概説および各研究発表について


ジュマリ・アラム氏発表

 インドネシアの伝統的イスラム教育機関として広範に展開しているプサントレンは、ウラマーを養成すると共にタリーカと強く結びついている。インドネシアには様々なタリーカが存在するが、ナクシャバンディーヤとカディリーヤの系統が多い。中でも、両者を組み合わせたタリーカ・カディリーヤ・ナクシャバンディーヤ(TQN)が最も大きい。
 本発表では、スルヤラヤというTQN系の中でも最大規模のタリーカの儀礼と実践を検討する。スルヤラヤのプサントレンは麻薬や非行に耽溺する青少年の更生施設を運営し、ムルシド(最高指導者)アバ・アノムとの強い師弟関係の中で、ジキルを行ないながらアバ・アノムを想起する瞑想を行ない、効果をあげている。開放的で大衆化した修行の場を提供した点で、スルヤラヤの活動は注目される。
 討論では、ムルシドのシルシラについて、また、インドネシアにエジプト系統のタリーカが多く流入していることなどについて質疑応答がなされた。インドネシアのタリーカ研究は端緒についたばかりであり、インドネシア人研究者からの発表を日本語で受けることが出来たのは得難いことであった。
[報告:石澤武(東京大学)]


竹下政孝氏発表

 スーフィズム思想の基礎知識を得るために東京大学教授竹下政孝氏に講義して頂いた。その内容は概ね以下の通りである。
 (1)「聖者」を論じる際には.スーフィズムの思想家の著作の中に現れる聖者理論と、実際に民衆が行う「死んだ聖普への祈願tawassul」や「墓への参詣ziyara」等の聖者崇拝は区別する必要があること、(2)普通の人間よりも神に近い存在としての聖者が本来イスラームには存在せず、コーランにもそのような存在が記されていないこと、(3)その後ハディースやスーフィー語録で聖者に関して数多く語られるようになり、9世紀の後半からス一フィズム思想の中で聖者理論が現れるようになること、が議論の前提として示された。  次に本論として、スーフィズムの聖者理論の中にサッラージュ(d.988)、フジュウィー一リー(d.l072)、クシャイリー(d.1074)などの古典的スーフィズムの聖者論とティルミズィー(d.905-91O)とその系統を受け継ぐイブン=アラビー(d.1240)の聖者論という二通りの聖者論があり、前者が預言者と聖者の相違点を強調し、常に預言者が上位にあることを論じるのに対して、後者が預言者と聖者が同一人物上に現れうることを主張し、その際には預言者性よりもむしろ聖者性が上位にあると論じる点で対比的であることが指摘された。
 以上の講義に対してスーフィズム思想史上でのスーフィズムの定義の問題(例えばティルミズィーなどのホラーサ一ンの神秘家たちは自らをスーフィーであるとは語っていなかた)について確認がなされた。
[報告:仁子寿晴(東京大学)]


安藤潤一郎氏発表
 この発表では、中国西北地方の門宦(スーフィー教団)について、成立背景・系譜等の基礎的事実を紹介することから説きおこされ、1910年代以降に見られた国家統合の動きの中における諸門宦の位置について様々な視角からの分析が加えられた。このなかで安藤は、まず近代において諸門宦が社会問題化した理由を、門宦が内には高い凝集力をもつ一方で強い排他性を持っていた点に求め、こうした特徴を持つ諸門宦が辛亥革命以降の複雑な政治状況の中でどのように変容・適合を求められたかを豊富な実例と共に紹介した。とくに、今後の課題として提示されたイフワーン派の挑戦と近代主義の批判の中での門宦の動き、統一的的な回教民族の構想中における門宦の位置については、前者が「近代主義とスーフィー教団」、後者が「国民国家体制下におけるアイデンティティ再構成」という普遍的な議論と密接な関係を持つテーマであるだけに、今後の詳細な検討が待たれる。
[報告:黒岩高(東京大学)]


森山央朗氏発表
 森山氏は、西暦10世紀から12世紀のイラン東部ホラーサーン地方の都市ニーシャープールに関わる人々のあり方を明らかにするべく、アラビア語原典が大部分散逸した地方誌/人名録であるハーキム・アルナイサーブーリーの『ニーシャープール史』の現存する諸史料による再構成を試みられた。そして、そこに収録された806件のデータと、後世に編まれたファーリスィーの『補遺』やサリーフィーニーの『抜粋』の1681件をあわせた2487件をデータベース化することによって、これらの地方誌の性格と、そこに叙述される人物類型を分析された。
 氏に依れば、「ニーシャープール史」の記述は大半がイスラーム的な知識の獲得と伝達に関わる事項に焦点が集中しており、その記述形態の特徴から、一地方史を越えたより広範な読者が想定されていたことが判明する。また、データベース処理によって初めて明らかになった事実として、ニーシャープール出身の人物がその人生において、諸国を巡り歩きつつも円環構造を描き、最終的にニーシャープールに帰還する傾向が極めて高いことが指摘された。このことなどは、従来のアナログ的な史料処理からは見えにくい、新しい分析結果として注目に値する成果であるといえよう。
 また、氏はこのデータベースをスーフィー・聖者研究に適用することを試み、スーフィーがファキーフやムハッディス等と併置され、双方の属性を併せ持ち得ることなどを明らかにした。この事実などは従来、全体的な傾向としては看取されていたが、この時代に関する具体的なデータ集積として提示されることには意義があったと思われる。
 討論は、人物伝のデータベース化にまつわる諸問題や、「スーフィー」の定義の揺らぎなどをめぐって交わされた。
[報告:清水和裕(京都大学)]