルミ)には、母音字が二つ続いているとき、 二重母音の場合と、間に声門閉鎖音(glottal stop)が入る場合の二通りがあるので注意する必要がある。しかし、ジャウィで表記すると両者はつづりが違うので、違いが明白になる。
・ルミでは曖昧母音(はっきりしたエと、曖昧なエ)が両方とも同じ文字(e)で表記されるが、ジャウィでは区別される。
・マレー語では,語根に接頭辞、接中辞、接尾辞がついて様々な意味がつくられる。これらの接頭辞や接尾辞をジャウィでどのように表記するかについては、配布資料(Pedoman Ejaan Jawi Yang Disempurnakan)を参照のこと。
ジャウィ文書の例として、Salasilah atau Tarekh Kerajaraan Kedah(ケダの歴史)の表紙が配られた。この本は、ジャウィとルミが併記してあるので、両者を対照して、ジャウィがどのようにルミ表記されるかをみることができる。

3.ジャウィ入門(インドネシアの教科書を使って)       服部 美奈

西スマトラの小学校で現在使われているジャウィ入門教科書(小学校3年用)を用いて、ジャウィの読み方について説明があった。この教科書にはインドネシア語のやさしい単語や句のジャウィ表記されたものが掲載されており、各セクションの最初の課では、それぞれの単語のジャウィ表記とローマ字表記が併記されており、次のいくつかの課は、ジャウィ表記のみで学習者が自分でその読み方を考えるという構成になっている。教科書の冒頭で示されている原則にあてはまらないいくつかの例があり、それらをめぐって議論が行われた。また、ジャウィでつづられたことばが二通り以上の読み方ができ、それぞれ異なる意味がある場合もあるので、それらについては、文脈によって読み方、意味を推測する必要がある。


4.ジャウィ文献紹介(1)  ジャウィ文献の概要        西尾 寛治

ジャウィについての説明(定義、使用する文字、語源、起源)、ジャウィ文献の概要の説明(種類、呼称),また特にキターブ・ジャウィと呼ばれる文献についての紹介がなされた。

東南アジア島嶼部のイスラーム化以前、ムラユ語はインド系の文字で表記されていた(例、チャンパの碑文,8世紀のジャワの碑文,フィリピンのラグーナ銅板文書など)が,13世紀末のイスラーム化降、アラビア文字表記が用いられるようになった。初期のジャウィ文献としては,トレンガヌ碑文(1303AD),ヌグリ・スンビランのシェイフ・アフマッド・マジュヌンの墓碑(1467-1468)などが挙げられる。近世にはムラユ語が東南アジア島嶼部の共通語となったが,それと対応してこの地域の外交文書,物語(hikayat)、歴史叙述(sejarah)王統譜(silsilah, tarsilah)、イスラーム関係文献の翻訳書(kitab Jawi)がジャウィで記されるようになった。例えば,テルナテのスルタンがポルトガル王に送った書簡(1521,1522)もジャウィで記されていた。

その他,ジャウィは植民地期の村落レベルの行政文書などの作成にも使用された。ジャウィと同種の表記法として,ジャワ語を表記するペゴン,ブギス語を表記するスランがある。なお,ルミ(ムラユ語のローマ字表記法)も17世紀初期までにヨーロッパ人によって確立され,キリスト教の布教に使用されていた。

質疑応答では、以下の議論が行われた。ジャワという概念とムラユという概念はどのように違うのか(見市)。『パサイ王統記』(Hikayat Raja Raja Pasai)や『ハン・トゥア物語』(Hikayat Hang Tuah)では,ジャワ(=ヒンドゥーの大国マジャパイト)との対比を通して,ミナンカバウあるいはムラユという概念が強調されている。一般にジャワはムラユに入らないとみられていた(西尾)。ジャワとは、本来サンスクリット系のことばである。7-10世紀のイスラームの地理書では、東南アジア島嶼部をさしてZawash(ザワジュ:「大麦の島」の意)ということばが用いられている(野村)。

ムラユ語以外のジャワ語、ブギス語、タウスグ語、、チャム語などのアラビア文字表記はジャウィとは呼ばないのか(川島)。この点に関して議論が行われ、マレーシアでのジャウィの通常の用法、歴史学者の用いるジャウィの概念、フィリピンのミンダナオ研究者が用いるジャウィの概念などは一致しないことが明らかになった。この研究会では、東南アジアのオーストロネシア語系現地語をアラビア文字で表記したものを、広義「ジャウィ文書」としてとらえ、研究の対象としていくこととした。「ジャワ」や「ジャウィ」という概念は単一ではなく、地域や時代により異なるので、地域的差異、時代的変化に注意を払いながら、研究を行なっていく必要が確認された。
(文責:川島緑)