IAS・2B班第2回研究会報告
去る12月16日(土)東大東洋文化研究所で行われた2B班第2回研究会の報告要旨は以下の通りです。激変期のカザフスタン農業の実態に関する報告と活発な討論が行われました。
報告T「カザフスタン朝鮮人社会の個人農とゴボンジル農業」
李 愛俐娥(国立民族学博物館 域研究企画交流センター、学術振興会特別研究員)
 
現在、カザフスタンの朝鮮人社会は、多様な社会経済的問題に直面している。
今日のカザフスタンにおける農村社会は旧ソ連時代の社会主義的生産関係から生じた構造的矛盾を克服し、新たな生産関係を模索せざるを得ない状況におかれている。
カザフスタンは独立以後、諸生産手段に対し民営化を推進している。1992年からコルホーズとソホーズの民営化とともに土地の使用権が民間に移譲されるようになった。農業部門における民営化が盛んに行われてはいるものの、実態はまだ社会主義的な集団農業生産体系に属しているのが現状である。生産環境を考慮すると大型農機械の必要は絶対的であり、塩分が多い土壌のため輪作が必須であることを考えると、零細な農民は既存の生産協同組合から毎年、農地と農機械を賃借せざるを得ない。このような変化と共に生じた朝鮮人の農業生産組織は、@農業生産協同組合、A個人農、Bゴボンジル農業に分けることができる。

1. 農業生産協同組合(コペラティブ)
農業生産協同組合の前身はコルホーズとソホーズである。旧ソ連時代の集団農場は、農民が土地を耕作するための生産手段をもって自発的に参加する協同組合の性格を持っている。しかし、現在の生産協同組合のすべての土地は、各組合員の所有地をそれぞれ提供し、全組合員が共同耕作して、その利益を分配する形をとっているが、組合員は自分の所有地がどこにあるかさえ分からない場合がほとんどである。
現在の朝鮮人農業協同生産組合と言われる組織は朝鮮人の組合長によって経営され、組合員と組合の執行部の多数を朝鮮人が占めている。組合長には旧ソ連時代の集団農場の委員長が継続して就任しており、旧社会主義体制の権威が事実上認められている。しかし、生産協同組合は様々な困難に直面しており、その内でもっとも大きな問題は財政である。営農に必要な肥料、燃料、除草剤、ガソリン、農業機械、などが十分に確保できず、生産性が低下している。とくに、支給される予定の国家補助金が届かない状況下で、支払うべき農業用水費がこの組合の経営状態をさらに悪化させている。組合員の月給は支給されず、米、小麦粉、食用油、牛肉などの生活用品が現物で支給されている。
2. ゴボンジル農業
旧ソ連に居住している朝鮮人社会には一般的な営農方式とは異なるゴボンジルという独特な農業生産方式がある。 ゴボンジルは"複数の人々が利益のために共同で投資する"という意味の名詞'ゴボン'と、行為や行動を意味する接尾辞'ジル'の合成語である。 'ゴボン'という用語は、単位としては比較的明確である。'ゴボン'はゴボンジルに参加する一世帯が耕作する土地の面積を意味する。例をあげると、10世帯で構成された小共同体で30ヘクタールの土地を賃借すると、一世帯あたりに分配される平均面積は3ヘクタールになり、それが1ゴボンとなる。したがって生産現場の条件により1ゴボンの面積は異なる。 しかし、ゴボンジルがいつ始まったのか、またゴボンという言葉がいつから使用され、その語源が何かは正確に知ることはできない。  独立採算制の営農方式であったゴボンジルは、第2次世界大戦直後に発生し、現在まで展開されてきた。1985年、ゴルバチョフ政権下で農業集団請負制と土地賃貸制度が合法化されるにつれ、ゴボンジルも合法化された。 すなわち、ゴボンジルは営農の主体である朝鮮人が家族単位で構成された小共同体(ブリガーダ)を組織し、農業期間に自分の居住地を離れ、近距離あるいは遠距離で土地を賃借し、生産から販売に至る営農の全過程を実行する'出稼ぎ請負い農業'と言える。 そして、ゴボンジルの特性は次のように要約することができる。
第一に、ゴボンジルの最も大きな特徴は生産主体が一定期間(大体3月から10月まで)、近距離であれ、遠距離であれ、現居住地を離れ生産現場で生活をしながら営農している点である。
第二に、基本的な営農単位が必ず小共同体(ブリガダ)を中心としている点である。        
第三に、ゴボンジルは移動営農の特性を持っている。 
最後に、ゴボンジルの営農主体は朝鮮人である。
ゴボンジルは独特な営農体系と歴史性を持っている。社会主義生産体制内で発生した資本主義的農業生産方式という点、社会主義体制が崩壊した後は社会主的義農業生産要素がある程度残っている点からゴボンジルがもつ社会経済的意義は朝鮮人社会の農業生産方式のひとつだけで限られる問題ではないと言えるだろう。これは社会主義的共同農業生産体系と資本主義的小農経営が結合した新たな農業生産方式のひとつを見せる歴史的意義を持っている。

3. 個人農
朝鮮人の個人農は旧ソ連の崩壊後、集団農場体制が緩和された結果生じた農業生産形態のひとつである。朝鮮人の個人農経営は、生産形態や作物などによりいくつかに類型することができる。 個人農は一世帯が営農の中心になるが、親戚を中心にいくつかの世帯が共同で営農を行う場合もある。個人農はこの地域の生産協同組合とは別に営農を行っているが、彼らが耕作する広い土地面積を考えると組合からの農業機械の賃貸が必須となる。かりに個人農が組合から離脱し営農を行うとしても、組合に縛られている場合が多い。現在活動している個人農の多くは過去の集団農場の組合員であるが、一部は営農に従事していなかった農村地域の公務員、事務員もみられる。一方、農業生産協同組合の組合員が所属組合から土地を賃借し営農を行う個人農もいる。個人農は個別に自らの土地を所有する場合もあるが、ライオンの土地委員会や農業生産協同組合などから土地を賃借している場合もある。土地賃借料は居住中心地域から近く、かつ灌漑条件が良い土地ほど高い。賃借料は一定ではなく、毎年少しずつ上昇している。一方、生産協同組合から土地を賃借する場合の賃借料は二元化されている。まず、生産協同組合から土地はもちろん営農に必要な農機械、肥料、農薬を供給する場合である。次は、生産協同組合から土地と作物の播種段階までに必要な農機械だけを供給する場合である。個人農の営農規模は約0.5−4ヘクタールから100ヘクタールまで多様であるが、1−4ヘクタールを耕作する零細な農民がほとんどである。 個人農は基本的に居住地の近くで営農を行う。この点が居住地を離れて営農を行うゴボンジル農業と異なる点である。個別世帯の責任の下で独立採算制で運営される点では個人農とゴボンジルは似ているが、経営形態や営農地域は異なるのである。
しかし、個人農とゴボンジルの作物の種類はほとんど一致しており、作物(スイカ、キュウリ、タマネギなど)の収穫期に盗まれないように生産現場に住居施設を設けることと、賃労働者を雇うことなどゴボンジルと共通している点も多い。しかし、朝鮮人以外の民族社会にも農業生産協同組合や個人農は見られるが、ゴボンジルは朝鮮人社会のみ見られる独特な農業生産方式である。


報告Uカザフスタン小麦農業の移行過程
錦見浩司(アジア経済研究所)

1.カザフスタンの農業
農業はカザフスタンのGDPの約12%を産出する部門である。主要農産物は小麦(総耕地の57.3%),大麦(同11.0%),ジャガイモ,野菜,瓜、綿花,テンサイなどである。現在、土地私有法案が審議中であるが、いまのところ農地の所有権はまだ政府にある。そのもとで、農民は最長99年間の農地使用権を与えられ、農場経営を行っている。 農場の経営形態には、大別して、@独立自営農,A農業企業,B個人副業の3種類が存在する。独立自営農は家族経営の農場であり、農業企業は使用権を手に入れた農民が農地や機械を提供し合って集団経営する農場をさす。一方、個人副業とは、農業企業を構成する農家が、農業企業の活動とは別に、各家庭で農作物を栽培してバザール等で売るものである。近年、いも、野菜、瓜の国内生産の9割前後は個人副業によって供給されるようになっている。 独立後のカザフスタン農業が直面している最も深刻な問題は、施肥不足による生産性の低下である。とくに、個人経営農場(独立自営農+個人副業)のシェアが小さい小麦,テンサイ,ヒマワリ種子などでは、土地生産性の下落幅が激しい。とりわけ、主要作物の小麦生産における生産性低下はカザフスタン経済全体にとっても重大な問題となっている。
2.小麦農業の課題
小麦の土地生産性は、91年から97年にかけて、約40%低下している。とりわけ、主要生産地の北部地域において生産性の低下が激しく、また独立自営農の生産性も低迷している。アクモラ州やコスタナイ州では、独立自営農の土地生産性は農業企業の80〜90%,労働生産性は約50%の水準しかない。この事実は、多くの場合、独立自営農の生産効率が悪いことを示す証拠として受け止められ、政策の重点も農業企業に置かれる傾向がある。しかし、1997年のアクモラにおける農場調査の結果、独立自営農の土地と労働の生産性が低いのは、調達の難しい農機部品やディーゼル燃料を節約するためであることがわかった。これらの要因を考慮に入れて、各農場の総要素生産性(TFP)を計測したところ、独立自営農と農業企業の平均的な生産効率の間には有意な差は認められず、同規模の農場の比較では、むしろ独立自営農のほうが優れていることが判明した。カザフスタンの小麦農業全体の生産性を向上させるには、農業企業ではなく、むしろ独立自営農に重点を置いた支援策を講じる方が効果的である。とくに、独立自営農の投入財調達を円滑にするシステムの整備が急務といえる。 現在、農場の多くが投入財確保に困っている直接的な原因は、銀行から短期資金を借りられないことにある。これに対し、政府は95〜96年頃にヴェクセリ制度(配給券発行による農業投入財の安価提供)を導入したが、その提供を受けるためには小麦を相当安い価格で政府に売却する義務が課されたため、この制度が定着することはなかった。現在のところ、政府はこの問題への有効な対策をまったく打ち出していない。
 政府の代わりに対処策を提供しているのは民間の流通企業である。対処策には、大きく分けて2つあり、一つは倉庫業者による投入財貸与、もう一つは農産物商社や食品加工業による農場の吸収である。前者は90年代前半から見受けられる制度で、倉庫業者が燃料や種子を貸し付け、農場は収穫後に一定量の小麦を支払うというものである。支払いは契約年や倉庫業者によって多少異なるが、1999年の平均的な相場は、種子1トンに対し小麦2トン、ディーゼル燃料1トンに対し小麦3トン程度である。肥料の貸付例は皆無である。ディーゼル燃料のケースを市場価格にもとづいて計算すると、この支払いは年率約40%の利子率に相当するという結果が得られる。市中金利は20〜25%であるから、農民は2倍近い利子負担を強いられていることになる。このような高金利の発生に加え、この制度は小麦価格低迷の大きな要因にもなっていると推察される。投入財の貸借関係の存在は、収穫期の価格交渉において、農場の立場を弱いものにし、小麦の買付価格を低く抑えることにつながる。実際、アクモラ州周辺の買付価格は50〜75ドル/トンと、国際価格(100〜120ドル/トン)を大きく下回っている。こうした低価格のもとでは、高価な化学肥料投入の誘因は存在しない。この結果、北部地域のほとんどの農場は独立(91年)以来、化学肥料を一切投入していない。倉庫業者による投入財貸付という方法では、小麦農業の生産性低下問題を解決することは不可能である。
 一方、農業関連商社や食品加工業による農場の直接経営も、資金調達問題への対処策として出現しはじめている。近年、急速に成長しつつある農業関連企業が、農地使用権をもつ独立自営農を雇い入れて、企業の1部門として小麦農場を経営するようになってきている。農民は、企業の従業員として一定額の月給(5,000〜10,000テンゲ(=$30〜70)/月)と地代(収穫の10%程度)を受け取る。この契約のもとでは、農民への支払いの大半は固定的なので、企業には収穫増大努力のインセンティブが発生する。このため、アスタナやコクシェタウ周辺の流通企業が経営する農場には化学肥料が投入され始めている。このシステムは、現在カザフスタンの小麦農業が直面している危機的な状況に対する有力な打開策となりうる。ただし、企業による農場経営は集団経営への回帰を意味する。企業の資金調達力を利用して、当面の危機を回避することは重要であるが、長期的には経営非効率の問題が再燃する可能性がある。今後の動向を注意深く見守る必要がある。