IAS.2-a 第2回「理性と宗教」研究会 報告

日時:2000年7月1日(土)午後2時より午後6時まで
場所:東京学芸大学人文系研究棟A号館、哲学第1演習室
テーマ:F.Rosenthal, The Muslim Concept of Freedom Prior to the Nineteenth Century, Leiden:E.J.Brill, 1960     のうち、Chapter IV. Legal and sociological aspects of the concept of freedom, pp.29-56.
発表者:堀井聡江(東大イスラム学、日本学術振興会特別研究員)
コメント:佐藤健太郎(東大東洋史、日本学術振興会特別研究員)

 第2回目の研究会は上記の要領で行われました。出席者は16名。今回からは新たに歴史分野の研究者も加わり、今後は思想分野と歴史分野の研究者が共同して会を企画運営していくことになりました。
 発表者の堀井氏はイスラム法学を専攻し、最近ドイツのケルンで学位を取得された気鋭の研究者です。今回の発表では専門の立場からローゼンタールのテキストを批判的に検討していただきました。それに対して佐藤氏はアンダルス史の立場から奴隷制の実態に関する様々な事例を紹介しつつ、広く「自由」概念をめぐる論点を指摘していただきました。
 以下に堀井氏による当日の発表要旨を掲載いたしますのでご参照ください。また、この研究会ならびに要旨に関するご質問等ございましたら、下記の連絡先までお寄せください。(以上、文責:小林春夫)

〔要旨〕
 ローゼンタールの「自由の社会学・法学的分析」は、法学的概念としての「自由」を抽出しつつ、その社会的現われを制度史的にあとづけようと試みるもので(ここでは自由の剥奪としての牢獄が考察の中心とされている)、この目的と手法の点では最近のイスラム法学研究をその方法論的問題点とともに先取りするものといえる。中でも彼の議論においては純粋法学的、社会的ないし政治的レベルの混同が随所で指摘されよう。
 例えば彼が法学者の議論に基づいて中世イスラーム社会の監獄の様子を「まったく秩序正しく、良く管理されていた」(45頁)と断言する時、この確信はいったいどこから来るのか?こうした法学資料に基づく歴史事実の好意的にすぎる先見的判断は、彼が結論としてイスラームにおける実質的な自由の存在をラディカルに否定しているだけに、いっそう奇異な観がある。
 また彼の議論の最大の問題点もこの結論を導く方法にある。すなわちローゼンタールはヤスパースの個人的自由、市民的自由、政治的自由の区別をふまえたうえで、イスラームの歴史における政治的権力による自由侵害を強調するとともに、法律の留保つきではあるが一定の自由を保障される市民的自由をも否定しているのである。
 要するにローゼンタールの議論は、この種の研究にありがちだが、今では普遍的となった特殊西欧的な観念に則って、それが例えばイスラームにある、ない、に帰着する悪しき比較論に終わってしまったようだ。ローゼンタールの述べる通り、法学書にせよその他にせよ、自由が1つの哲学的テーマとして取りあげられることは殆どないのは事実である。だが政治的権力による自由侵害や、それを阻む制度的保障の欠如といった現象はそれ自体、前近代社会にあってイスラームに固有の現象とはいえない。
それはイスラームにおいては、自由が権利へと高められたという西欧モデルの歴史的プロセスを実現する土壌がなかったと言っているだけであり、ローゼンタールはその原因、つまりイスラームにおける自由概念の未熟さ(未熟という言葉は使っていないが)を探ろうと努力しているわけである。  
 我々としてはこの比較そのものを否定するわけではないが、そのための枠組みとして不可欠な、イスラームにおける自由概念の抽出がローゼンタールにあっては(試みられてはいるが)不十分に思われた。そこで全体討論では、この点を補うべき議論が中心となったといえる。
 私の発表でも、ローゼンタールを補う意味で、あくまで理論的レベルで法学における自由概念を今少し詳細に追って見たつもりである。私法とくに財産法では自由とは一種の法的権能すなわちウィラーヤ(人や物にたいする排他的処分権ないし支配権)として理解され、一定の人格的価値判断を含む他の法的資格(証人資格におけるアダーラや姦通罪におけるイフサーン)と直接に結びつく概念ではない。国際法(シヤル)関係規定では、ムスリムであるという属性がむしろ自由という属性の上位にある、ないし自由とはムスリムたるものの数ある属性の1つと観念されているように思われた。ローゼンタールの比較論にあえて乗っかって言えば、その意味ではムスリムである以前の個人のいわば基本権的な自由という発想はないかもしれない。このことは、近年のイスラム世界における人権論争において信教の自由が1つの大きな論点となっている(あるいはなり得る)ことと考え併せると、興味深い側面ではある。
(以上、文責:堀井聡江)

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