2001年1月26日 Abdelahad SEBTI氏講演会報告

演題:State, Space and Society in Pre-colonial Morocco
講師:Abdelahad SEBTI教授(モロッコ・ムハンマド5世大学史学科教授)

講演:ある領土の地理的・歴史的研究は歴史の動きを扱うことを意味する。その動きは、いかにして特定の空間が特定の領土となるのかを説明する。また空間は、ある社会及びある国家を含むのみではなくある地域全体の環境を包含する。
モロッコの場合、その領土の形成は二つの相矛盾する傾向の結果であった。それは、多数の小国及び都市国家からの統合の過程とマグリブの領土統一の失敗の過程であった。中央権力(Makhzen)と領土との関係は部族とサハラ交易の動向に左右された。部族は地方と結びつき、サハラ交易は都市と結びついていた。中央権力は、スィバ(siba)と呼ばれる地元の権力の力を持つ地元の有力者をスルタンの代理に任命することもあったが、中央と地方の結びつきは概して弱く不安定なものであった。
19世紀になるとモロッコは、イギリス、フランス、スペインなどによる「門戸開放」の要求により、経済の重心が海岸部(特に大西洋岸)に移行し、従来の内陸貿易路は衰退した。20世紀にはフランスのモロッコへの勢力伸張が始まった。フランスは当初の「部族政策」から後に「平和占領」政策に切り替え、モロッコを従順な地(Blad al-Makhzen)と反抗的な地(Blad Siba)という二つの領土にわけて定義した。これは「平和占領」と軍事征服をともに正当化するための論法であった。
 
ディスカッション:領土的な移住と個人的な移住のケースやモロッコからのマシュリクへの移住、アンダルスへの移住やアンダルスからの移住の問題、Sibaの概念などがおもに議論された。その議論でモロッコからマシュリクへの移住は、学者や商人が主であり、マシュリクからモロッコへの移住は、バヌー・ヒラールやバヌー・マアキルのように部族単位での移住が主であったこと、Sibaの概念は植民地時代に作られたものであることなどが明らかにされた。

(文責:茂木 明石:上智大学大学院)