2000年6月26日、上智大学アジア文化研究所と「イスラーム地域研究」第2班の共催により、インドネシアのアチェでNGO活動をされているJafar Siddiq氏(アチェ国際フォーラム代表)とZurfikar氏(北アチェYAPDA代表をお招きし、「インドネシアにおける民主化問題とイスラーム−アチェ問題の本質を考える」をテーマに研究会を行った。当日は、40人ほどの参加が見られ、アチェ問題への関心の高さがうかがえた。
Jafar Siddiq氏は"The Achenese Views on Islam and Democracy"と題するペーパーで、アチェの伝統がイスラム法とアチェの地方的慣習によって成立しているとし、イスラム法もアチェの慣習も、ともに民主主義的な要素を持っていることを強調した。すなわち、イスラム社会は、シューラという合議システムとイジュティハードの権利によって、中央集権的でなく多様性を許す社会であるとする。また、アチェ村落社会においては、ムナサ(村の小さいモスク)やバレエ(集会所)において合議がなされ、クチッ(村長)とトゥンク・イマム(宗教指導者)が協力して村を運営し、村の住人の代表が両者をチェックする仕組みが備わっていたという。インドネシアにアチェが統合されて以後、アチェ村落のこのような民主的な機構は解体されたとJafar氏は主張する。さらにJafar氏は、アチェ王国においては女性が軍事的な指導者になるほど女性の位置が重んぜられたことも強調した。「インドネシア政府はアチェ人を原理主義者としているが、我々は普通のムスリムである。私たちはイスラム国家を作ろうとしているのではない。」と氏は訴えた。
 続いて、Zurfikar氏(北アチェYAPDA代表)はアチェ人のインドネシア独立への貢献を強調し、アチェの貢献が大きいにもかかわらずインドネシアはその貢献に見合った扱いをアチェに対してしてこなかったと述べた。また、インドネシア政府がアチェの独立運動についてイスラム原理主義の分離運動だとプロパガンダを行っていることに対し、アチェの独立運動が求めているのは、宗教の問題でなく、むしろ暴力的抑圧からの解放であり、もはや問題は自治要求にとどまるのではなくアチェ王国以来の独自の歴史的尊厳の回復であることを強く主張した。さらに、アチェにおける外国資本の展開によりアチェ人の周辺化が進んだとし、これには日本も大きくかかわっていると指摘した。
 両氏の講演を受けて、西芳美氏(東大大学院地域文化専攻博士課程)は、独立を主張する武装闘争である自由アチェ運動、学生が行っている住民投票要求運動、NGOが行っている人権改善運動、この三つの運動は、自分たちの運動をイスラムに基づいているのではないと主張している点を指摘し、これは一つにはテロリズムとの同一視を避けようとしているからであるが、他方ではイスラムがインドネシア政府の懐柔策として用いられているからであり、自治付与で問題を収拾しようとするワヒド現政権によって、これまでの対アチェ政策の誤りはアチェの文化的特殊性=イスラムを無視していたことにあるとして問題をすり替えられるからであると説いた。しかし、アチェの側でも、住民投票を要求する学生たちは、たとえばアチェ人民会議(KRA)の準備委員会にウラマーに入ってもらうというように、KRAの権威付けのためにイスラムを使っている。問題の本質はイスラムでないにせよ、このようにイスラム言説が双方から用いられていることが、イスラムについて自由に語ることが可能になったスハルト退陣後の状況の中で起きていると指摘した。そして、アチェの独立運動において、イスラムはどう位置づけられるのか、アチェ人というのは誰なのか、アチェ人の本質とは何か、イスラムなのか、アチェ語を共有する人々なのか、アチェ王国の版図にすんでいた人々を言うのか、と問題を提起した。
 西氏のコメントの後に討論が行われ、Jafar氏からは現在のアチェの独立運動はイスラムの問題でなくアチェのナショナリズムの問題であることが再び語られた。そして、アチェのイスラムはアチェ独自のイスラムであると氏は強調し、さらに、現在のアチェ独立運動はアチェ王国の継承者としての運動であり、アチェ王国の領土に住むものがアチェ人であると述べた。Zurfikar氏は、東チモールに比べてアチェの独立運動に対しては国際世論の注意が払われていないと訴え、アチェは東ティモールと異なって独立した王国の伝統があり天然資源も人的資源も豊かで、自立してやっていけると語った。また最後に、現在インドネシア各地で独立要求が起きているのは政府のシステムに問題があるからで、政府の抑圧や軍の暴力が人々を独立に駆り立てている、独立も選択肢の一つであるが、インドネシア政府をよりよい政府にすることが問題であるというフロアからのアチェの留学生の発言を受けて、この日の研究会を終えた。
 両氏は研究者というより実践家であり、両氏の説くところは歴史的事実に照らせば尚も学問的検討を要する点もあろうが、運動に携わっているアチェ人自身の見解を聞けたことは、大きな意義があった。
 なお、当日お話しいただいたJafar Siddiq氏は、2000年8月、スマトラのメダンで行方不明となり、1か月後に遺体となって発見された。心より哀悼の意を表するとともに、このような事件が根絶されることを願うものである。

(文責:石澤 武:東京大学大学院博士課程)