IAS.2-a 第3回「理性と宗教」研究会 報告

日時:2000年11月18日(土)午後2時より午後5時まで
場所:東京学芸大学人文系研究棟A号館、哲学第1演習室
テーマ:F.Rosenthal, The Muslim Concept of Freedom Prior to the Nineteenth Century, Leiden:E.J.Brill, 1960、Chapter IV. Legal and sociological aspects of the concept of freedom, pp.56-80.
発表者:高野太輔(日本学術振興会特別研究員)
コメント:吉田京子(日本学術振興会特別研究員)

 第3回の研究会は、上記の要領で行われました。出席者は10名とやや少なめでしたが、前回にもまして熱心な議論がなされました。
 発表者の高野氏は初期イスラーム史がご専門で、歴史研究の立場からローゼンタールのテキストに含まれる基本的な問題点を指摘していただきました。それに対して吉田氏はシーア派研究の立場から、12イマーム・シーア派における「権威」ならびに「自由」の概念について補足していただきました。
 以下に高野氏による当日の発表要旨を掲載いたしますのでご参照ください。また、この研究会または要旨に関するご意見、ご質問等ございましたら、下記の連絡先までお寄せください。           (以上、文責:小林春夫)

〔要旨〕
 本報告では、テキスト第4章pp.56-80の内容に関する具体的な批判を行うと同時に、本書の抱えている全体的な問題点について検討した。
 本書の問題点として第一に指摘できるのは、ローゼンタールがテーマとしているMuslim Conceptという概念自体の有効性である。まず、ローゼンタールは、本書の中で初期イスラーム時代のアラブ社会のみを当面の観察対象としながら、そこに現れた「自由の概念」の在り方を、あたかもムスリム社会全般に通用する一般的な特徴として評価している。古典アラブ社会を「イスラーム世界」と同一視する傾向は、当時の欧米系イスラーム学者に共通して見られる現象であり、本書にも同様の欠陥が認められると言えよう。
 しかし、この欠陥は観察対象を他のイスラーム世界に拡大したからといって解決される種類の問題ではない。本書が執筆された1960年より後、イスラーム研究のトレンドは、イスラーム世界に共通の社会的特徴を一般化して抽出しようとする「オリエンタリズム」的な研究態度を脱し、各種の社会現象・社会形態を「イスラーム社会」という枠組の中へ安易に拡大適用することが厳しく批判されている。このような視点に立つとき、Muslim Concept of Freedomというテーマを扱うためには、その概念の現れが真にイスラーム世界に共通か、もしくはイスラームの存在と何らかの相関関係を持つかどうか、という問題が最初に検討されなければならないはずだが、ローゼンタールにそのような問題関心は見受けられず、彼の議論は全体的に前時代的な発想に支配されていると言ってよい。
 本書が抱えている第二の問題点は、「自由の概念」を抽出するという直接的な方法の有効性についてである。ローゼンタールが本書を執筆した目的は、ムスリム社会における「自由の概念」の在り方を抽出するという一見「純粋学問的」な興味関心に基づいているようであるが、その背景には「近代西欧社会において発展した自由の権利意識が、なぜムスリム社会においては発展しなかったのか」という問題意識が隠れている事は間違いない。しかし、近代西欧社会における「自由の権利意識」は、一連の経済発展と国民国家の形成に伴って醸成されたものである以上、前近代のムスリム社会に類似の概念が存在したか否かを問う事は、両世界の歴史的プロセスが分岐した理由を解明する事にはつながらない。本書の第4章では、一貫して「自由の権利を生み出し得ないもの」としてのイスラームが強調されており、しかも、それが論理的帰結としてよりも、恣意的に抜き出した事例の羅列によって漠然と印象づけられる仕組になっている点が厳しく批判されるべきであろう。
(高野 太輔:日本学術振興会特別研究員)

===================================
東京学芸大学
小林 春夫
184-8501 東京都小金井市貫井北町4-1-1
Tel.&Fax.042-329-7321
e-mail:kobayash@u-gakugei.ac.jp
===================================