読書会各章について


第1章
 本論文は、キリスト教(カトリック)との比較の視点から、神秘主義教団の諸形態について考察を行う。筆者はまず、@initiationを核とする教団の組織形態のゆるやかさ、A神秘主義の活動形態の多様性、B教団内部の者が社会との結びつきを維持すること、について述べた後、C諸教団の組織形態の分類を行う。また最後には、D現代においては、本来ゆるやかな組織形態を有する多くの教団で再組織化の方向性があることも指摘する。
 討論では、欧米の研究者にとって、神秘主義教団を記述する用語の多くに、制度的統制の強いカトリックの専門用語としての含意が含まれている点が再確認された。ただし、個々の議論が概説的なものである点や、事例がインドに限定されている点についても指摘された。
[報告:下山伴子(東京外国語大学)]


第2章前半
 「スーフィー教団の物質的基盤と経済的役割−前近代」と題されたこの章では、ガルサンが神秘主義運動の発展史をその発生から15,16世紀まで概説している。彼は特に神秘主義運動の発展とイスラームの全体史との連関を重視し、トリミンガムの理論を土台としながらイスラーム世界全体を万遍なく眺めようと試みている。また「物質的側面」を扱うという立場からか、議論はリバート、ハーンカー、ザーウィヤという施設を中心に進められている。質疑応答ではガルサンによるconfrerieとordreの使い分けや、リバート、ハーンカー、ザーウィヤの(恐らくは彼独自の)区分について疑問が出され議論がなされた。全体としてはこの章題から参加者が抱いていた期待が外れたという印象を受ける。そしてその原因はスーフィー教団の社会的側面についての研究がまだ非常に不足している現状と、それにも関わらずその全体史を描こうとしてガルサンがとった手法が必ずしも納得のいくものではなかったという点にあったのではないかと思われる。
[報告:高橋圭(慶應義塾大学)]


第2章後半
 スーフィー教団/聖廟に依存して暮らす人々が何を生計手段とするか。まず時の支配者や地方の有力者から寄進を受けることがあげられる(インドのムガル帝国)。寄進以外の収入源には市、宿泊施設、巡礼者用の食堂などの建設、また開墾も行われた(ベンガル東部、中央アジア、バルカン半島など)。ワイン作りなど違法行為で収入を得ることもあった(西トラキア地方)。
 20世紀において中央集権的官僚国家が出現すると、スーフィー教団の経済的基盤さえも統制されるようになった(トルコ)。また"復興主義者"によるスーフィズム批判は、彼らが政府機構に参加しさらに厳しいものになっている。  本章の大きな問題点は、非アラブ圏に偏った場所設定と、「近代」にあたる部分が16世紀後半のムガル帝国の記述に大きく偏っているという時代設定である。
[報告:大坪玲子(東京大学)]


第4章
 著者は、この論文において、スーフィー教団が世俗権力と結ぶ関係の多様性について、例として東南アジアとクルドの例を主に引きながら、論じている。
 王がスーフィーとなる場合、スーフィーがよりイスラーム的な統治となるように政治的影響力を持とうとする場合、王とスーフィーとの間が緊張関係となる場合、そして最後にスーフィーが王となる場合と、スーフィー教団と世俗権力の関係を分類している。
 この論考では、地域を限定して論じたためイスラームに於ける神秘主義教団と世俗権力の関係を一般化するにはデータ的にも不足しており、説得力に欠けている。だが、さらなる他地域でのデータをつきあわせることで、この分類の枠組みを元にして議論をしていくことができるに違いない。
[報告:渋谷努(東北大学)]