IAS2C聖者信仰・スーフィズム・タリーカをめぐる研究会 

 日時:2000年5月27日(土)13:30-18:00
 場所:上智大学9号館357演習室

本年度第1回の研究会は上記の要領で行われた。出席者は23名。新規の参加者も多く、今後の継続的な参加が期待される。

 研究発表者:東長靖(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教授)
 発表タイトル:「イブン・アラビー学派研究序説」

 「イブン・アラビー学派研究序説」と題する東長靖氏の発表は、イブン・アラビー学派研究の多様な側面を提示し、それらの統合を目指す試みであり、次のように要約される。
 「正しい」イスラームという概念は、時間・空間により伸縮するが、イブン・アラビー学派もまた同様の伸縮性をもつ。そこで学派を限定するには3つのレベルが想定される。すなわち、(1)個々の思想家研究に代表される形而上学レベル、(2)聖者としてのイブン・アラビーの浸透という民衆レベル、(3)イブン・アラビー思想の受容を時間・空間で規定していく地域レベルである。特にこれまでの研究が不十分であった(3)を発展させ、(1)(2)と結び付けることが今後の研究課題となる。
 (3)を発展させるにあたっては、その複数性が問題となる。例えば学派の一人ジーリーの神の顕現体系は、存在一性論よりむしろ目撃一性論に近いため、「学派=存在一性論」という図式は崩れる。そうなると南アジアのシルヒンディも存在一性論を単に批判したのではなく、それを改良するために目撃一性論をその上位に置いたという意味では学派の一員とみなすことができ、中国の劉知もイブン・アラビーの系統を引くということから学派に含められる。以上のことを考慮すると・の地域の差異をより強調する必要が生じるため、イブン・アラビー「諸」学派という呼び名が適切になるのではないだろうか。学派の研究は、まさにこの伸縮性ゆえに今後の発展が多いに注目される。
 この発表に対しては、学派を表わす当時のアラビア語はあるのか、といった点に始まり、「学派」を設定することのそもそもの学問的意味や、諸学派を設定するにいたる論証の過程、また複数のレベルの研究を結合させる可能性や利点について議論がなされた。
 思想研究、特に古典期のそれは当時の社会状況などが明確でないため、テキストに限定されがちであり、今回のイブン・アラビー学派研究の方向、つまり思想研究に地域研究を結び付ける試みは、分節化しすぎてしまった研究分野を結ぶという意味から大変意義あるものと思われた。(文責:大川京、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

 研究発表者:赤堀雅幸(上智大学アジア文化研究所助教授)
 発表タイトル:「書評:鷹木恵子『北アフリカのイスラ−ム聖者信仰−チュニジア・セダダ村の歴史民族誌』」

 赤堀雅幸氏の書評報告は、鷹木恵子氏の近著、『北アフリカのイスラーム聖者信仰』(刀水書房)を取り上げ、内容の紹介と聖者信仰研究におけるその意義を評価するものであった。
 報告は3つの観点から提示された。第1は、民族誌的価値である。このような本格的な聖者信仰に関する民族誌は、日本の人類学者の間でも数少ない貢献であり、特にマグリブについて単著の民族誌としては初の試みとして評価できること。その背景として、鷹木氏の長年のフィールド・ワークに基づく豊富な民族誌データと集中的なコミュニティ・スタディによって、評書が本格的な民族誌の成果となっていることが指摘された。
 第2は、理論的枠組みである。特に、ギアツの聖者信仰の複合性の議論を踏まえた、鷹木氏の聖者信仰に関わる「3つの位相の複合体」が検討された。ここでは、従来の2項対立的図式を超える、複数の位相の設定とその複合性に着目する鷹木氏の視点が評価され、同時にその枠組みの当該社会を記述する上での妥当性が、様々な角度から検討された。
 第3は、聖者信仰研究に対する評書の与えるインパクトである。ここでは、マグリブの事例に基づいた聖者概念の深化という点で、感覚性や位階性などの多様性を備えた聖者が共同体に与える象徴的意味や、聖者とその子孫の親族関係がもたらす社会的意味などの様々な問題が指摘された。最後に、国家との関わりの中での聖者信仰の将来の行方について、会場の参加者も含めて熱心な討議が行われた。
 限られた時間で、浩瀚な民族誌である評書を網羅的に討議することはもとより困難なことであったが、要点を押さえた本報告は、これから評書を読み込む人のためにも、手引きとなる分かりやすいものだった。また、聖者信仰の理解に関わる枠組みの議論は、より広い比較研究の観点での、今後の様々な研究者による討議の可能性を開いている点で、筆者にも興味いものであった。
 なお赤堀氏は、後日『オリエント』誌に、より詳しい書評を執筆する予定である。(文責:外川昌彦、日本学術振興会特別研究員)